赤井と安室の間で一悶着あったとジョディが聞いたのは、会議が始まる五分前のことだった。
「いきなりアクセルを踏み込むので、驚きました」
「安室君にも困ったものだな」
肝心の安室は日本警察側の席に腰を下ろし、赤井のことを睨み付けている。
安室の隣にいる眼鏡をかけた男が安室に対し何かを言っているようだが、安室が取り合う気配はなさそうだ。
「シュウ、彼に何をしたの」
「さてな」
赤井が口を割らないのはいつものことだが、ここで何故か美麗が「分かっちゃいました」と両手を小さく合わせて微笑んだ。
「分かったって、何が?」
「秀一さん、安室さんのご飯を盗み食いしたんでしょう!」
安室さんの作るご飯は美味しいらしいから、と満面の笑みで言う美麗は天然だ。もしこの空気を狙って作り出しているのだとしたら、それはそれで恐ろしいと、ジョディは片手で反対側の腕を擦りながら考える。
「そういえば、安室さんて警察関係者の方だったんですね」
「え、ええ。美麗は……知るはずなかったわね」
「はい。探偵の弟子でフリーターだなんて、地に足が着いてない人だなぁと思っていたので安心しました」
「ッ!」
「シュウ、笑わない」
堪えきれずといった雰囲気で息を漏らした赤井をジョディが窘めると、また自分は変なことを言ってしまったのかと美麗が肩を落とす。
「一般常識が欠けている自覚はあるので、指摘して頂けると嬉しいです……」
ため息と共に手元の資料の角を揃えている姿は、なんとなく日本人らしい。
「美麗は、なんで日本国籍にしたの?」
突如湧き出た疑問をジョディが口にすると、手を止めた美麗が紅色の瞳にジョディの姿を写し取る。
「それは――」
『これより緊急会議を始めます』
室内に響いたアナウンスに口を閉ざし、ジョディと美麗は指定された席に着いた。
今回の合同会議は、米花町付近で多発していた通り魔についてだ。たかが通り魔、されど通り魔。
本来であれば日本国内で起きた犯罪に、FBIが口を出すのはお門違いなのだが。
「では、説明を」
「はい」
進行役に促され、美麗が資料を片手に立ち上がる。その姿を安室が驚いたように見ていた気がするが、すぐに彼は視線を逸らし前方に表示されているスクリーンへと意識を移したようだった。
「まず、今回の件に関わらせて頂きありがとうございます。日本国の皆様におきましてはご不快に思われるかもしれませんが、いまより一時の間ご静聴頂ければ幸いです」
薄暗い中でも目立つ色彩を纏い、凜とした姿勢で音を綴る美麗を、蘭や園子が見たら驚くことだろう。
彼女達にとって、美麗は危なっかしい近所のお姉さんだ。まさか彼女が大衆の前で意見を言うような存在だとは思うまい。
「女性ばかりを襲う通り魔が出没したのは春の終わり頃だと資料で拝見しました。これだけならば特に気に掛ける点はないのですが、殺害現場に残されているという血液以外の赤さを有した痕跡を見過ごすことが出来ず、こうして厚かましくも口出しをさせて頂いたわけです」
スクリーンに映し出されているのは、拳銃自殺の際に見られる、飛沫のような血痕だ。被害者達の身体から銃の痕跡は見つかっていないので、この飛沫は犯人が残してしまったものだというのが、美麗の言い分である。
「既にお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、この痕跡は世界各地で発見されています」
普通に考えればありえないことが起こったならば、それは偶然ではなく必然。
「春という季節に現れる殺人鬼、ブロッサム。米花町に現れたのはその殺人鬼であると、私は確信しています」
突拍子もない美麗の言葉に、呆れたような声と笑いが各所で起こったけれど、当の美麗は笑われていることなど気にしないといった態度で「あの飛沫は殺人鬼が保有する武器によるものです」と、言葉を続ける。
「ブロッサムが使用する凶器は普通のナイフではありません。それは各国の鑑識結果で明らかになっており、皆様もご存じかと思われます。では、どうしたらあのような飛沫が飛び散るのか」
ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。
「下手くそだからです」
「……は?」
