「おねーちゃんこっちだよ!」
 耳の奥に残るような猫を被った声に促されて視線を上げると、珍しい色味を持つ女性がいた。
「コナンくん」
 店内の入口に佇んでいた女性の周囲だけ音がない、そんな錯覚に陥りそうなほど、するりと鼓膜まで滑り込んできた音に安室は瞬きを繰り返す。
 白い髪に紅い瞳。俗に言うアルビノという存在がいるのは知っていたが、実際に見たのは初めてだ。
 他の客もそうなのか、好奇心を抑えきれないと言いたげな視線を彼女へと向けている。
「梓さんメニューもらってもいいですか?」
 コナンの前に座る蘭が梓に尋ねれば、はっとしたように肩を揺らし「すぐ持ってきますね」と、追加のお冷やとメニューを梓が片手に持っていたトレーの上に乗せる。
「すごく混んでるんだね」
「安室さんの影響がすごいんだよね」
 自分の名前が出たことに驚いたような風を装えば、印象的な紅色が安室を捉える。
 まるで検分でもされているようだと居心地の悪さから出た苦笑に気付いたのか、美麗と呼ばれた女性は小さく頭を下げた後メニューへと視線を移した。
美麗さん何にする? ボクのおすすめはハムサンドだよ」
「サンドイッチは好きだけど、なんか赤いものが食べたくて」
 あかい、という単語に過剰反応しそうになった精神を押さえつけた安室の援護をするよう、コナンが「じゃあナポリタンにしたら?」と助け船を出す。
 ナポリタンに、ベリージュース。見事に赤さを連想させるオーダーを梓に伝えたところで、美麗は満足したようだった。
 店内に声が充満しているせいで、コナン達が何を話しているのか安室からは分からない。
 ただ、時折印象的な紅い瞳が細められるのが、純粋に美しいと思った。
「安室さん」
「はい、なんでしょう?」
 忙しなく動いている間にピークは過ぎていたのか、改めて店内を見回せば残っている客はコナンの他にもう一組だけ。
 休憩をとるには良いタイミングだと考えた安室の思考を後押しするよう、「休憩前にハムサンドだけ作ってもらっていいですか?」と梓が伝えてくる。
「ええ、わかりました」
「コナン君のところの追加オーダーです」
「珍しい、いつもはあまり食べないのに」
 運動をしているとはいえ蘭は現役の女子高生であり、暴飲暴食をすることはない。それは身体の細いコナンも同様だ。
 となれば、あとに残るのは美麗と呼ばれた女性の注文だろう。
 なんとなく、あの美しい存在の口に入るのかと思うと気分が高揚する。めずらしく浮き足だった気持ちで安室は少し多めにハムサンドを作り「このまま休憩に入らせてもらいますね」と、サンドイッチが盛られた二つの皿を手にコナン達の元へと歩いて行った。
「お待たせしました、ハムサンドです」
「ここのお店はサンドイッチを注文すると、店員さんもついてくるんですか?」
 見た目からは想像出来ない流暢な日本語を前に、安室は数度瞬きしてから人受けの良い笑みで口元を彩った。
「丁度休憩に入るところだったので」
 悪びれなく言う安室にコナンが冷えた視線を向けていたが、小さな探偵の視線に気付かないふりをし、安室は 美麗の隣へと腰を下ろす。
「ご一緒しても?」
「どうぞ」
 安室から距離をとるよう窓際に詰めた美麗の横顔を見つめながら、己が作ったサンドイッチが赤い唇の内側へと消えていくのを見、思わずといった風に安室は息を吐き出した。
「美味しいです」
「お口に合ったようでなによりです」
 遠目から見ていた時も思ったが、美麗の所作は美しい。カラトリーを使う指先も、グラスの中で泳いでいたストローを傾ける動作も、計算されつくした数式を見ているような気分にさせる。
「失礼ですが、美麗さんのご出身はどちらで?」
「イギリスです。でも、いまの国籍は日本です」
 なるほど、と同意の言葉を口にし、改めて横に座る存在を観察すると、白だと思われていた髪はプラチナブロンドだったのだと気付いた。
「ご職業はモデルですか?」
 安室の問いが意外だったのか、美麗はわずかに眉をあげ「しがない公務員ですよ」と苦笑する。
「へぇ、公務員?」
「みたいなもの、ということで」
