「……あったま……痛い……」
「当たり前です。熱があるんですから」
布団の中から眺める制限された景色の寂しい事寂しい事。
先日謙信公を説得する材料を用意すべく、夜を徹して作業したのが敗因だったらしい。まぁ百歩譲って徹夜のせいではなかったとしても、その後催された宴会が完全なる追い討ちになったのは間違いない。昼前から始まった大宴会は夜が更けても終わる気配が無く、結局床についたのは朝日が昇り始めた頃だった。
「本日は絶対安静に」
「はぁ……」
熱がある上に気の遠くなるような不味さの薬を無理やり飲まされて、動き回る元気なぞ残っているわけがない。
「殿も時々無茶をなさる……」
「……返す言葉もございません……」
己の吐く息が熱い。きっと体温計で計ったら38度は超えているんじゃないだろうか。眩暈にも似た視界の歪みと、全身を支配する寒気には覚えがある。
「まぁ……ゆっくり休んで早く治す事です」
「……善処……します」
現代なら注射か点滴すれば一発なのに……。こういう時は非常に不便だと少しだけ懐かしく思いながら、眠る為にゆっくりと瞼を下ろした。
「安心しておやすみ下さい」
そっと頭を撫でてくれる小十郎さんの手が、母親を彷彿させて軽く口元が緩む。きっと本人に言ったら愕然とするだろうから胸のうちにしまっておこう。ゆっくりと伝わってくる己以外の温かさを感じながら意識を手放すのに、そう時間はかからなかった。
「さて我々の任務はこれからですぞ」
「りょーかい。任せてちょうだいな」
「…………」
「……ガンバリマス」
姿無き人物の気配が消えた事を確認して、小十郎は息を吐いた。苦しげな表情を浮かべながら眠る彼女の安眠を今は護らねば。
「最大の敵が主というのも……皮肉なものですね」
苦笑を一つ漏らしながらに視線を向ければ、ふと笑ったような気配がした。
「そこを退け佐助」
「旦那の頼みでも今日だけは聞けないんだな」
顔の前に片手を持ってきて形だけは謝罪のポーズをとる武田の忍。本来ならば使えるべき主に異を唱えるなどもっての他だが……。
「今回ばかりは、流石に……ね」
以前が寝込んだ時の事を思い出し佐助は軽く溜息をついた。あの時は筋肉痛で唸る彼女に無理矢理治癒を頼み、なんだかんだで休ませてあげることは出来なかった。しかし今回は彼女の回復が最優先事項。その為の障害となれば敬愛する主でも、というのが独眼竜の片腕である片倉の言葉。まさかあの堅物な御仁からそのような言葉が発せられるとは思ってもみなかったというのが佐助の本音。
だが冷静に考えてみれば片倉景綱の言葉ももっとも。もし西の出であるがこの地の病に冒されでもしたら? ただの風邪ならば寝れば治るだろう。しかし、万が一にでも慣れない土地の病に倒れ命を落とす事があったら? 自分達は貴重な守り手を無くす事となる。未だどんな奇術を行使しているのかは理解に苦しむが、確かに傷は癒え、奇跡が起きるのだ。これから乱世を生き抜く上で勝率を上げる貴重な存在を失う訳にはいかない。
「念には念をってね」
力ずくで通り抜けようとする幸村に予め仕掛けておいた罠を発動させる。
「くっ!! どうあってもか!」
「これもお仕事なんで」
「……家臣相手に随分手こずってんじゃねぇか。なぁ真田!」
見えない太刀を紙一重でかわし、連撃を避ける為に距離を保つ。
「Reluctantだが……そうも言ってらんねぇ」
楽しげに口角を上げる政宗に佐助は背筋を冷たいものが這うのを感じた。二人の実力は自身が良く知っている。無論己一人で太刀打ち出来ない事も。
「これは……働かせすぎでしょう……」
眼前に立つ鬼二人。引けば引いたで待っているのは鬼の参謀。どちらにせよ……。
「厳しいねぇ……」
