上司から押しつけられた弁当を片手に、風見は近くの公園へと来ていた。
秋晴れ、という単語がしっくりくるような気候は、常日頃から忙殺されている風見の身体に一時の安息をもたらしてくれる。
近場のベンチに腰を下ろして風呂敷包みを開けば、タッパの中に押し込められたおかず達が風見の胃を刺激した。
「頂きます」
朝食を作りすぎたから、と上司である降谷が風見に弁当を押しつけるようになってから、かなりの月日が経つ。
風見よりを多忙を極めている降谷は身体が資本とばかりに、優男風の見た目からは想像出来ないような量を食べる。
健康な精神はバランスの良い食事から。なんてどこかのコマーシャルのような一文が脳内に躍り出るのをぼんやり見送りながら、味も見た目も完璧な卵焼きを箸で掴み上げ――風見はタッパの上へと卵焼きを落とした。
「えっ」
珍しい色合いの存在が、ぼろぼろと大粒の涙を流しながら歩いている。
風見の記憶が正しければ、あの人物の名前はといって、FBIに協力する犯罪コンサルタントであり、降谷と懇意にしている女性だったはずだ。
現在進行形で組織に潜入している降谷が彼女を作るとは到底思えないので、懇意とは言っても深い間柄ではないのだろうと風見は思っている。
だが、仮にも降谷が一定以上の感情を傾けている相手が、自分の目の前で泣いているという事実を放っておけるほど、風見は冷徹になりきれていなかった。
「あの……!」
ベンチから立ち上がった風見が声をかけると、自分が呼ばれたのだと気付いたが、泣き顔を隠そうともせずに軽く首を傾ける。
「さん、ですよね?」
「……はい」
大泣きしている割にはしっかりした返事が耳朶を打ち、風見の混乱度は増した。
本来であればどうして泣いているのかと問うべき場面なのに、真っ直ぐに向けられた紅い瞳に居心地の悪さを感じてしまい、何故か風見は側に置いてあった弁当をの方に向けて差し出すという謎の行動をとることになってしまった。
「よろしければ、如何ですかっ!」
「……お弁当、ですか」
「え、ええ……味は保証します」
嗚咽も漏らさずに泣き続けるが、風見の方へと一歩を踏み出す。
異様とも思われる光景に口出しをしてくれる第三者はおらず、結局風見はが近づいてくるまで無言で弁当を差し出し続けた。
「……」
無言のまま、は先程風見が取り落とした卵焼きを指先で掴み、自らの口の中へと迎え入れる。
相変わらず大粒の涙を流したまま、無言で卵焼きを咀嚼する女性を見つめていなければならないなんて、これはどんな拷問だと風見は内心で泣き言を連ねた。
「これ、作った人って……どこに居るんですか」
「えっ、と」
警察関係者とはいえ、降谷の居所を伝えるのは得策ではないだろう。
それに、彼女は降谷が毛嫌いしている赤井達と行動を共にしている。とそこまで考え、風見はからの問いを曖昧に処理することに決めた。
「多忙な人だから、いまどこに居るか分からないんだ」
庁舎にいるのか、潜入先の一員として動いているのか、大穴で仮初めの自宅にいるかもしれないが、そこまで情報を提供してやることもないだろう。
少しだけ意地の悪い返事だったかと小さな後悔を抱いた風見に対し、「そうですか」と感情のこもらない音が落ちてきたと思ったら、続いて「探しても大丈夫ですか?」と風見が予想もしていなかった質問をが口にする。
「探すって……降谷さんをか?」
「降谷さんておっしゃるんですか」
「えっ、あ、まぁ……」
そういえば、降谷は彼女の前で安室と偽名を名乗っていたことを思い出し、風見は自らの血の気が引いていくのを感じた。
それでよく公安が勤まるな。若干トラウマとなっている過去が去来したことにより身体を震わせた風見に対し、は「ありがとうございました」と背を向けて歩いて行ってしまった。
もしあのタイミングでを引き留めていれば、あんな大事にはならなかったのかもしれない。
数時間後に発生する最悪なイベントの片鱗に気付かぬまま、とりあえずとばかりに風見は用意された弁当を食べる作業へと移ったのだった。
コナンがその連絡を受けたのは、焼き付けるような日差しがなりを潜め始めた頃だ。
学校を終え、夕方と呼ぶにはまだ早い時間にけたたましくなる携帯。