 話しながらもサンドイッチを食べる手を休めない美麗。何気なく視界に入った彼女の爪先は丸く整えられており、健康的なピンク色が安室の視線を引いた。
「日本へは休暇ですか?」
 差し障りのない問いを投げかけた安室の声を受け、美麗の動きが一瞬止まる。すぐに何事もなく彼女は食べる行為を再開させたが、その一瞬の間は妙に安室の意識に引っかかった。
「ねぇ美麗さん、安室さんに依頼してみたら?」
「依頼?」
「なんでも、日本へは捜し物をしにきたみたいで」
「ホォー、捜し物ですか」
 探偵という職業には打って付けの依頼だと、行儀悪く指先についたソースを舐め取りながら言った安室に返事をしようとしたのか、少しだけ急いで食べかけのハムサンドを口の中に押し込んだ美麗は、「この近くにあるのは分かるんですけど」と奇妙な台詞を口にした。
「あるのは分かる……とは?」
「こう、妙な縁があるといいますか、なんといいますか……。生まれた時からの付き合いというか、なんとなく場所が分かるというか」
「捜し物は、人ですか?」
「うちから盗まれた物です」
 言い回しがおかしいのは海外で生まれ育ったせいかもしれないと自分の中で答えを出し、安室は次に探している物体の詳細を問う。
「宝石とかですか?」
「宝石……というよりは、鉱石ですかね?」
 ストローに口を付けながら首を傾げる美麗を見ていると、どうやら自分でも探しているのが何なのかはっきりしていないような印象を受ける。
 盗まれたというのは本当だろうかと疑ってみたが、あのコナンが信じているらしいので、おそらく本当なのだろう。
「ふむ……」
「安室さん……とおっしゃいましたか」
 隣からかけられた声に安室が顔を動かすと同時に、美麗がスンッと小さく鼻を鳴らす。
「はい、なんでしょう?」
「匂いが、しますね」
「臭いますか?」
 カウンターの内側で作業をしていたから、食材の臭いが服に付いているのかもしれないと袖口を鼻の方へ持ってきた安室に対し、美麗はゆっくりと首を振った後、花が綻ぶような速度で口もをと緩めた。
「遊んでくれそうな匂いがします」
「遊んで……?」
 意味が分からないと瞬きを繰り返した安室に美麗が何かを告げようと口を開いた瞬間、まるでその先は言わせないとばかりに美麗の電子機器が自己主張をした。
「おねーちゃん、電話じゃない?」
「ほんとだ。後で折り返さなきゃ」
 液晶画面に表示されているのは、Aという一文字だけ。折り返すということは、自分達に聞かれたくない相手なのだろうと推測し、何故か安室は自らの内側に重苦しい感情が発生したのを認識した。
 普段の自分であれば疎遠であるはずのそれには、嫉妬という二文字が付けられている。会ったばかりの相手に対して抱く感情ではないと理解しているのに、美麗が隠し事をしたという事実が気にくわない。
 だから、反射的に告げてしまったのだ。
美麗さん、僕と付き合いますか?」
「え?」
「僕は遊んでくれそう、なんでしょう?」
 女性受けが良いと言われている笑みを張り付けて言えば、分かりやすいほど美麗の表情が明るくなっていく。
 一体どのような意味合いで美麗が遊ぶという単語を口にしたのかはしらないが、タイミングを逃さないのが優秀な探り屋というものだ。
「よろしければ、是非!」
 両手を組みながら安室を見つめる美麗は、恋する乙女そのものだ。
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
 腹の探り合いにもならなかった展開に、期待外れだったと呆れかえる自分をなだめつつ、安室は相手に手綱を付けられた事実に満足感を得る。
「オイオイ、いいのかよねーちゃん……」
「うわぁ……こっ、告白現場に居合わせちゃった……」
 対面の席から飛んでくる温度の違う視線を受けながら、まずはあのスマホに自分の連絡先を入れさせようと、安室は後ろポケットにしまっていた自らの携帯を取り出した。

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