無理と分かっていながらも対応せねばならないこの現状。少しでも多くの時間を稼ぐのが自分に課せられた役割なれば。
「頑張るしかない、ってね」
相手が行動を起こす前に仕掛けた罠を一斉作動させた。
「小十郎、そこを退け」
Do it quicklyと続く言葉をあっさり受け流し、なりません。と一蹴する。
「殿のお頼みなれど聞く訳には参りません」
「Un? お前誰に向かって口きいんだ」
所々焦げた後のある衣服と、おそらく真っ先に行動を起こしたと思われる真田幸村が居ないところから推測すると、猿飛佐助は健闘してくれたようだ。
今頃はきっと目も当てられぬ惨状になっている事だろう現場に思いを馳せ、多少の嫌気を覚えつつも己の脇を抜けようとする政宗の前に立ちはだかる。
「Hey,二度は言わねぇぞ。そこを退け、小十郎」
「なりません。と申し上げました。まさか耳まで遠くなった訳ではありますまい?」
「テメェ……」
普通の人間ならば、発せられる殺気のみで気絶する事もあるだろう。だが、そこは育ての親。一筋縄ではいかない。
「殿。いつからそのような聞き分けの悪い子供に成り下がったのですか?」
奥州筆頭ともあろう御方が。
満面の笑みで紡がれる言葉の温度の低さに、政宗は歩みを止める。
いつだって小十郎は政宗の隣に在る存在で、敵に成りうる可能性など計算した事もなかったが。初めて向けられる殺気にも似た冷えた感情に一歩を踏み出す事が出来ない。
「そういえば……政務の停滞もどうにかして頂きたいですねぇ……」
「What?」
「武田の傘下に入ろうとも、殿が奥州を統べている事に変わりはありますまい。信玄公もそのようにおっしゃっていたではありませんか」
政宗が武田信玄の元に付く事を決めた際、信玄は政宗に今まで通り奥州の事を任せるといった。自分達よりも、その土地に詳しい者が管理するのが一番良いと。甘い事を言う人間だと内心一笑に付していたが……まさか、こんな時に政務の話題を持ち出してくるなんて。
「ご自分の立場、お忘れになるほど……」
切られた後の言葉を、雄弁に瞳が語る。
「うっ……」
「さ、参りましょうか……政宗様」
にっこりと音がしそうな程浮かべられる満面の笑み。
「yea.....」
最強にして、難攻不落の壁がそこに存在した。
「んっ……」
遠くから聞こえる鳥のさえずり、活動する人の気配。
「…………朝……か」
重い腕を緩慢な動作で天井へと向けてみる。怠さは残るものの、昨日まで全身を支配していた妙な寒気も、熱気もない。
「良薬口苦し、って本当だったんだ……」
やはり人間健康が第一だ。今度からはなるべく無茶は控えよう。と己自身に言い聞かせ、上体を起こせば背中に張り付く衣服が不快感を与えてくる。真夏に密室の中で鍋でも食べたらおそらくこんな気分になるのだろう、と馬鹿げた事を考えながら湯浴みをするべく着替えを探す。
「早くさっぱりして、挨拶しないとなぁ」
何もかもがぼろぼろの現状で人前に出れる程、女は捨てきれていない。
「かすがさんとか謙信公とも色々話してみたいし」
一つの戦が終わった後は、多少なりとの準備期間を有する事を前回の戦で知った。となればやるべき事は一つ。ゆっくりと新しい土地の見学をする事。こういう時客人的な扱いをされるのは非常に楽で好ましい。
「色々楽しみ!」
我ながら素晴らしい回復力だと自画自賛しながら、脳裏に浮かべるのは楽しい計画。
「始めの一歩はお風呂から、っとね…………」
湯浴みの準備も整え、意気揚々と襖を開ければ。
「…………」
その光景を敢えて形容するならば地獄絵図。
こちら側に手を伸ばして点々と倒れている人間。散乱するトラップの数々。認識出来る限界らへんに落ちている赤い色と周りを覆う黒い炭。この廊下で一体何が……? と推測せずにはいられない状況に。
開けた襖を、閉めた。 |