元気がない、死んでしまいそう。
大きな木に片手を当てながら悩んで悩んで、悩み尽くして、ようやく相談したら、そんなの簡単だよ。と笑いながら回答を告げられる。
死にそうなのは栄養が足りないからだ。沢山の栄養を与えてゆっくり休ませてやれば回復すると笑いながらその人が言うから。
じゃあ、あなたが手本になって。と、右手を振り上げる。
つまるところ、わたしたちのルーツなんて、そんな単純なものだったのだ。
ぼんやりとした意識の底で、肌に当たる陽の温かさを認識する。
肌に当たるシーツが立てる乾いた音に内心で首を傾けながら、枕元に置いてあるはずのスマホを取ろうと手を動かし、すぐに動きを止めた。
ああ、そうか。私は昨日安室さんの家にお邪魔したのだ。
覚醒と共に甦ってくる記憶を整理しながら、いつの間にか詰めていた息をゆっくり吐き出した。
初めて他人の熱を受け入れた身体は少々悲鳴を上げていたけれど、それ以上にすごい。という単語が脳内を占めている。
あんなに死にそうだと思って、満たされたのは生まれて初めてだった。
嬌声とも言いがたい悲鳴に似た声を上げて、何度も奥を暴かれるたびに、自分が自分じゃなくなるような感覚が内側から広がって、笑いたくなったのを覚えている。
輪郭が溶けてしまいそうと言ったら「さんは詩人だね」と、笑いながら深い部分を犯されたのは記憶にあるけれど、その後のことがよく思い出せないので、多分私は気絶したんだろうと思う。
「……」
遠くの方で何かを叩いているような音がする。
カーテンの隙間から漏れている光の角度からして、まだ朝と呼ばれる時間帯だろう。となると、安室さんが朝食の準備をしているのかもしれない。
きっとその内空腹を刺激する良い匂いもしてくるのだろうと考え、もう少しだけこのまどろみに浸らせてもらうことにした。
片手を動かすと冷えたシーツの感覚が気持ち良い。そのままじっとしていると自分の体温と混ざってしまい、ひんやり感がなくなってしまうのが妙に悔しかった。
身体を反転させようとしたら腰が悲鳴を上げたので、体勢を変更するのには慎重にならないといけないようだと、他人事のように考える。
盗まれたものは回収したし、日本でやるべきことは終わった。となれば、あとは現在の職場であるアメリカに帰って、いままで通りの仕事をするべきだ。
「……」
するべきなの、だが。
未来のことを考えれば考えるほど、心臓を引っかかれるような痛みが発生する。
ああ、これは、たぶん。私は本当に安室さんのことを好きになってしまったんだ。
彼にとってというのは不可思議な存在だっただろうから、その謎を攻略したくて距離を詰めてきていただけだと理解していたのに。
あの笑顔は用意されたものであり、そこに本音や本気といった感情は存在しない。
本気になったら、なった分だけ馬鹿をみる。だからこそ、あのような存在とは一定以上の距離を取っておかねばならなかったのに。
自分の馬鹿さ加減が嫌になると、掛け布団をひっつかんで頭からすっぽりと布団の中に埋まってしまう。
裸の胸に片手を当てて、発生し続ける痛みを逃すように何度か呼吸を繰り返していたら、コンコン、とドアを叩く音がしたので反射的に息を止めてしまった。
「さん、起きてますか……ん?」
ドアが開く音と共に聞こえてきた安室さんの声から察するに、蓑虫状態になっている私を訝しんだのだろう。
徐々に近寄ってくる気配を布団越しに感じながら、きつく目を閉じて様々な感情をやり過ごそうとしたら、ぺろりと布団を捲られた。
「んぅ……」
「眉間の皺、すごいことになってますよ」
指先で何度か眉間を押され、ぴったりとくっつけていた瞼を押し上げていく。どうやら、頭は起きていても身体はまだ完全に起きていなかったようだと、急激に襲ってきた睡魔をなんとか振り払いながら片目を開けた。
眠い、もの凄く眠いとぼやけた視界の中に映り込んでいる安室さんに焦点を合わせようとしたのに、どうも上手くいかない。
