結局政宗さんを撒く事に成功したのは、あれから数時間以上経ってからだった。普段使わない筋肉を使ったせいで地味に節々が痛い。明日はきっと筋肉痛だ。出来る事なら金輪際関わり合いになりたくない。おそらく成就されない願いを胸に抱きつつ、特大級の溜息を吐き出せば視界の隅を赤いものが横切るのが見えた。
あれはもしかしなくても。
ここで会ったが百年目。今までは負い目もあって我慢し続けていたけど、政宗さんの相手をしていたせいで良い感じにテンションが上がってしまった今の私はひと味違う。
逃げるものは追え。
おそらく気付いていないであろう相手を、確実に捕獲すべく気配を殺して後を追う。付かず離れずの距離を保ちながら、相手が歩みを止めるのを待った。尾行すること数分、件の相手は端正に整えられた中庭で立ち止まった。何の因果か、そこは先程まで私が黄昏れていた場所。思わず政宗さんの気配を探ってしまったのは仕方ない事だろう。
「はぁ……」
真田さんの赤いはちまきが風に靡く。
「某は……」
風にのって微かに聞こえる呟き。読唇術なんて出来る訳ないから、真田さんが何を呟いているのかは分からないけれど、何かを悩んでいる風なのは理解出来た。
そっと、気付かれないように距離を詰める。真田さんからは見えない範囲を保ちながら……。一歩、また一歩と足を踏み出せば、ある一点でぎしり、と床が音を立てた。
「誰だ!」
そうですよね、いくらなんでも音立てたらばれますよね。
こうなったら正攻法で行くしかない。
「っ……! 沙希殿?!」
意を決して姿を現せば、途端に逃亡体勢に入る真田さん。ちょっと、いくらなんでも傷つくんですけど。この機会を逃せば次はいつになるか。
「Stop!」
音に力を込めて言葉にすれば、不自然な姿で真田さんの動きが止まる。
「な、なな……?!」
真田さんが逃げるのが悪い。と自分の事を棚に上げて近づけば、動かないでござる! と慌てふためく後ろ姿。
「沙希殿何を?!」
「真田さんが話を聞いてくれないんで……ちょっとだけ、反則してみました」
「ぶ、武士なら堂々と!」
「いや、私武士じゃないですし……」
「むぅ……」
ああ、この墓穴の掘りっぷりが懐かしい。
一体彼と言葉を交わすのはどれくらいぶりだっただろうか。
「某は何も話すことなど……」
「私には、あるんです」
真田さんに聞いて欲しいことが、少しだけある。
逃げる事を諦めたのか、真田さんは今まで纏っていた張りつめた空気を少しだけ緩めた。
「真田さんが私のした事を許せないのは当たり前です。居候である私が口出しをするなんて無礼にも程があるし、この世界の住人でない私が介入する事自体、許される行為じゃないって事も理解してます」
理解しているのに、手を……口をだしてしまったのは。
「私が戦を経験したのはこの間が初めてです」
もう強制力は無くなっている。にも関わらず逃げずに私の話を聞いてくれる真田さん。そんな彼の優しさに甘えて私は更に言葉を紡ぐ。
「でも……知ってるんです、きっと真田さん達よりも、もっともっと多くの」
時代の特定出来ない昔から、繰り返し行われてきた儀式のような。
ある時は欲望の為に。ある時は守るべきものの為に。ある時は自分の為に。理由は千差万別だけれど、結果として戦の果てには勝者と敗者のどちらかしか残らない。勝った者の言い分こそが、正しいものとして記録されるのだ。
「馬鹿げてるかもしれない。第三者から見たら理不尽な事かもしれない。一つの事を成そうとする時に流れる犠牲の多さを、一つの事が成された後に感じる心の虚無を」
私は、知っているんです。
「罰する事は簡単です。でも……許す事は、すごく……難しいんです」
「某には沙希殿の言いたい事が分からない」
真田さんが軽く首を振れば、彼に合わせて赤いはちまきが揺れる。揺れる赤さは、まるで武田の旗のようだと思った。
「期待を……してしまったのだと、思います。真田さんや、信玄公ならば、きっと……」
数え切れないくらいの結末を記録してきた。
その中で幸福な結末はどれだけあった?
