「ええっ!? じゃあおねーちゃんって殺人鬼なの!?」
 突如判明した事実にソファーからコナンが立ち上がると、「元ね」とがコナンの言葉を修正する。
「私としては、沖矢さんが赤井さんだったことの方が驚きなのだけれど」
「オレとしてはなんで気付かないのかが不思議だね」
「一緒に住んでいるとはいえ、さんとはあまり顔を合わせる機会もありませんでしたからね」
「そうなの?」
「言われてみればそうだったかも?」
 大きな鍋で相変わらずな煮込み料理を作っている沖矢の後ろ姿を確認した後、コナンは向かい側に座っているへと視線を移動させた。
「というか、それってボクに言っちゃっていいわけ?」
「別に隠しているつもりもないので」
「私としては隠して欲しいですけどねぇ」
 間延びした沖矢の声が面白かったのか、は背後を振り返るような動作をした後、クスクスと笑い始めた。
「だって、誰も聞いてこないんだもの」
「まぁ……ふつーFBIが殺人鬼を連れてくるとは思わねーだろうからな」
 偽物のブロッサムから回収したという細長いナイフのような物を片手に取り、刃こぼれした位置をが真剣に検分している。
「それで、人を殺すわけ?」
「これは剥ぐ用の道具。でも研ぎ直さないと当分は使えなさそう」
 剥ぐ。何をとは聞かない。否、むしろ聞きたくない。
 殺人鬼と呼ばれる存在に共通しているのは、倫理観が欠如しているということだ。特にシリアルキラーなんて呼ばれるタイプの人種には、一般人の思考を当てはめることが出来ない。
「一度里帰りしないとダメかなぁ。許可下りますかね?」
 沖矢の背に話しかけるを見ていると、この女性がモザイク必須だと言わんばかりの現場を作り上げていた存在だとは思えない。
「ジェイムズに聞いてみたらどうだ」
「うん……うーん」
「おねーちゃんどうしたの?」
「いやぁ、実家の鍵何処にやったかな、って……」
「えっ!?」
 実家ということはイギリスのどこかなのだろう、というのは分かるのだが、殺人鬼に実家があるというのがなんだか意外だとコナンが声を上げる。
 拠点としている建物はあっても、実家……まさかの実家が現存。
「そもそもさ、おねーちゃんはどうしてFBIに? 捕まったから?」
「ん? んー……捕まったというか、捕まりに行ったというか?」
 はっきりしないの物言いの謎を解くべくコナンが沖矢の背に熱視線を送ると、仕方ないとばかりに振り向いた沖矢が「狙撃の腕を買われてね」とこれまたよく分からない返答をしてみせる。
「何年前だったかな……赤井さんに何発か撃ち込まれてね。狙いがあまりに的確だったんで感動しちゃって。それで、一緒にいたいって押しかけたら間近で撃たれて、FBIの本部に連れて行かれたんだよね」
 カラカラと笑うは、文字通り狂人なのだろう。自分を殺そうとした相手と好き好んで一緒にいるだなんて、頭がおかしいとしか思えない。
「当たらなかったくせに良く言う」
「弾が出る速度ってほとんど決まってるし、視えてるから当たろうと思わない限り当たらないわよ」
 自分の片目を指さしながら言いながら、は横に置いてあった布包みをテーブルの上に置き、広げた中から一本のナイフを取りだした。
「ちなみに、これが弾丸を弾く用」
「えっ!?」
 そういえば、あの時も金属同士がこすれるような嫌な音がしていたと、二日ほど前の出来事を思い出しながら、コナンはが手にしたナイフへと視線を固定する。
「回転に合わせて動かすのがコツなんだよ。コナン君も今度やってみる?」
「い……いや、遠慮しておく」
 普通の金属とは違う煌めきを発しているナイフを、は指先で器用に回してみせる。
「もしかして、そのナイフがおねーちゃんの商売道具?」
 布包みの中には、他にも形状の違うナイフが数本あるようで、どれもこれもが不思議な色を宿している。工藤新一の頃から様々な事件に関わってきたが、殺人鬼の道具を見るのは初めてだ。
