ここ数日ろくに寝ていない。いつまでも10代目のお母様に負担を掛けてはいけないと、一人暮らしをする為の資金を溜めようと考えたのが2週間ほど前。師匠に相談して高額になる仕事を回してもらったまでは順調だったが、私は少しばかり師匠のネームバリューを軽く考えていたようだ。回される仕事はどれも高難易度、広範囲なものばかり。翌日学校に出勤しなければいけない身としては、寝る間も惜しんで依頼をこなすしかない。
お陰様で一人暮らしを出来るくらいの資金は溜まったけれど、増える金額と比例するように溜まった疲労度は限界を迎えていた。
「眠りたい……」
隠しきれない目の下のクマは、鏡を見るたびに睡眠意欲を訴えてくる。勤務状況的に睡眠が可能な場所に配属されているのに、ドクターシャマルが居るせいで仮眠すらままならない。少し気を抜けば過剰なスキンシップを受けると分かっていて、隙を見せる訳にはいかない。
10代目の家に帰れば小さなランボが騒ぎ立てるし、早く一人暮らしを始めてしまおうと思っても、希望を満たす物件が無い現状ではそれすら叶わない。師匠は師匠で睡眠不足に追い打ちをかけるように、次から次へと仕事を回してくるし。
一体何時眠ればいいというのか。
「……さん、さん」
「あ、なんでしょう10代目」
ドクターシャマルが出かけた隙をみて、軽く意識を飛ばしていたせいで、私の事を心配そうに見つめている10代目の存在認識が遅れてしまった。
「最近寝てないみたいだけど、大丈夫?」
「ええ、慣れてます……から」
以前ならば不眠不休でターゲットを追う事なんて日常茶飯事だった。
「無理しないでね」
「お気遣い有り難うございます」
何を甘えているんだ、私は。
10代目の後ろ姿を見ながら、自分の堕落具合に溜息を付く。たかがこれしきの事態で根を上げるなんて、甘え以外の何物でもないではないか。
「頑張らないと」
己を叱咤して睡魔を飛ばすべく両頬を叩いてみたが、つもり積もった睡魔は簡単に無くなってくれなかった。
ここ数週間……ろくに、寝ていない。
お陰様でお金はたっぷり、新居候補も見つかったが……体力が底をつき掛けている現状では新たな行動を起こす力すら沸いてこない。
ドクターシャマルを避ける為に保健室にトラップを仕掛けたら、雲雀さんが引っかかって追い回されるし、ようやく安眠を得られるかと思ったら、10代目が怪我を負って担ぎ込まれてくるし。新居に帰ろうにもまだ手続きが済んでない上、師匠からの依頼は途絶えることがない。
人間誰しも限界地点というものがある。
「最近さん帰ってくるの遅いね。リボーン何か知ってる?」
「オレが言うわけねーだろ」
本人に聞け、という言葉を耳にして居間へと続くドアに添えた手をそっと放した。
10年後ならまだしも、今の10代目が私の仕事を快く思ってくれるとは思えない。ボスのポジションになった後も、余計な被害は極力出さないようにと敵対者に心を砕く10代目が、学生という立場の現状で私が請け負っている仕事を非難しない訳がない。
今日は寝れると思ったのに……。
がっくり肩を落としながら、気付かれないように玄関の扉を開け外に出た。いつだって嫌われたくないと思ってしまう私は、根っからの甘チャンなんだと師匠に言われたことがある。今だって10代目に追求されるのが怖くて、家を出てきてしまった。
「もっと強くならないとなぁ……」
精神的にも肉体的にも強くなって、私という人間の過去を探さなくては。
「寒い」
真冬にはほど遠いが、夜になると急に冷え込みが強くなる。適当に買った御飯を近くの公園で食べながら夜空を見上げれば、流れ星が一つ視界を横切ってタイミングの悪さに苦笑が漏れた。何も人が卵焼きをつまんでる時に流れなくてもいいのに。八つ当たりじみた思いを抱きながら、残りのおかずを胃に詰め込む。
「困ったときの、なんとやら……か」
寂しげに残った御飯を口の中に放り込んで虫の声が響く公園を後にした。
「で、何故僕のところなんですか」
辿り着いた先は薄暗い廃墟。
「骸くらいじゃない。私の事甘やかしてくれるの」
「おやおや、随分と高く買われたものですね」
埃っぽいソファーにもたれかかる骸の横に腰を下ろせば、触れた箇所から冷たさが伝わって微かに身を震わせた。よくもまぁこんな冷えた空間に薄着で居られるものだと感心したが、骸に普通の人の体感温度を理解してもらう方が無理な注文と言えよう。
「眠いの、凄く眠い」
「そうでしょうね」
目の下が悲惨ですよ。その辺の女性よりも綺麗な顔をした男に言われると、屈辱以外の何物でもないが口論をしている暇はない。
「寝るのは勝手ですが、何をされても知りませんよ」
「何を、ってなに」
「色々です」
「骸が何かする訳ないじゃない」
馬鹿な事を言うなと荒めの口調で問えば、骸が微かに肩眉を上げた。
「面白い事を言いますね」
「だってそうでしょ?」
眠くてふらふらする頭を気合いで固定して骸を正面から見据えてみるけど、彼が笑いを噛み殺しているのを見るとよっぽど私は変な顔をしているのだろう。
「約束だもの」
睡魔に侵食されつつ紡いだ言葉に、軽く目を見開く骸。彼が驚くなんて珍しいと微かに残った意識の中で考えれば、急にいつもの笑い声が室内に木霊し始める。
「都合の良いことばかり思い出す、素敵な頭ですね」
「……馬鹿にしてるの?」
「褒めているんですよ」
言葉の通り楽しげに笑う骸は、怒ってはいないのだろう。ただ、いつまでも笑い声が止まらないと、睡眠不足な私は少しばかり苛々してしまう。笑いを止める気配の無い骸相手に、微かな怒りと疲労を持って行動を起こせば「おや」という単語と共に止まる笑い声。
「立場が逆だと思いますが」
「いつまでも笑ってる骸が悪い」
「僕のせいですか」
「貴方のせいです」
困った。嫌がらせとばかりに骸の腿に頭を置いたのは良いけれど、予想外に居心地が良い。
どうしようと思う反面、このまま眠ってしまいたいという衝動は膨らむばかり。
「」
「……なに」
緩やかに髪を梳く冷たい手が心地良い。誘われるように瞼を閉じる私の上で、独特な笑い声が漏れた。
「おやすみ、」
良い夢を。
らしくない単語を耳にした気がして一瞬身じろぎしたが、よく考えれば骸があんな台詞を言うわけないから、自分にとって都合の良い幻聴を聞いたのだろう。
幻聴だと分かっていても嬉しくて、微笑みと共に就寝の挨拶を口にすれば、肯定するかのように髪を梳かれ緩やかに意識が落ちていくのを感じた。
骸の動作が子守歌みたいだ、なんて言ったら……確実に大笑いされるんでしょうね。
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