結論から言うと、と共に水族館へ行くことは出来なかった。
 安室が盗まれたNOCリストを奪い返すべく奮戦した結果、と行く予定だった東都水族館が半壊してしまったのだ。
 その事実をテレビで知ったらしい彼女は、仕方ないという単語を口にしながらも、目に見えて気落ちしてた。だからというわけではないが、を自宅に誘ったのは安室にとって当然の選択肢であったのだ。
 安室透という男ならば、仮にも恋人という枠組みに入れたを気遣う。付き合おうといった動機は恋慕からくるものではないし、実際に付き合ってみても彼女に対してそのような感情がわくことはなかったが、ポアロによく来るコナン達のことを考えれば、の気持ちを無視するのは得策といえない。
 彼氏と彼女という間柄になって多少の時間が経過しても安室の意識は変わらなかったし、むしろ面倒事の種をまいてしまったかと、自分の行動を後悔したことすらある。
 そんな安室の気持ちをも肌で感じ取っているのか、時折、無理をして誘ってくれなくていいと否定的な台詞を口にする。
 ならば早いところボロを出してくれないかと、安室は恋人に対して酷いことを考えているのだが、残念なことにが自らの謎を提示することはない。
 このままではいくら時間をかけても安室が欲しい情報は得られないだろう。だからこそ、自宅に誘おうと行動を起こしたのだ。
 いくらとて二人きりの空間になれば自らの秘密を口にするかもしれない。否、してもらわねば困ると、安室はの口を割らせる手段を脳内で羅列していく。
さん、明日の夜はお暇ですか?」
 お冷やを提供しながらメニューを見ているに話しかけると、園子さんが「さんっ!」と鋭い声で彼女のことを呼んだ。
「明日……ですか? はい、特に用事はありませんけど」
「先日の埋め合わせをしたいのですが」
「先日……?」
「ほら、水族館の件じゃないですか?」
「あぁ……蘭さん達が大変な目に遭った……」
 眉間に皺を刻んで軽く目を伏せたが、何かの感情を吐き出すように細い息を吐き出す。その様を見ていたコナンが驚いたような表情を浮かべたが、隣に立つ安室からはの変化を捉えることは出来なかった。
「よければ僕の家に来ませんか? 夕飯をご馳走しますよ」
さんっ! お誘い、お誘いですよ!」
 肘で隣に座るを小突く園子に苦笑を浮かべ、安室は「いかがでしょう?」とに返事の催促をする。
「大丈夫だと思います」
「良かった。では明日までにリクエストがあれば教えてください。腕によりを掛けて作りますから」
「あれ? 安室さん明日はバイトお休みなの?」
「午前で上がりなんだよ」
「なるほど、それで午後はさんのために時間を使うと……くぅぅ、いいなぁ!」
 うっとりとした視線で宙を見つめる園子をじっと見つめるの横顔を眺めながら、安室は彼女に対して軽めのジャブをお見舞いしてみることにした。
さんのご自宅は何処です? 最近は物騒ですから迎えに行きますよ」
「私がお世話になっているのは、工藤さんって方のお屋敷なんですが……えっと、住所は……何になるんだろう」
「えっ、もしかしてさん新一の家にいるんですか!? じゃあ同居人って沖矢さん?」
「はい、同居人の方の名前は沖矢さんですね」
「コナン君は知ってた?」
「うん、僕が案内したから」
「いままで隠してたわね、ガキンチョ!」
 が素直に答えたことも安室にとっては予想外だったが、それ以上にあの胡散臭い男と共に住んでいるというのが気にくわない。
 安室はあの男が赤井秀一だと思っている。となると、の保護者とやらはあの男になるのだろうか。もしそうであれば、彼女を自宅に招くというのは軽率な判断だったかもしれない。
 が安室の自宅を散策するとは思わないが、FBIの息がかかっているすれば話は別だ。
「じゃあ僕は、沖矢さんの許可を取らないといけないのかな?」
 安室がカマをかけてみると、保護者は別にいるとが答える。
 どうやら保護者という存在を隠すつもりはないようだが、まだ油断は出来ない。こうなれば来日しているFBI捜査官の名を出すべきかと迷いを見せた安室に対し、は「オムライスお願いします」とオーダーを告げた。
「物騒といえば、通り魔捕まらないよねぇ」
 東都水族館の一件が起こる前から、米花町では通り魔による犯行が次々と起こっている。女性ばかりを狙う卑劣な犯行と報じられてきたが、大きな事件が起こったことにより現在は報道の頻度が減ってしまっているのだ。
「ここんとこは被害者も出てないみたいだしね。あ、あたしデザートプレート!」
 園子の発言に促されるよう、蘭とコナンも注文を終えてしまえば、安室はカウンターの内側に戻らざるをえない。ごゆっくり、という言葉をかけて踵を返した安室の背後では、コナン達が通り魔についての会話を続けていた。
「蘭さんは部活とかがあるんでしょ? 気をつけないと」
さんは知らないかもですけど、蘭ってすっごい強いんですよ! それこそ通り魔なんか目じゃないくらい!」
「でも、蘭さんだって女の子なんだし。もし傷でも付けられたら……大切な人が悲しむよ」
さん……」
 感動しているらしい蘭の声を遠くに聞きながら、安室はが発した声のトーンがわずかに下がったことが気になっていた。確実に、彼女は通り魔という名に反応している。それは何故か。
 ヒントが少なすぎる現状で仮説を立てても信憑性にかけるけれど、考えることは無駄にならないと安室は思っている。
 が日本まで捜しに来たという盗まれた物。それが犯罪に関わる物だったら?