「あさ……」
「ええ、朝です。起きられそうですか?」
「んー……」
「朝食、出来てますよ」
「……ごはん」
「さんが好きな僕のご飯です」
ちょいちょい自分上げをしてくる安室さんが面白くて口元を歪めると、何を思ったのか安室さんが触れるだけのキスを落としてくる。
「……」
「お気に召しませんでした?」
訳が分からない。どうしていまのタイミングでキスをしようと思ったのか問いたいのに、安室さんのキス一つで胸の痛みが消えていったのが笑えなかった。
「身体の方は大丈夫ですか……?」
「ん……」
腰は痛いけれど、動けないというほどではない。
「昨晩は……その、無茶をさせましたから」
普通の人がするセックスを知らないけれど、たしかにまぁ……なんというか、安室さんは体力があるんだな。と実感出来るくらいには抱き潰された気がする。
「……わ、する」
「ん? なんです?」
声を出そうとしたら喉が引きつったせいで、上手く言葉にならなかった。
これはもう一度言わなければ伝わらないのだろうと、今度はきちんと声を出すように身体へ指示を出し、ゆっくりと口を開いた。
「まだ、ふわふわ、する」
「えっ!」
何か変なことを言ってしまっただろうか。でも本当のことだと今度は両目を開けて安室さんを見つめれば、片手で顔を覆っている姿を捉えることが出来た。
「あむろさん?」
「あー……その……」
名前を呼べば、青い瞳を揺らした安室さんがちらちらとこちらを見つめてくる。
もしかして、私が裸のままだから目のやり場に困っているとかそういう……いや、こういう色男タイプは女の裸など見慣れているはずだから、安室さんの反応は別の要素から引き出されていると推測するのが打倒だ。
「朝食……出来てるんですが」
「うん」
舌っ足らずな返事になってしまうのは、喉が痛いせいだ。できるだけ長い台詞を口にしたくない。
「さん」
わざとらしい咳払いをした後、青い瞳が私の視線を絡め取ってくる。宝石のような、深い湖のような、抜けるような青い空のような。そんな不思議な瞳を持っているこの人が欲しいと叫ぶ精神を無理矢理押し殺し、伸びてきた手の平に頬を寄せた。
「言うべきではないと分かっているんですが」
「うん」
「どうやら、僕は貴女を好きになってしまったみたいです」
「……うん?」
言われた意味をすぐに理解出来なくて瞬きを繰り返していると、綺麗な顔が近づいてきてまた唇同士が触れ合う。
これが俗に言う、身体から始まる関係――というやつなのだろうか。
いやいや、それはない。この男に限ってそれはないだろうと、防衛本能が言われた言葉の意味を否定する。
「貴女が欲しい」
本当に、何を言っているんだろう。
「……」
重い腕を動かして、頬に添えられている安室さんの手に重ねると、ぴくりと指先が動いた感覚が伝わってきた。
「もう、貴方のものなのに?」
本当に、何を言っているんだろう……。
考えているのとは別の言葉が、声帯を震わせて口の外へとこぼれ落ちていく。
馬鹿な女にはなりたくないし、なるつもりもない。けれども、この青さを前にすると私は馬鹿になってしまうようだ。
嘘で塗り固められている私が、幸せになる方法なんてないにきまってるのに。
「ねぇ、さん」
名前を呼ばれるたびに、幸せという単語が蓄積されていくような気がするのは何故だろう。
安室さんが吐き出した熱い息が唇の上をなぞる感覚に目を伏せると、軽いリップのイズを立てた後、甘く煮詰めたような言葉が咥内に吹き込まれた。
「もう一度、貴女を殺して良いですか」
数え切れないほどの嘘を重ねているのだから、他から嘘を押しつけられてもこれ以上苦しくなることはないだろう。だったら、素直になってしまった方が得策というものだから。
「喜んで」
キスの合間に返事を贈り、熱源を迎え入れるべく褐色の首裏へと両手を回した。 |