タイミング的に、蘭から夕飯のメニューに関しての相談だろうと思っていたコナンの予想とは裏腹に、表示されているのは沖矢昴の名前だった。
もしかしたら、注文していた本が工藤邸に届いたという連絡かもしれない。だとしたら、真っ直ぐ事務所に帰るという予定は変更だと口元を緩ませたコナンは、一際明るい声で「昴さんどうしたの?」と電話に出る。
「ボウヤ、緊急事態だ。いますぐ安室君に連絡を取ってくれ」
「え? 安室さんに……? てか、その声……赤井さん……?」
並々ならぬ雰囲気にコナンが耳を澄ますと、赤井の背後で焦っているようなジョディとキャメルの声が聞こえてくる。
「詳しい説明は後だ。ハムサンドを作っていまから伝えるポイントにすぐ来るよう伝えてくれ」
「えっ、な、なに? ハムサンド!?」
「ああ、それと」
コナンの質問に返事をする気がないのか、一方的に用件を伝えてくる電話口でガチャンと何かを組み立てるような音が聞こえる。
あれはおそらくライフルを組み立てた音だとコナンが推測すると同時に、赤井のため息が回線越しにコナンの鼓膜を揺らす。
「日本の人口を減らしたくなければ、早急に。とも付け加えておいてくれ」
「赤井さん、それどういう……」
本当に急いでいるのか、シュウ! というジョディの叫び声と共に、赤井は電話を切った。
真っ黒になった液晶画面を見つめながら首を傾げたコナンの隣で、灰原が胡乱そうな視線をコナンへと向ける。
「どういった用件だったの」
「それが……よく分からねーんだ。ただ、ものすごく急いでいるらしいことは伝わってきた」
赤井から告げられた内容を灰原に伝えると、意味が分からないとこちらも首を傾げる。
「とりあえず、ポアロに行ってみましょう」
「そうだな。いなかったら風見さんあたりに連絡してみねーと」
その場合ハムサンドの調達はどうすればいいんだろうと頭を悩ませながら、コナンは受けた依頼を遂行べくポアロへと急ぐことにした。
普段よりも早足で帰ってきたコナン達を迎えたのは、探し人である安室だ。
客の入りが一段落しているのか、店の前を箒で掃いている安室の元へ駆け寄り、コナンは赤井から告げられた台詞を一語一句間違えずに伝える。
「はぁ? あの男は僕を馬鹿にしているのか?」
「で、でも凄く急いでたみたいだよ?」
苦虫を噛み潰したような顔を晒している安室に、赤井がライフルの準備までしていると告げるのは止めた。
「人口を減らしたくなければ? 僕達に喧嘩を売っているのか?」
コナンもその台詞が指す事柄は気になっていた。伝え主があの赤井だと思うと、冗談だとは思えない。
かといって、昨日までの赤井達を思い返すと、FBIが焦りを覚えるほどの凶悪事件が日本で起こっているとも考えがたい。
「まさか昼食を作って持ってこさせるために?」
「違うと思うよ! だって、本当に急いでるみたいだったもん!」
赤井が関わっただけで、安室はとことん駄目になる。そのことに薄々気が付いているからこそ、なんとかコナンは安室の思考を軌道修正させようと試みているのだが、どうにも上手くいかない。
「わざわざハムサンドを指定してくる意味が分からない」
「ハムサンドが好きな人にあげる……とか?」
「だったらコンビニで買えばいいだろう」
「うーん……」
堂々巡りに陥ってしまった、と他人事のように考えながら、コナンは電話口で聞こえてきた内容を脳内で整理する。
赤井が話している背後で、ジョディとキャメルはなんといっていたか。
たしか、見つけろとか、隠れられたらまずい、とか言っていなかっただろうか。
「おびき寄せるのにハムサンドが必要とか?」
「誰を?」
「……ハムサンドが好きな人?」
猫なで声で返信したコナンに、隣で観察していた灰原が冷え切った視線を向ける。
「コナン君。FBIにふざけるなと伝え……」
「降谷さん!」
苛立ちが限界を迎えたと口を開いた安室の声を遮ったのは、額から汗を流して走り寄ってきた風見だ。
本来であれば眼前の人間を安室と呼ばねばならぬのに、余裕がないのか風見は降谷と安室のことを呼び、続いて「こちらにいらっしゃって良かった!」と声を張り上げた。
「何だ」
「じ、実はっ」
安室から発せられる怒気に気付く余裕もないのか、風見は乱れる息もそのままに口を開く。
「さんが、降谷さんを探して……っ」
「は?」