 そう、例えば、何かの事件で使われた凶器――とか。
さんだって女の人なんですから、油断は禁物ですよ! ああいう犯罪者って何処から現れるのか分からないし」
「それを言うなら、コナン君と一緒にいる蘭さんの方が危険度高くないですか? だってコナン君って事件を引き寄せちゃう体質なんでしょう?」
「えぇ、おねーちゃん酷い、ボク危ないことなんてしてないよー」
「はぁ? 今更何言ってんのガキンチョ」
「まぁまぁ、園子。コナン君だって好きで事件に首を突っ込んで……うーん……」
「蘭ねーちゃんまでひどい!」
「コナン君も探偵だもんね。でも……ライヘンバッハの滝に飛び込むようなことはしないでね」
さんもホームズ好きなの!?」
「出身国だしね、彼を嫌いな人はいないよ」
 そういえば、あの憎い男もイギリスの出身であったことを思い出し、安室は人知れず奥歯を噛みしめる。
 たしかは日本国籍を取得していると言っていた。であれば、安室が部下に一本電話を入れればの素性は明らかとなる。
「……」
 だが、その選択肢は面白くない。と安室の中で待ったがかかった。
 あの工藤邸に居を構えているというのは気になるが、が組織と繋がっているとは思えない。そもそも、のように目立つ色彩を持った存在が裏側の世界で彷徨いていれば、すぐに情報が入ってくる。それがないということは、当面彼女の言い分である捜し物をするために来日した、という言い分を信じてやるべきだろう。
さんのワトソンは誰なんです?」
 出来たてのオムライスを携えながら安室がテーブルに近づくと、は安室の手にあるオムライスを見て目を輝かせた。
「おねーさんオムライス好きなの?」
「うん、大好き。卵料理全般が好きなんだけど、その中でもオムライスは特に好きなの」
 安室が持つオムライスを視線で追うの顔が子供じみていて、笑うべきではないと思っていたのに安室は自分の口元が緩んでいくのを実感してしまった。
「あ、それでワトソンですよね。私のワトソンかぁ」
 一瞬考える素振りを見せた後、はおもむろに安室を見つめ「安室さんがなってくれます?」と、安室が予想もしていなかった台詞を口にした。
「安室さんは探偵だからワトソン役は無理なんじゃない?」
「あ、そっか。残念」
 この話は終わりだとばかりに、スプーンをオムライスに刺したの反応がつまらない。
 もっと彼氏という立場にある自分に対して執着を持つべきなのではないかと、そんな考えが胸の内に発生したことに安室は内心で動揺した。
「僕は構いませんよ」
「え?」
さんのワトソン役、楽しそうじゃないですか」
 コナンとは違う意味で人たらしの要素があるらしい。蘭と園子が彼女に懐いているのが証拠だと安室が微笑を浮かべれば、は中途半端な位置でスプーンを止めたまま、安室の顔をじっと見つめて何かを考えているようだった。
「安室さんと一緒にお仕事が出来たら、楽しそうですね」
 裏表のない言葉が、安室の胸にするりと入り込む。
 トリプルフェイスとして多忙な日々を送る安室と、海外を拠点としているらしいが同じ仕事を出来るとは到底思えないけれど。
 実現しない未来を夢想するのは自由だと思考を切り替え、「そうですね」と安室は久しぶりに素直な感情を口にした。

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