「ええ!? さんも並盛中に通うんですか!?」
「通うなんて単語を使われると、ちょっと恥ずかしいですね」
正確には保険医の助手としてお邪魔するのだと言えば、ほっとしたように胸を撫で下ろす10代目。私の知っている彼はもっと落ち着きがあるから、些細な事にも気をとられる現在の姿を見ると妙に微笑ましい気分になる。
「良いものですね」
「ん? 何が」
「いえ、なんでも。さ、早くしないと遅刻してしまいますよ。10代目」
「あっ! 本当だもうこんな時間!! じゃ、また後でねさん!」
「はい。また学校で」
慌てて家を出る10代目の後ろ姿を見送りながら、私も家を出るべく服装を整える。といっても普段から来ている黒スーツしかないわけだけど、まぁ構わないでしょう。服装の指定はされてないみたいだし。
「」
「師匠」
掛けられた声に振り向けば敬愛する師匠の姿。
「お手数掛けて申し訳ありません」
「気にするな。それにお前も時間がやべーだろ」
「あっ、そうですね。もうこんな時間」
先程の10代目と良く似た台詞を呟けば、微かに師匠が笑った気配がした。
「行ってきます。師匠」
「ああ、気を付けてな」
自分の知る姿で、寸分違わぬ声を聞くと安堵する。
「あら、ちゃんもう行くの?」
「はい。おばさま。行ってきます」
「気を付けてね」
暖かな笑みで見送られながら地図を片手に並盛中へと向かう。
遠くから聞こえるざわめきと、頬を撫でる穏やかな風。10年後とは似ても似付かぬ光景に、人知れず溜息が出た。私が師匠に拾われた時にはすでに交戦は激しさを増していたから、こんな穏やかな空気を吸う事は無かった。
無くした記憶の中にある風景は、このように穏やかなものだったのだろうか。
先程思わず出てしまった言葉を今一度思い返して、真意を気取られなくて良かったと心の底から思った。此処は良いところだ。恐怖も、争いの欠片も感じられない、穏やかな場所。だけど、この雰囲気を望んでしまったら、未来を……自分を否定してしまうような気がして……。
私に、生きる術を教えてくれた師匠を否定してしまうような気がして、苦しくなる。
「いけない、いけない」
考え込むのは私の悪い癖だ。早く学校へ向かわなければ始業早々遅刻してしまう。
手元の地図を頭に叩き込んで職場へ向かうべく駆け出せば、塀の上の猫が眠そうな声を上げた。
「で、なんでアンタが此処に居るんだよ」
渡された資料を保健室で読んでいたら、隼人さんに文句を付けられた。
「今日からここで働く事になったんです。宜しく御願いしますね」
「あー……そうかよ。って、そういう事じゃねーだろ!?」
一体何をムキになっているんだか。10代目に関する事以外で感情を割くなんて隼人さんらしくもない。
「用件があるなら手短に御願いしますね。まだ覚える事が山積みなので」
保険医という仕事は、マフィアの医療集団とは少し違う。純粋に怪我の手当だけではなく、カウンセリングも承るというのだから凄い仕事だ。私に他人のケアなんて出来るんだろうか。内心不安を抱えていたが、隼人さんは私の心情などお構いなしに意味不明な台詞を向けた。
「どこに黒いスーツ着込んで保健室に居座る保険医がいるかよ!」
「ここにいますけど」
「だーかーら!! TPOの問題だろ!!」
「……はぁ」
まさかこの時代の隼人さんから、TPOについてご指摘を頂くとは思わなかった。そんなに今の私の格好はそぐわないだろうか?
「でもいざとなった時の為には、この格好の方が都合が良いのですが……」
隼人さんだってダイナマイト隠し持ってるんでしょう? とやんわり問えば、途端に糾弾が止むから面白い。ついでに言えば、中学生が煙草を吸う方がTPOに反するのではないか。
「そんなに……似合いませんか? この服」
黒い上着に黒いパンツに白いシャツ。以前この服装を似合うと言ってくれたのは、他の誰でもない隼人さんだったのに。頭ごなしに否定されると流石に少し悲しい。
「に、似合わねーなんて、言ってねーよ」
「じゃあ似合います?」
「……あぁ」
誘導したととれなくもないけど、肯定してもらえただけでも嬉しい。
「隼人さん」
「……あ!? な、なんだよ」
「私って言うんです」
「は?」
「だから、私の名前。って言うんです」
いつまでも「アンタ」と呼ばれるのは嫌だと遠回しに言えば、軽く頭を掻きながら「分かった」と隼人さんは言った。
「あー……オレは」
「知ってますよ。隼人さんですよね」
「……まぁ、いーけどよ……」
名前呼びに慣れていないのか、居心地悪そうな隼人さん。10代目とか山本さんは獄寺。と名字で呼んでいたけど、私の場合は本人から名前で呼べと指摘されたのだから仕方ない。今は慣れなくても我慢してもらうしか。
「そういえば、隼人さんは保健室に何か用があったんでは?」
「もういい」
「遠慮しないでくださいね。今は私がここの管理をしてますので」
正規の先生は体調が優れないと帰ってしまったので、これからは私が管理する時間が増える訳だが……正直落ち着かない。むしろ誰か知っている人に側にいてもらいたい気分だ。
そんな時に都合良く来た隼人さんを、みすみす逃がす訳がない。
「10代目はどんな学校生活をおくってるんですか?」
「そりゃもう素晴らしい学園生活を……! 流石10代目だよな……」
10代目という単語を出せば、途端に饒舌になる隼人さんは今も健在なようだ。流石右腕というか、なんというか。予想以上に語りモードに入ってしまって少し後悔したが、自分の知っている一面を間近で見られて、ここに来てから感じていた息苦しさのようなものが、ゆっくりと無くなっていくのを感じた。
後日、隼人さんから気を付けろと念を押されたが、何に対してなのかいまいち理解出来なかった。前からそうだけど、肝心な主語がいつも抜けてますよね?
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