「弁当を、それで、昼に、泣いて、FBIが」
「落ち着け、風見」
FBIという単語に眉間の皺を深めた安室が、とりあえず店の中に入るようコナン達に促した。
客のいない静まりかえった店内に入ったことにより自らの失言を悟ったのか、「申し訳ございません!」と風見が腰を垂直に折り、安室へと謝罪をする。その仕草を横から見ていたコナンと灰原は、顔を見合わせ互いに微妙な感情を呑み込んだ。
「ね、ねぇ風見さん。おねーちゃんに何かあったの?」
「あ……あぁ……あっ! 降谷さんに伝言がッ!」
温度の無い視線を向けている安室を正面から見つめてもひるまないのは、さすが彼の部下ということなのだろうかとコナンは考え、風見が持ってきた伝言とやらを聞くために口を閉ざした。
「庁舎の方にジョディ捜査官が来まして……降谷さんには本物だと伝えてくれと」
「……何?」
は本物。その言葉が何を意味するのかコナンには分かりかねたが、風見の言葉を聞いた安室は怪訝そうに方眉を上げ、すぐにカウンターの内側へと入っていった。
「安室さん?」
「僕はこれからハムサンドを作ってFBIに指定されたポイントへと向かう。コナンくんは……悪いが、風見と一緒に行動してくれないか」
言うやいなや、片手を差し出してきた安室の意図を問うよう、コナンはわずかに首を傾ける。
「盗聴器、持ってるんだろ」
「えっ……う、うん」
「貸して」
「で、でも」
「君を巻き込むんだ。情報を共有するのがフェアというものだろう」
「じゃあ……これ」
小さな手から盗聴器を受け取り、安室は何処からか取り出した箱の中へと盗聴器を放り投げた。
「これにサンドイッチを詰めて持ってくから」
だから、先に移動を開始しろと安室が無言で行動を促す。
「分かったよ安室さん、僕達はどこ――っと、赤井さんからだ」
タイミング良く鳴ったスマートフォンに表示された人物名を確認し、コナンは登録名を風見に見られぬよう注意しながらスピーカーモードで電話を受ける。
『ボウヤ、そこに安室君がいるだろう。代わってくれるか』
「代わらずとも聞こえてますよ」
『指定の場所まであとどれくらいでこれそうだ』
「十五……いえ、十二分で行けるかと」
『十分で用意してくれ。彼女と遊ぶのは命がけなんでね』
彼女というのはのことだろう。だが、命がけの遊びというのはどういう意味なのだろうか。
「ねぇ赤井さん。おねーちゃんどうしちゃったの?」
『……腹が、減っているらしい』
赤井の言葉に安室の表情が恐ろしいことになったが、それでも作業する手を止めないのはさすがというべきだろう。
「お腹が減ってるせいで、命がけになるの?」
『そうだ』
意味が分からないと肩をすくめたコナンの隣で、風見が「もしかして」と何かに気付いたような声を上げる。
「降谷さんの料理を食べ過ぎて、市販のものが食べれなくなってしまったのでは?」
「……風見さん、それはちょっと……苦しいんじゃ」
『君の部下は勘が良いな』
「えっ」
驚きの声を上げたのは安室だ。
まさか、風見が正解を言い当てるとは思っていなかったのだろう。その証拠に、今度は手を止めてしまっている。
『キャメルに、砂を食べているようで食事が摂れなくなったと言ったらしい』
マジかよ、とコナンは内心で呟き、という人はそんなに繊細な神経をしていそうだっただろうかと、過去の光景を思い出す。
ポアロに来ると良く食べていたのは覚えているが、まさか安室が作った料理以外を食べれない身体になっていただなんて、正直なところ信じがたい。
それは安室も同じなのか、ポアロに来る客には到底見せられないような表情でサンドイッチ作りをしている。
『シュウ! そろそろまずいわ!』
ノイズに混じって聞こえてきたジョディの声に、赤井が舌打ちをした音がスマホ越しに響く。
続いて、息を吐き出すような音も。
『やれやれ、お姫様はご機嫌斜めらしい……』
直後、銃声が一発。
「赤井さん!?」
思わず悲鳴じみた声を上げたコナンと、睨み付けるようにスマホを見つめる三人。何が起こったのかは聞かなくても分かるけれど、何故そうなったのかが分からないと、コナンは焦る気持ちを押し殺しながら電話の向こう側へいる赤井へと問いかける。
「狙撃することが遊びなの!?」
『そうだ』