「商売道具……商売にしてるつもりはないんだけどなぁ」
 心外だと言いたげに首を傾げたの背後で、沖矢が肩を揺らして笑っているのが見える。
「貴女のファンは多いくせに」
「向こうが勝手に熱を上げてるだけです」
 何十年も前から特定の季節に現れては死体を積み上げていくブロッサム。年齢も性別も分からない殺人鬼に恋をしている人間も多いのだと沖矢が説明をする度に、の眉が下がっていくのが面白かった。
「現代人は夢を見すぎなのよ。ジャックザリッパーの再来だの、悪魔の仕業だの、勝手に想像して祭り上げて偶像崇拝してるんだから、笑うしかないでしょう?」
「なんだか、大変そうだね……」
「慣れましたけどね。それに、FBI預かりになってからは戸籍も変わったから、もういま活動しているブロッサムはいないんですよ」
 私が死んだらどうなるか分からないけれど、と続いた言葉にコナンは瞬きを繰り返し、が言った言葉の意味を正しく理解しようと思考を巡らす。
「悪意っていうのは伝染病みたいなものなの。私だって生まれた時は普通の子供だったんですよ、多分。物心ついた頃には様々な技を教え込まれてたけど……ああ、そういえばあの人も煮込み料理ばっかり作ってたなぁ」
 懐かしそうに話すが楽しそうで、コナンは腹の底に冷たい物が溜まるのを感じていた。
 殺人鬼に育てられて、殺人鬼になる。息をするように他者の命を奪うが、赤井を気に入りFBIに首輪を付けられることを良しとし、盗まれたブロッサムの道具を取り戻すために日本へとやってきた。
「おや、さんも煮込み料理が得意なんです?」
「料理はあまり得意じゃない……というか、しないので」
「そういえばいつもコンビニで何か買ってるようでしたね」
「はい、なので安室さんの作った料理は衝撃的でした」
 味を思い出しているのか、両手を頬に添えながらは虚空を見つめている。まるで恋する乙女だ、と考えたコナンの脳裏に、素朴な疑問が降り立ったのはそんな時だった。
さんは、安室さんの為に何をするつもりなの?」
「ん?」
「だって、隣に立っても文句を言われない存在になるんだよね?」
「ああ、そのこと……。とりあえず自分の地位を上げるのが先決なのかな、と。日本の警察は縦社会だというし、安室さんの役職は分かりませんけど、あの人結構偉い人ですよね?」
「部下が沢山いるみたいだからね」
「なら、日本警察に舐められないように頑張らないと」
「具体的には?」
「んー、そうですね。紹介状を書いてもらうとかどうかしら」
 紹介状、それは日本警察に入るための、ということだろうか。だが、いくらFBIに強力していると言っても、世間で言うの立場は一般人と呼ばれるものだろう。そんな人材を、日本警察が受け入れるだろうか。
「貴女の紹介状を書くのは大変そうだ」
「ふふっ、何ヶ国がくれるかなぁ」
「何ヶ国……? おねーちゃんFBI以外にも所属してた機関があるの?」
「蛇の道は蛇っていうでしょう?」
 分かるような、分からないような。とにかく、という存在を知っている機関がFBI以外にもあることは理解出来た。
「けど、日本警察が紹介状ごときで受け入れてくれるかなぁ?」
「安室君の協力者となる方が楽なのではないか?」
「でもそれだと、安室さんに守ってもらうことになるでしょ? あの忙しそうな人に負担はかけたくないし……むしろ、私が守る立場になるっているのはどうかしら?」
「稀代の殺人鬼がバックについていれば、怖い物なしだろうな」
「でしょでしょ? これって結構良い選択……んー、でもそれだとやっぱり対等じゃない気がする……うーん」
 どうやらは安室と対等な立場になりたいらしい。ということは、将来的に公安に入るのが目的……ということになるのだろうか。
「警察に入っちゃったら、おねーちゃんは安室さんの部下になるんじゃないの?」
「安室さんの所属している部署以外なら、同僚っていうポジションを狙えそうじゃない?」
