お久しぶりです、と彼は言った。

 

 幻想曲

 

「え……?」
 通りすがりに掛けられた声に振り向けば、見覚えのあるシルエットの人物。特徴のある髪型は見間違えるハズがないと思うけれど、記憶の中にいる人物とは一致しない。だって、私の知る姿は女性のものだし、目の前にいる人とは性別が異なる。
「失礼ですけど……どなたかとお間違えですか?」
 仮に私の知る彼女と彼が同一人物だとしても、未来から来た私を彼が知っているというのは些かおかしくはないだろうか。
「クフフ……そういうと思いましたよ」
 楽しげに笑う彼を見て、自分がからかわれたという事を知った。
 まったく、最近の子はタチの悪い悪戯を仕掛けるものだ。
「僕は貴女の事を良く知ってますよ、さん」
「人違いでは、なさそうね」
 今の彼が私の事を知っているということは、10年前の私がこの近郊に居たという事なのだろうか? 見た目は違うと思うけれど、基本的な造作は似ている訳だし。
「私は貴方の事を知らない」
「それはどうでしょう?」
 クフフフと人を馬鹿にしたような笑いをする彼を見ていると、物が喉につかえているような違和感を覚える。知らない人と断定するには気が咎めるような、妙な……感覚。
「僕は嬉しいんですよさん。また貴女とこうして出会える事が出来て」
「それは光栄だわ」
 過去の無い私が、人から必要とされるのは純粋に嬉しい。求められるという事は、そこに居場所が出来るということ。あやふやな世界で生きる私には、唯一の救いと言ってもいい。
「貴方は……」
「骸です」
「……骸」
「六道骸ですよ、さん」
 六道骸、ならばやはり彼が……。
 うっすらとだが、隼人さんから六道骸にまつわる話を聞いたことがある。今がどの時間軸かは分からないけれど、多分まだ10代目達とは出会っていない気がする。
「貴女とはまた会えると思っていましたよ」
「随分な自信ですこと」
 皮肉を込めてそう言えば、何かを思い出すかのように骸は目を閉じた。
「何が可笑しいの」
「嬉しいんですよ」
 私の皮肉を滑稽だと感じたのか、目を閉じて咽の奥で笑う骸。だが、馬鹿にするならば嬉しいという表現は変ではないだろうか。
「どうやら、貴女は僕と良く似た種類の生き物のようだ」
「……人の事を生き物、って形容するのもどうかと思うけど」
「ひとつ違うのは、貴女には代償が伴っている」
 記憶を失うという代償がね。
 独特の笑いと共に紡がれた言葉に息が詰まった。
 この人は私の何を知っているというのか。
 未来の私と彼女の間には、ほとんど接点がない。守護者といっても彼女は単独行動を好んでいたし、それを10代目も容認していた。私が師匠と出会ってから、彼女に会った回数は数える程しかない。彼女、クローム髑髏が六道骸という人物と常にコンタクトを取っているというのは、隼人さんから聞いた情報だが、本人を視認した事は一度もない。
 ならば、いつ?
「聞いてもいいかしら?」
「なんなりと」
「私は……」
 貴方を知らないのだけど、と続くはずだった言葉を無理矢理飲み込んだ。
「私は、なんですか?」
 先程はするりと口をついた言葉が、今は出てこない。もう一度彼を知らないと言ってしまえば、自分の中の何かを否定してしまうような気がして。
 口篭もる私を楽し気な視線で見つめながら、骸が片手を差し出した。
「なに?」
「そこ、危ないですよ。車が来る」
 促されて後方をみれば、一台の軽自動車がこちらに向かって走ってきていた。人通りの少ない道だからといって、スピードを出して言い訳でもないのに。内心で溜息をつきながら、差し出された手を取る。
「冷たい」
 咄嗟に出た言葉に、骸の笑いが頭上で響く。
「貴女は、本当に……」
 何が可笑しいのかさっぱり分からないけれど、車が通りすぎた後も骸は笑い続けていた。ひとしきり笑って気が済んだのか、ゆっくりと放される手。
 その感覚を……知っている。と思った。
「どうしました」
「本当に、貴方と会ったことが……あるのかな」
「面白い事を言いますね」
 知らないハズの人に感じる既視感。
「忘れてしまっても無理はないと思いますよ」
「どういう意味?」
「言葉のままですが」
 真意を捉えようと再び考え込む私を、感情のない骸の瞳が見つめる。
 その視線を……知っている、と思った。
 冷たい床と耳が痛くなる程の静寂の中で、私はその瞳を見たと思う。一切の感情を捨てた視線に宿った、一瞬の切なさを……忘れるはずがない。
「信じていた、と僕が言ったら貴女は笑うんでしょうね」
「骸……」
 自嘲するような笑みと共に紡がれた言葉に、冷水を浴びた気分になる。
 たしかに知っているはずなのに思い出せない。忘れてはいけないのに、忘れまいと強く願ったのに。
 願ったのは……いつ?
さん」
 ゆっくりとした動作で私の手を取る骸さん。ひんやりとした感触と共に脳裏を巡る微かな風景は、私の記憶なのか彼の見せる幻影か。
 どこか寂しげな微笑みを浮かべる、今よりも小さい彼の姿は……私の、記憶?
「貴女は、温かいですね」
 耳元で囁かれた言葉に、意識が落ちていくのを感じた。

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