意味が分からない。今日はこの単語ばかりを脳内でリピートしているとコナンは舌を打ち、なんで、と答えを求める単語をスマホに向けた。
『の意識をこちらに向けるためだ』
抑揚の無い声でコナンの質問に答えた後に、銃声がもう一発。赤井の言い分を信じるならば、スコープ越しにを狙い彼女の命を奪うために引き金を引いていることになる。
だが、とコナンは内心で言葉を続け、彼女はFBIの協力者的立ち位置にあたるのだから、赤井が守るべき対象なのではないかという事実を思い出し、それを口にする。
「赤井さんは、おねーちゃんを守るのが仕事……なんじゃないの?」
コナンの問いかけに、フッと笑ったような声が聞こえてくる。だが、聞こえてきただけで赤井が明確な返事をすることはなかった。
そうこうしている内にサンドイッチを作り終わったらしい安室が、用意しておいた箱の中いっぱいにサンドイッチを詰め、カウンターの内側から出てくる。
「風見、お前はコナン君達とここで待機していろ」
「はっ!」
「えっ、僕も行く!」
青い瞳がコナンを一瞥し、続いて手にした箱を指さす。
「持って行ってあげるから、我慢出来るよね」
コナンが渡した盗聴器のことを言っているのだと理解は出来ても、事件現場を自分の目で見たいというコナンの欲望は抑えきれない。
「だって赤井さ――」
「君を殺すわけにはいかない」
「……え?」
話は終わりだとばかりに店の外へ出て行く安室を、コナンは追いかけることが出来なかった。
あんな目をした安室は見たことがなかったし、それ以外にも風見がコナンの肩を掴んで行動を封じたからだ。
「風見さんは、何か知ってるの」
「いや……だが、降谷さんを信じている」
「あとでぜってー説明してもらうからな!」
通話状態になっている携帯に向かって叫べば、苦笑交じりに赤井が何かを言った声が聞こえた。
コナンは仕掛けた盗聴器に、風見は片方の耳に装着したインカムに神経を傾けている間、灰原だけは一人で椅子の上に座りぼんやりしていた。
灰原はという人間がどのような存在なのかを知らない。コナン曰く、あの安室と付き合っている女性だそうだが、灰原から言わせれば、そう。の一言で終わってしまう存在だ。
他人の恋愛に興味はないし、誰が彼女と関わっているのかも興味はない。ただ、いつだったか、朝の早い時間帯に工藤邸の前で出会った時に、綺麗な人だと思ったのは覚えている。
朝靄の中で煌めく髪に、一際目立つ色の瞳。その瞳がゆっくりと周囲を見回した後に灰原のことを認識し、少しだけ時間をおいてから「おはようございます」という単語と共に細められたのが印象的だった。
だから、もし叶うならば。もう少し話をしてみたいと――あの日の灰原はそんなことを考えてしまったのだ。
『FBI!』
スマホと盗聴器の二つから同じ声が聞こえたことにより、安室が現場へと到着したのが分かる。
『僕をこんな場所に呼び出して何のつもりですか! 作るのだって時間がかかるんですよ!』
「はは……安室さんは相変わらずだな」
「犬猿の仲なんでしょ」
噛みつく安室とは裏腹に、赤井は抑揚の少ない声で「君が失敗すれば、ここで心中だ」と、冗談にしては笑えない台詞を口にする。
「心中って……どういう」
コナンの呟きに応える声の代わりに、赤井がライフルを構え直すような音がスマホから響いてくる。
『さぁ……来るぞ』
赤井が狙撃をしていたということは、何処かの屋上にいる可能性が高い。その推測を裏付けるかのように、キィ、と何かが軋む音がイヤホン越しに聞こえてくる。
『えっ、泣いて……ッ!』
狼狽えたような安室の声と、勢いよく何かを開けた音がしたのはほぼ同時だった。
「ッ!」
安室の声に続くように響く銃声と、金属同士がこすれるような耳をつんざくような音が響き、コナンと風見は思わず顔をしかめる。
そして。
『!』
安室が彼女の名を口にし、赤井が「安室君!」と珍しく焦ったような声で安室の名を呼ぶ。
『僕と、結婚して下さい!』
「えっ!?」
静かな店内に響いた安室の声に、灰原は目を丸くし、コナンと風見は信じられないものを見たように顔を見合わせた。
何が起こったのだろう。いや、何が聞こえてきたのだろうと、二人は互いの耳に装着した装置を見つめた後、通話状態をキープしているスマホの方へと視線を移す。