「誰もが笑って暮らせる世の中に……してくれるんじゃ、ないかって」
微かに真田さんの肩が揺れる。
全く……何言ってるんだろ、私。期待の押し売りなんて迷惑以外の何物でもないのに。でも、思ってしまったのだ。初めてこの世界に来て、武田の人達を見た時にああ、もしかしてこの人達なら、と。私の知っている戦国時代とは違った世を見せてくれるんじゃないかって。
恐怖ではなく、懐柔でもなく、穏やかな大きさで包むような、そんな……。
夢を、見てしまった。
「私の考えを押しつける形になってしまって……申し訳ないと、思ってます。以後は……」
「沙希殿」
続くはずの言葉は真田さんの声によって遮られる。
「某は……某は……」
何やら真田さんの様子がおかしい。こちらに背を向けているせいで表情までは分からないけれど、もしかして赤くなってたりするんだろうか? 確か真田さんは女子が苦手みたいだったし。一日一度は真っ赤な顔で狼狽えてる姿を見ていた気がする。
記憶を辿り寄せる私の前で、真田さんがゆっくりと体を反転させ……。
「げっ」
思わず、声が出た。
「ちょ、ちょっと何号泣してるんですか?!」
目前に現れたのは想定外の表情。両目からは大洪水です、と言わんばかりに涙が流れてるし。
「沙希どのぉー」
私の名前を呼んで更に泣き出す始末。
名の通った戦国武将ともあろうものが、号泣とはこれ如何に?! むしろこの構図では私が悪者確定ではないか。
「さ、真田さん泣きやんで下さいよ。ね? 私が悪かったですから」
取り敢えず謝ってみたが、現状に変化無し。
むしろ更にヒートアップしてるような気がする。
「沙希殿、そ……ぞれがしば……」
言えてないし。
取り敢えず落ち着いてもらわらない事には話が進まない。いっそのこと放り出して逃げてしまいたい衝動が……。小さな子供相手ならまだしも、真田さんみたいな人をどう扱えばいいのか。
泣きやむのを待つしかないのか。
頬の筋肉が引きつるのを感じながら、いつ泣きやむかも分からない大きな子供を見守った。
「……落ち着きました?」
「……うむ」
流石に泣きすぎたのか、真田さんの声は多少掠れている。しかし……一体なんであんな事に。
「まぁ、あの……全面的に私が悪いって事で……」
未だ目尻に涙の残る真田さん。また泣き始められたらたまらないと、自分の非を口にすれば、大げさなリアクションが返ってくる。
「沙希殿のせいではござらん! 某……自分の小ささに嫌気がさしたのだ」
「はぁ……?」
「沙希殿はお館さまのようであるな!」
これって、どうなの? 褒め言葉なの?
仮にも女子に向かって、お館さまのようだ、って……。突っ込むべきか、喜ぶべきか……はたまた聞かなかった事にするべきか。
「器の大きさに、某感動したでござる!」
「はぁ…………??」
どうやら褒められているらしい。
にしても。
「さ、真田さんもう少し落ち着きましょうよ、ね?」
「何故だ?」
「いや……ほら……その」
自分の声の大きさに気付いていないのか。あんなに遠目から視線を送られているのに。ああ、刺さるような眼差しが痛い。武田軍の人達からは絶対真田さんを虐めたって見られてるし、伊達軍の人達は面白がってるような視線を送ってくるし。
いっそ見るなら正々堂々近くで見るがいい! なんて言ってしまいたくなる。
「沙希殿の気持ち、しかと受け取った!」
「あ、はぁ。それは良かったです、はい」
遠くの方で女性特有の黄色い声が聞こえた気がした。
気のせい、気のせい。
「真田、テメェふざけた事言ってんじゃねぇよ」
突如聞こえてきた声に体を反転させれば。
「何をでござるか」
「俺のhoneyが困るような台詞吐くんじゃねぇって事。understand?」
ああ……また、出たよ。
しかも勘違いのおまけ付き。
「訳が分からぬ」
「Ha! 上等だ。お前とはケリを付けたいと思ってたんだよ」
「お相手致す!」
犬猿の仲ってやつなのかな。
仲裁しなくては、と今にも斬り合いを始めそうな二人の間に入れば、邪魔をしないでくれ、とか邪魔だ、といった非難の言葉が注がれる。
「退け! 沙希!」
「下がってくだされ、沙希殿!」
ぷつん、と自分の中で何か切れる音が聞こえた。
「お黙りなさい!!」
力ある言葉が空間を支配する。
空気までもを凍てつかせる強力な言霊の前に、両者はその場で動きを止めた。
「いい歳した大人が! 恥ずかしいと思わないんですか! 少し頭を冷やして来たらどうです!? 幸い外は雨が降り始めたみたいですしね!!」
音がしそうな程きつい視線で両者を睨み付け、私はその場を後にした。
後日、私を怒らせると死者が出る。などといった不本意極まりない噂を耳にしたが、気にしないでおいた。
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