「同僚なら……ありかもしれないけど」
 の中で日本の警察に就職するのは決まりなのか。そういえば、本人の国籍は日本だと赤井から聞いたような気もすると、コナンは脳内の情報を整理しながら、再びの方へと視線を移した。
「とりあえず自分が使える人材だっていうことをアピールしながら、日本の警察に編入……編入って……出来るのかな?」
「さぁな」
「ええっ、沖矢さん冷たい……」
 不機嫌ですとばかりに頬を膨らませるは普通の女性だ。本当にこの存在が殺人鬼なのだろうかと、今更のような疑問をコナンが抱いたのを悟ったのか、は広げていた布包みの中に出していたナイフを仕舞い、くるくると丸めて自分の隣に置いた。
「コナン君みたく探偵になるとか?」
「えっ」
「貴女が探偵? 冗談を。解決するより殺す方が楽だとか言い出しそうじゃないですか」
「たしかに」
「たしかに、じゃないよおねーちゃん! 殺人はダメだからね!」
「コナン君が言うなら我慢するね」
「が、我慢してくれるんだ……?」
 いまいちの扱い方が分からないと頭を悩ませるコナンに気付いたのか、沖矢が「彼女は素直ですよ」と助け船らしきものを提示する。
「正直、貴女が日本警察の所属になってしまったら、我々にとっては痛手ですね」
「おねーちゃんってそんなにすごいの……?」
「彼女の持つ情報網が凄いんですよ」
「へぇ?」
 情報網と聞いてしまうと、興味を引かれずにはいられない。急に目を輝かせ始めたコナンの前で、は「ファンが多いから」と種明かしをしてみせる。
「情報が欲しい時は、とある場所に書き込みをするの。そうすると、ファンの人達が情報をくれるってわけ」
「それって……ブロッサムとして書き込むってこと?」
「うん」
「マジかよ……。で、情報をもらった後はどうするの?」
「どうって……どうもしないけれど?」
 殺人鬼であるブロッサムに情報を提供するという行為は、一部のマニアにしてみれば延髄物なのだろう。本物かどうか分からずとも、ブロッサムを名乗る存在が個々を認識するという行為そのものが褒美になる。
「ちなみにそれって……」
「教えるのは私の価値が下がってしまうかもしれないから、諦めてほしいな」
 にっこりと笑う殺人鬼。考えてみれば、いまのコナンは殺人鬼と向かい合って談笑するという、ありえない体験をしている。その事実に気付くと同時に、コナンは何かの感情が満たされ始めるのを感じていた。
「ボクが困ってたら、助けてくれる?」
「もちろん」
「おや、さんを口説いてるんですか? コナン君も隅に置けませんねぇ」
 片目から覗いているグリーンの瞳を視界の隅に捉え、コナンは乾いた笑いを吐き出す。
 どうやら自分が思っている以上に、赤井達FBIはのことを大事にしているらしい。そりゃそうだ。一歩間違えたら、また世界の人口を間引き始めるだろう殺人鬼の手綱を握る権利があるならば、易々と手放したいとは思わないだろう。
「ん、でも……これからは優先順位が付いたから、手助けするのは空いてる時ね」
 白い頬をわずかに染めたを目の当たりにし、コナンは反射的に息を呑む。
 そうだ、この存在は安室に求婚され、彼の隣に立つために行動を開始しようとしているのだ。
 殺人鬼に愛されてしまった安室を不運だと思うべきなのか、殺人鬼を愛してしまった安室を不運だと思うべきなのか。どちらにせよ、いまのところ二人のバランスは釣り合っているらしい。
「まったく、安室君の人たらし加減にも困ったものだ」
「はは……ほんとに安室さんってすごいよね……だって」
 安室透。毛利小五郎の弟子をしている私立探偵で、ポアロの店員であり、バーボンという名前で黒の組織に潜入する公安警察官。
 そして――。
「恋人は、殺人鬼」

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