年に一度の体育祭で校庭が賑わっている頃、保健室でも静かな争いが繰り広げられていた。

 天候にも恵まれ日々の成果を存分に発揮する学生達は、見ていて清々しい気分になる。多少の乱闘はあれど所詮はお子さまの喧嘩。私達が所属する世界とは似ても似付かぬ小さな争いは、心配どころか多少の面白みさえ覚えるというのに……。
「ちょ、っと、近づかないでくださいよ!」
「ツンツンすんなって。可愛い顔が台無しだぞちゃん」
「初対面でいきなり失礼な人ですね! アナタ!」
 なんで、よりにもよって、こんなやつと……。
「いい加減にしてくださいよ、ドクター!!」
 忍ばせていた拳銃を相手の額に押し当てれば、ようやく止まるセクハラまがいなスキンシップ。
「ありゃ、ちゃんこっち側の人?」
「ご期待に添えなくて残念です」
 非の打ち所のない笑みを浮かべて見せれば「参ったなぁ」と、間延びした声が降ってきた。女癖が悪くなければ、もっと普通の人だと思えるのに。こんな人が凄腕の殺し屋なんて信じがたいが、事実は事実として受け入れなければならないのが悲しいところ。
「ついてないわ……」
 溜息混じりに見遣った空は、目が痛くなる程の青さで思わず泣きたくなった。

「もう嫌だぁ……」
「どうしたんですか10代目」
 次々と運ばれてくる患者を診ていると、どうしても師匠達が関わっているとしか考えられなくて、お昼休憩を利用してきたのはいいものの……完全鬱モードに入っている10代目を視界におさめてしまい、声を掛けざるを得なかった。
「あ……さん」
「お疲れのようですね」
「出来る事なら今すぐここから消えたいよ」
 重い溜息を付きながらおにぎりを食す10代目は、自分の中のイメージとかけ離れ過ぎていて、本当に同一人物だろうか? と疑いたくなってしまう。
「師匠達がやらかしたんですね」
 そうでなければ食中毒で運ばれてきたり、原因不明の昏倒状態に陥った人が突然何人も現れるハズがない。
「お疲れさまです10代目」
さんくらいだよ、まともな思考を持ってくれてる人は」
 ハハハハと虚ろな笑みを浮かべながら御飯を食べる10代目に追い打ちをかけるよう、悲痛な内容のアナウンスが流れた。心中お察しします10代目。心の中で呟いて、これから起こるであろう現実に苦笑を漏らした。
「相手の対象は雲雀さんですか」
「ツナさんファイトー!!」
「がんばってーっ」
 応援するハルさんと京子さんを横目で見ながら、彼女等につられるよう「頑張って下さい」と声を上げれば、聞こえているハズが無いのに雲雀さんがこちらを見た気がして、嫌な汗がどっと噴き出た。
「凄い乱闘ですね……」
「がんばれー!! いけいけー!!」
 棒倒しというのは形だけで、すでに校庭は戦場と化していた。隼人さんはダイナマイトを投げてるし、笹川さんは向かってくる敵を打ち負かしてるし……。大乱闘と呼べる光景を「すごい出し物」と形容している父兄の方もいるし。
 どうなってるの、この時代の人達の感性は。
 微かな疲れを感じつつ、これから運ばれてくるだろう怪我人の事を考えて、保健室へと足を向ければ。
「君はこっち」
「はい?」
 予想外の強さで腕を取られ、目的地にはたどり着けない事を悟った。
 まぁ私が居なくてもドクターシャマルがいるから、なんとかなるとは思うけれど、あの人の男嫌いは筋金入りだから少しだけ気に掛かる。10代目達は大丈夫だろうか……。
「あの、雲雀さん?」
 早めに用件を聞いて戻らなくては。焦りを滲ませた私の声など、聞こえないと言った風な態度に微かな疑念を覚えたが、引かれる腕は簡単には振り解けそうにないし、なによりこの人に常識というものが通じるはずがないと諦めた。
 雲雀さんがいつ乱闘の中を抜け出したのかは分からないが、纏っている服に汚れが見あたらないから、おそらく乱戦になる前に抜け出していたのだろう。気紛れな雲雀さんらしい行動に少しだけ口角を上げれば、催促するように腕を引かれ慌てて緩んだ口元を引き締める。
「何処向かってるんですか?」
 職員室と保健室の間しか移動したことのない身にとっては、雲雀さんの目的地を推測することが出来ない。階段を上っている事から上層階だという事はわかるけど……。学年数から考えて、これより上に向かってもクラスがあるとは思えないし。なにより人気が少なくなってきている気がする。今が体育祭だからというのもあるだろうけど、ようやく着いたと思われる階に教室はほとんどない。
「応接室……?」
 目にとまった一つのプレートを読み上げれば、其処が目的地だと言うように雲雀さんが振り向いた。
「入って」
「……お邪魔します」
 完璧なまでの空調設備と豪華な家具。応接室というからには、外部の人と会う時に使うのだろうと考えたが、面接に来た時にこの部屋を見た覚えはない。そもそも校長先生が職員室に居たことがおかしいのではないだろうか。校長職というものは、学校の中で一番権利を持っている人物であって、普通は他の教職員と共の部屋を使用しないハズだ。

「え!?」
 思考に耽っていた私を試すかのように、思いっきり投げられた物体を受け止めれば、つまらなそうな表情の雲雀さんが視界に入った。きっと雲雀さんは、私が放り投げられた物を取りこぼして慌てる姿が見たかったに違いない。
 お生憎様。と内心呟けば目の前に指を突き出されて、反射的に後ずさってしまった。
「傷」
「は?」
「手当するのが君の仕事だろ」
「あ、はぁ……」
 突き出された指に焦点を合わせれば、少しだけ血が滲んでいるのが視認出来た。コレくらいの怪我で私を呼びつけるなんて、自己中心にも程がある。気付かれないようそっと溜息を付きながら、これが雲雀さんという人間なのだと己に言い聞かせた。
「終わりましたよ」
 小さな絆創膏一つで足りてしまう怪我に微妙な笑みを浮かべる私とは裏腹に、雲雀さんは自分の指を見つめながらどこか満足気に頷く。纏う雰囲気から察するに、私は彼のご機嫌を損ねないですんだようだ。
「じゃ、私はこれで」
「待ちなよ」
 放たれた声の冷たさに、戦闘態勢を取りそうになってしまったのは仕方ないだろう。いつだって雲雀さんからは敵意に似た感情が放たれているのに、本人が故意的にし向けている場合が多々あるから疲れが溜まる。気を抜いたら抜いたで、油断しているこちらが悪いとばかりに殴り掛かってくるのも止めてほしいけど……どうせ言っても無駄だと分かっているから溜息しかでない。
 気紛れな彼の雰囲気を理解するまでに半年以上掛かったのも、今となっては懐かしい思い出だと考えて、少しだけせつなくなった。
「お茶くらい出してあげてもいいよ」
「……ありがとう」
 雲雀さんが動くたびに靡く学ランを見ながら、屈折した優しさも雲雀クォリティだよね、と本人に聞かれたらトンファーの餌食にされそうな事を考えて、ひっそり笑った。

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