キレタ。
直感で理解する。
「これで、終わりね」
眼前で笑う魔女の前に左手を翳す。令呪は、ない。
「本当に、切れたんだ」
どこか虚ろな声で呟く私に、ランサーさんが顔を顰めるのが見えた。
「ねぇ、ランサーさん。いつかの約束、覚えてる?」
「護れっていうアレか?」
ランサーさんの言葉に頷いて「凄く強い敵と戦いたくない?」と餌を投げる。
「強ぇのか」
「うん、一撃必殺くらいには強い」
「ほぉ」
「何を考えているのランサー! 小娘の戯言を真に受けるほど落ちぶれてはいないでしょう?」
深紅の槍に体を預け、にやにやと笑みを浮かべる槍兵にキャスターが食いつく。その光景をぼんやりと眺めながら、両手の指をゆっくりと動かす。
体が、軽い。
ああ……本当に。
「ふふ……」
堪えきれず漏れた笑いに、キャスターが口論を止めた。
「どうした? 嬢ちゃん」
未だ敵意は殺さぬまま問うランサーさんの、どこか楽し気な姿が嬉しくて。
「だって……いま、凄く嬉しいの。正直諦めてたんだけど、まさか今になってまた……チャンスを貰えるなんて、思ってもみなかった」
嬉しくてしょうがないと笑う私を怪訝そうに見遣るキャスター。今凄く怪しい人だって自覚はあるけど、嬉しいものは嬉しいのだ。笑ってしまったってしょうがないじゃない。
「ギルガメッシュ」
彼の存在を喚べば、隣に煌めく金色。
「なっ、馬鹿な!? 契約は切れているのに!?」
狼狽えるキャスターを横目に、ギルガメッシュは私の左手をとり口付けた。
「漸く我を呼んだな」
恭しく私の手を取る姿は騎士にも似て、場違いだと思いながらも心がときめく。
ギルガメッシュは前回の聖杯戦争から受肉しているからマスターがいなくても現界出来るし、それに何より。
「令呪なんて、初めから必要無かった」
私の言葉にギルガメッシュが不敵な笑みを浮かべる。
「どういう、こと……」
訳が分からないと杖を握りしめるキャスターに向き直って。
「だって」
驚きを隠さない姿を捕らえたまま、ゆっくりと瞼を閉じる。暗闇の中で浮かび上がるのはいつかの光景。空は青く、世界は希望に満ちあふれ、生命が躍動していたあの日。偶然が積もり積もって、必然になった邂逅。
男が言う。無理難題とも思える男の要望を叶えてみせろと。もし、それが出来たならば、その時は……。
「愚問だな」
契約なんて、とっくの昔に交わしてた。
ギルガメッシュの言葉に閉じていた目を開いて、目の前に立ちふさがるサーヴァント二人よりも、もっと遠くを見据える。
「ギルガメッシュ。三分……いえ、一分でいいわ」
全力で、私を護って。
隣に立つ金の存在に願いを告げ、再び目を閉じる。
心はどこまでも軽く、力は隅々まで行き渡って号令を待っている。
ソレに詠唱は必要無い。
いつだって私の中でソレは眠っている。
必要なのは起床を促す号令だけ。ただ一言、音を告げるだけで現象は完成する。
常にイメージするものは一つ。
だから、今この時。与えられた言葉を音にしよう。
「咲き誇れ」
音と共に突風が吹き抜ける。濁った世界を覆い尽くすように嵐が吹き荒れる。
それは殲滅。
それは浄化。
それは、再生。
「なっ……」
白い花弁が宙を彩る。
見渡す限りを緑と白で染め上げた世界の中心に、女は立っていた。髪の色は銀よりも白に近く、一点に向けられた瞳は透き通るようなグレー。舞い上がる花弁を連想させる白い存在の背後に、キャスターは幻を見た。
細い木々が複雑に絡まり合い、一本の巨木と成っている。その巨木に重なるよう浮かび上がる複雑な図形。
「あ、れは……」
魔術を志すものなら誰でも知っているほど、有名な図形の名はセフィロト。
「では、お前は」
キャスターの声に促されるようの左手が挙がる。
の動作に連動するよう、図形の下から上へと一筋の光明が煌めき……。頭上に掲げられた掌まで辿り着くと、巨木が消え一対の弓矢と成った。何の変哲もない木製の和弓は女の手に収まり、出番を待っている。
「守護者」
知らず、キャスターは呟いていた。
反英霊が抑止の守護者ならば、眼前にいる女は生命の守護者だ。ありとあらゆるものを浄化し、赦し、再生する。反則ともいえる守る為の力。
「なんて、こと」
以前攻撃したとき攻撃が掠りもしなかったのは、強大な護りの加護を受けているからだと考えれば納得できる。バーサーカーも反則の産物だが、この女は度を超えているとキャスターは思う。英霊でもなく、人の身でありながら起源に似た性質を持つ特異性。
「見過ごされる、ハズがない」
キャスターの言葉を肯定するかのように、どこからともなく重い音が響き渡る。まるで重量級の鎖を引き摺っているかのような重苦しい音に、サーヴァント達は顔を顰めた。
この感覚は知っている。これは、自分達が座に繋がれた時のそれだ。
「ハッ、強敵ってのはコイツのことか!」
笑いを吐き出して、ランサーはギルガメッシュの隣に並ぶ。
「雑兵風情が、いくら増えたところで同じ事だと理解せぬのか」
「そういうなって。からお願いされたんだしよ」
乾いた声で言葉を紡ぐサーヴァントは楽しそうだ。
「切れたって……まさ、か……」
キャスターの声にが口端を持ち上げる。
人の身でありながら、人を越えたものに働く抑止力。それが切れたと女は笑っていたのか。不本意ながら敵に塩を送った状況になってしまったが、悪くはない。自然とそう思えた事にキャスターもまた笑みを浮かべた。
これから立ち向かう敵の名は、世界。
「ハッ、上等だ」
青い英霊は楽し気に口元を歪め、深紅の槍を構える。
「耳障りね」
飛びかかる機会を窺っているかのように、周囲を音が徘徊するから。
「煩いのは、嫌いよ」
魔女がフードを脱ぎ捨て、杖を振るう。
「貴様等の出番なぞないが……せいぜい善戦してみるがいい」
宝具の嵐ではなく、彼自身の宝を持ちギルガメッシュは音を切り裂いた。ガラスを割ったような甲高い音が周囲に響き渡る。それが合図だと言わんばかりに、前後左右から鈍色の鎖が襲いかかってきた。
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