決行は人通りが減る二十三時。
あらかじめ周囲に包囲網を敷いたとしても、ブロッサムが現れるだろうとは強気な発言をしてみせた。
「まったく、舞台に上がれだなんて……何を考えているのやら」
キノコの和風パスタを美味しそうに食べながらする会話ではないだろうと、安室は昨日の一幕を思い出す。
あの後はオムレツをお代わりし、最終的には三人前の食事を平らげた。
久々に腕の振るいがいがあると感動した安室の前で、デザートまで食べたいと強請られた時は純粋に可愛いなと思ってしまったのを覚えている。
今回の一件が片付いたら、は憎きFBIのメンツと共にアメリカへ帰るという。次に来日するのがいつかは分からないが、今年中はおそらく来ないだろう。
それに、来日したところで安室との予定が合うとも限らない。
付き合おうと言い出したのは安室だ。そして、受け入れたのは。
「歪だなんて、分かってるさ」
男女というには軽すぎて、友達というにも軽すぎる。むしろ行動を共にする知り合いという説明がいまの自分達にはぴったりだろう。
けれども、と内心で言葉を続けた安室は、大通りの中央にぼんやり立ち尽くすの横顔を離れた所から盗み見る。
人形のように作られた表情筋が、ふとした瞬間に緩むのが可愛い。
弾んだ声で美味しいと伝えてくる声が心地良い。
恋人という枠に押し込めないような存在感が、気になって仕方ない。
そこまで羅列して、気付かされるのだ。自分の心が必要以上にという存在を追っていることに。
今夜ブロッサムを逮捕することが出来たら、改めてに好意を伝えてみよう。そうすれば、新たな関係性が芽生えるかもしれないと安室が決心するのと、周囲に漂う空気が変わったのは同時だった。
「今晩和、いい夜ですね」
の声がイヤホン越しに流れてくる。
会話の相手を確認しようと僅かに身体を動かし大通りの方に視線を投げたが、相手は死角に入っているのか姿を確認することは出来なかった。
充分な距離をとって待機している狙撃犯への指示は、同じくの声を聞いている風見が伝えることだろう。
現在、の声を直に聞いているのは、安室と風見の他にはFBIの面々のみだ。
人の日本で大物取りをするなんてどこまでも厄介な存在達だと、忌ま忌ましさを奥歯ですり潰しながら、安室は離れた場所で始まった劇へと意識を集中させる。
「率直に言いますけど、それ、返してもらえませんか」
の言葉に相手は応えないが、街頭の光を反射して光る何かを相手が持っているらしいのは、安室がいる場所からでも視認出来た。
「大事なものなんですけど」
「だったら――奪い返してみたらどうだ、お嬢ちゃん」
ぞわり、と肌を這う感覚に安室は目を見開いた。
純粋な悪意。濁ったタール。男なのか女なのか判別の付かない声は、不快感を煽るためだけに存在するようで、反射的に息を詰めた。
自分がここにいることがバレては、の計画が無駄になる。
だが、あのような存在と対峙していては大丈夫なのだろうか。
「ふっ、あははっ、お嬢ちゃん! 随分と若く見積もって下さったんですね、ありがとうございます」
安室の心配とは裏腹に、は楽しくて仕方ないと言いたげな声を上げる。
あの存在と向き合って笑えるなんて、の胆力は随分とすごいらしい、と安室が感心していたら、ジャリッと砂でも踏んだような音がイヤホン越しに届いてきた。
「力と力の真っ向勝負? 良いですね、好きですよ、そういうの」
やれるもんならやってみろ、そんな台詞が聞こえてきそうで、不謹慎ながら笑いたくなる。
これがの本質なのだとしたら、自分達は随分と大きな猫を見せつけられていたようだ。
そもそも、あのFBI連中と行動を共にしているのだから、常人ではありえなかったのだと気付かされ、安室は気配を気取られない程度に肩を揺らした。
「威勢の良い嬢ちゃんだ」
今度はカチリ、と硬質な音をイヤホンが拾って伝えてくる。そうして、呆れたとでも言いたげなのため息も。
「最低」
少しだけ低くなったの声に、彼女が怒っているのだと理解出来るのだが、何故怒っているのか理由が分からない。
「悪ぃが、これも仕事でね」
「仕事?」
「どうせ周囲にはお巡りが大量にいるんだろう。早々にアンタを殺って、ズラからせてもらうぜ」
「……」
「どうした、怖くて声もでないか?」
先程響いた硬質な音と、相手の声色から察するに、おそらくは銃口を向けられているのだろう。可能ならばいますぐにでも飛び出していきたい気分に駆られたが、今回の主役はであり、彼女の指示がないと自分達は行動を起こせないというのが現状だ。
「あなた」
抑揚の無い声がイヤホン越しに鼓膜を揺らす。
まるで別人のようなの声に安室の息が詰まる。恐怖心、威圧感、そのどれとも違う奇妙な重さが胃を圧迫して苦しい。
「いままで出会った中でも最低の部類に入るわ」
「何?」
殺人鬼を刺激したらどうなるかなんて容易く想像出来るだろうに、はわざと相手を煽るような言葉を口にする。これでもし彼女が撃たれるようなことがあれば、安室は自分を許せないだろう。
音が出ないよう細心の注意を払ってセーフティーを外し、安室はいまだに姿の確認出来ない暗闇を睨み付けた。
「あなたがどんな経由でソレを手に入れたのかは知らないし、知る必要もないと思ってたけど、気が変わった」
吐いてちょうだい、と甘ったるさを含んだ囁きが鼓膜を揺らすと同時に、闇夜に響く銃声音。
「!」
反射的に飛び出した安室の視界に映るのは、地面に倒れ伏した男と、右手に細長い何かを持っているの姿。
「怪我は!?」
倒れた男をじっと見つめていたが、安室の声に促されるよう顔を上げ――紅い双眸が、安室を捉えた。
「ッ!」
形容しがたい美しさ。この世の物とは思えないほどの宝石が、ゆらゆらと揺れている。
魅入られた。全てを持って行かれたと安室の心が悲鳴を上げる。こんな、こんな暴力は知らないし、知ってはいけない。これは危険だ。これ以上対峙していたらおかしくなると本能が警鐘を鳴らす。
「……?」
恋は落ちるもの。そんな単語を払拭するよう、安室は応えないの名を呼び続ける。
「、大丈夫なのか!? 答えろ!」
「……?」
何度目かの呼びかけに、が瞬きを繰り返し、続いて驚いたように安室の姿を認識した。
「……ごい……すごい、すごいっ! 聞こえた! 安室さんの声、聞こえた!」
「、どうし……」
興奮冷めやらぬといった雰囲気で駆け寄ってきたが、安室に勢いよく抱きついてくる。
「すごい、ほんと、すごい!」
同じ単語を連呼するを抱き返しながら、安室はの代わりに被疑者を確保するよう指示を飛ばす。
一体何が凄いのかは分からないが、この調子ではから他の単語を引き出すのは無理だろう。
「安室さんっ!」
身につけていた盗聴器を勢いよく外し、遠くへと投げ捨てたに「あっ」と小さな声を上げてから、安室は頬を高揚させているの顔へ視線を固定した。
「私、あなたのものになりたい!」
何を言っているのだとか、こんな時に何をだとか、本当に怪我はしていなのだとか、に対して聞きたいことは沢山あったけれど。
「逃がしては、やれないよ」
同様インカムを放り投げた安室は、薄く開いた桃色の唇に誘われるよう、勢いよくの呼吸を奪い去った。
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