ハムサンドを持って求婚。意味が分からないし、その為に赤井が安室を呼び付けたとは考えがたい。
では、現場の雰囲気で仕方なく口にしたということなのだろうか。だとしても、普通結婚なんて二文字が出てくることはないだろう。
「ふ……降谷さん?」
インカム越しに話しかける風見を見つめながら、コナンは置いてあるスマホの先にいる赤井に向かって話しかける。
「ね、ねぇ、赤井さん。何がどうなってるの?」
『安室君がに求婚した』
「い、いや……それは、聞こえてた……けど……本気?」
『さぁ』
煮え切らない赤井の言葉に小さく舌を打ちながら、コナンはの声が聞こえてこないかと、イヤホンの方へ神経を集中させる。
『……そういうのは、気軽に言うべきではないと……思うんですが』
躊躇ったようなの声が聞こえてきたことにより、事態は動き出しそうだ。
『僕だって勢いで言ったわけじゃありません』
『なおさら悪いでしょう』
ガサガサといったノイズが混じるのは、箱の中身が動いているからだろうか。
『……味がする』
『僕が作る料理以外が食べれなくなったんですって?』
『たぶん、いまだけ……でも、お腹減って……悲しくて……バラしたくなっちゃって……ごめんなさい』
『君が抱えたストレスに気付けなかったこちらにも非はあるが、話さねば分からぬと前々から言ってるだろう』
『ごめんなさい』
どうやら赤井と安室のお説教モードに突入してしまったようだ。
『泣くか食べるかどちらかにしたらどうですか』
『うん』
弱々しいの声は聞いているだけでも居たたまれない。それは風見も同じ気分なのか、口元をへの字に曲げて三人のやりとりを聞いているようだった。
やれやれ、と言いたげな声色で安室がの涙をぬぐっている様がイヤホン越しに伝わってきて、コナンは妙に落ち着かない気分を味わいながら、事の真相が明るみに出るのを待った。
『彼女と結婚するのか?』
『いつか』
『本気か? 安室君』
『黙れFBI。僕がどうしようが僕の勝手でしょう』
『君とて気付いていないわけではあるまい』
『ええ。ですから、目の届く範囲に居てもらった方が効率的です。それに……僕は、彼女のことが好きですから』
再度、本気か、と続いた赤井の言葉に、コナンも内心で同じ言葉を安室へと返す。
本当に、安室はと結婚するつもりなのだろうか。出会って間もないはずなのに?
『、君はどうなんだ』
赤井の問いかけにより、しばしの空白が二つの空間を支配した。自分のことではないのに、喉がからからになってしまったコナンと、同じく上司による突然の告白劇に冷静さを取り戻せていない風見。
『結婚て、しなければならないものなんですか?』
「えっ」
予想外の単語に思わず声が出てしまったコナンは、慌てて自らの口を片手で塞ぎ、の言葉を一語一句聞き漏らさぬようにと神経を集中させた。
『側にいるだけならば、結婚などしなくても……ああ、そっか。独占欲……。んー……なるほど、私は安室さんのものですけど、優先順位が下になるのは悲しいですね』
がどのような表情で言葉を綴っているのかは分からなくても、言われた安室の表情は想像出来るようだ。
『もし、安室さんが数年経っても私のことを好きだと思ってくれていたなら、その時に改めてお返事させて下さい』
まさかあの安室からの求婚を断る人間がいるなんて思いもしなかった、というのがコナンが抱く素直な感想だ。
誘えば断る人間などいないと言いたげな容姿に加え、本職は国を守る機関に所属しているエリート中のエリート。どこからどう見てもお買い得物件である安室からの求婚を、一度とはいえ断るとは一体何者なのだろう。
『フラれたな』
『フラれてませんよ! 彼女の言葉をちゃんと聞いてたんですかFBI!』
『時間が欲しいのは私の方なので。とりあえず、明日から行動開始します』
『行動?』
『はい。安室さんの隣に立っても、文句を言われない存在になるために』
絶句。まさに絶句だ。音が消えた世界の中で、笑っているの姿を幻視したコナンは、今更のようにあの時着いていかなくて良かったと自らの選択を自画自賛していた。
そうして、予想外の連続攻撃で無言の世界に取り残された男達を笑うよう、灰原は「女って強いのよ」とどこか弾んだ声で呟いた。 |