いま上がった声は誰のものだろうか。とりあえずFBI側ではないとジョディは判断し、人工的な光を反射して揺らめく美麗の瞳を見つめる。
「骨を切断するのに失敗したから、あのような飛沫が飛んだのです」
「意味が分からないんですが」
「武器が削れた、といえばなんとなく伝わりますか? 骨に触れて引き抜く際に武器が削れ、それが細かな破片となって地面に落ちているんです」
「もっとマシな説明をしてくれないか」
聞き覚えのある声にジョディが視線を動かすと、褐色の肌を持った存在が美麗を睨み付けているのが分かる。
そういえば、この二人は付き合っているのではなかっただろうか。以前何かの際に蘭から聞いた話を思い出しながらジョディが瞬きを繰り返していると、「そもそも」と硬い安室の声が静まりかえった室内に響き渡った。
「君は、なんなんだ」
安室の言葉に美麗は開きかけた口を閉じ、ジョディが初めて目にするような表情で「私は」と小さく息を吸い込む。
「犯罪コンサルタントです」
「犯罪コンサルタント……だと?」
「はい、日本ではあまりお目にかからないと思いますが、アメリカでは結構多いんですよ。それに、専門家がまとめた情報を元に動いた方が無駄も少なくてすみますから」
「君がブロッサムの専門家だとでも?」
「その通りです」
国際指名手配犯、ブロッサム。
半世紀ほど前から世間を騒がせ始めた殺人鬼は未だに捕まっておらず、煮え湯を飲まされ続けているのはどこの組織も同じだ。
その殺人鬼が日本にいるとなれば、優秀な日本警察は確保に動き出すだろう。
「まぁ、言いたいことは分かりますけれど、時間がもったいないので次に移らせて頂きます」
安室が美麗に対して怪訝そうな視線を向けているのには訳がある。というのも、ブロッサムという殺人鬼は異常なのだ。
獲物となった被害者は人としての形を止めておらず、必ず桜の木の側に遺棄される。そのせいでブロッサムというコードネームが件の存在に与えられたのだが、普通の精神を持つ人間であれば、あの遺体を何度も直視しようとは思えない。
なので、シリアルキラーとなるために生まれてきたような存在を追っているのが、一見弱々しい美麗だと言われてもすぐには信じられないのだろう。
「ブロッサムはまだ日本では殺人を犯しておりません。ですが、それは過去にも何度かあった現象。おそらく、 死体を遺棄する場所を捜しながら手慣らしをしているのだと思われます」
だからこそ、叩くのはいましかないのだと美麗が言葉を続けると、室内に溢れていたざわめきが一斉に引いていく。
「そこで、次にブロッサムが行動を起こしそうな場所に印を付けました」
住宅街、大通り、路地裏と、美麗が印を付けた部分にこれといって共通点は見当たらない。きっとすぐに誰かが美麗の話にケチを付けると思っていたジョディの予想を裏切るよう、赤井と安室は表示された地図を真剣に見ているようだった。
「質問が来る前に説明させて頂きますが、この印の付いている地点はどれも『先手を取れる』ポイントとなっております。ブロッサムのように下調べを入念にする犯罪者ならば、五秒もあれば様々な策を使い逃げおおせることが出来る。印の付いた地点に防犯カメラがないのはもちろん、この周囲には樹木や高低差のある建物が多く、狙撃される可能性も低い状況です。そして、側には桜の木がある」
付け足されたような言葉に、ジョディは自らの心臓が掴まれるような錯覚に陥った。
淡々と語る美麗は、どのような感情を持ってブロッサムの犯行を推理していったのだろう。彼女の周りでブロッサムの被害に遭った人間はいないというから、純粋な正義感から殺人鬼を追い詰めようとしているのだろうか。
「日本の警察は優秀です。それは日々のニュースを拝見していても分かること。この国に何故ブロッサムが流れ着いたのかは分かりませんが、桜を国花としている土地に迷い込んだのが運の尽きだったのだと――」
一度言葉を切り、美麗がゆっくりと口角を上げていくのを、ジョディは近くで見ていた。
薄く開かれた唇から覗く、赤い舌先。その姿が妙に色っぽくて、同性であってもどきどきしてしまう。
「愚かな殺人鬼に、教えてやりましょう」
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