先の戦から早3日。未だ上杉謙信は口すら聞いてくれない。
 謙信公の居城である春日山城に着いたのはそれから更に数週間後の事だった。現代ならばものの何時間で着く距離が何日もかかるなんて不便極まりないと思いつつ、それ以上に軍全体に漂う空気の重さが疲労を倍増させる。そりゃ……敵総大将を連れて敵の居城に入城するんだから重くない訳がない。しかも相手は信玄公の宿敵ときたもんだ。
 時折向けられる非難めいた視線に気付かない振りをしながら、頭の中で思いつく限りの説得材料を掻き集める。長い年月を経て積み上げられた因縁を、どうしたら覆す事が出来るのだろうか。
「Keep your chin up! 下ばっか向いてたら憂鬱な気分からは抜けられねぇぜ」
 後ろからもたれ掛かるように腕を回してくる政宗さん。
「ちょ……お、重いんですけど」
「重くしてんだから当然だろ」
「…………」
 周囲から送られる視線が痛い。特に武田の方々から送られる視線が、妙に突き刺さる。中には私という存在を良く思ってない人だって居る。そりゃ……信玄公や幸村さん達は良くしてくれるけど、全員が同じ考えを持っているとは限らないのだ。
 そういう意味では伊達の人達と居る方が気が楽ではある。政宗さんの人柄のせいかどうかは分からないけれど、あちらは実力主義な節がある。
「まぁた暗ぇ顔してんな」
「い……いっ!!!」
 不意打ちにされたデコピンに、本気で脳が揺れた。
「Ah? 大げさだな」
「…………!」
 自分が六爪を操る馬鹿げた握力の持ち主であると、自覚はあるんだろうか。きっと無いに違いない。たかがデコピン、されどデコピン。痣になったらどうしてくれるんだ。
「そうdifficultに考えんなって。お前はやりたいようにやれば良いんだよ。俺ン時みたいにな」
 You see? 続いた言葉に額を抑えたまま視線を向ければ、優しい感触が頭上に降ってくる。まるで子供をあやすように、何度も。
 まさか年下に慰められる日がこようとは。軽い敗北感を味わいながらも、口元は緩い弧を描いた。
「で、実際どうすんだ? 
 何か策はあるのかと尋ねられても、即答出来ないのが悲しいところ。
「一応面会はさせてもらえたんですけど……やはり、相手が相手なので」
 上杉謙信は現在、自身の部屋に軽い軟禁状態で拘束されている。唯一の救いとしては、謙信公がこちらの意図に従ってくれている事か。実力行使すればいつでも逃げ出せる状況であるのに、大人しく幽閉されてくれている。
 さすが一国の主……という事なのだろうか。
「あの堅物をオトスのは至難だろうなぁ」
「ええ……本当に」
 政宗さんの時とは訳が違う。
 このままじゃ……本当に。
殿! それに政宗殿もここにいらっしゃったか」
「幸村さん?」
 真冬だというのに、未だ素肌に上着を羽織っただけというあり得ない格好の紅い武人。
「お館様が話があると」
「Ah? 信玄の爺が俺等にか?」
「左様」
 時間切れ……かな。
「分かりました、すぐに伺いましょう」
 春日山城に来てからすでに一週間。期限としては妥当だろう。
 重い足を引きずって信玄公の元へと向かう。
「お館様、殿と政宗殿をお連れ申した」
「うむ、入れ」
 信玄公に宛われた部屋へと足を踏み入れれば、そこには何故かかすがさんと佐助さんの姿。何故忍である二人が?
よ。自身でも分かっていると思うが」
「……はい。……明日中に」
「…………」
「うむ」
 言われない言葉に含まれる意味が分からない程馬鹿ではないつもりだ。
「では、準備がありますので……失礼致します」
「気を付けるのだぞ」
「はい」
 幸村さんを中に残して部屋を後にする。詰めていた息を吐き出せば何故か涙が出そうになった。
 これで……私に残された時間は一昼夜だけ。
「小十郎なら……」
「え?」
「あいつも神職の出だからな」
「政宗さん……?」
「Han俺の片腕は頼りになるぜ?」
 ニヤリ、と戦場で見せる笑みを浮かべ小十郎さんの元へと向かう。本当にこの人は人の痛みに敏感なんだから……別の意味でタチが悪い。

「それで、私の所へ?」
「Yes.お前なら良い案くれると思ってな」
「私程度の知恵で宜しければ献策させて頂きましょう」
「だ、そうだぜ
 有り難すぎて涙が出そうです。
 要点を掻い摘んで小十郎さんに説明すれば、端正な顔に陰りが差した。
「上杉謙信を説得する……ですか。なんともまぁ……難題をお抱えですね」
 全くもってその通りです。
「あの堅物に正攻法で攻めてもぱっとしないだろ?」
「私もそう思って、かすがさんに頼んでもらったんですが……それも駄目で……」
 かすがさんの説得ならばきっと謙信公も。と思っていたのはどうやら甘すぎた考えだったらしい。完全にお手上げ状態な今、もう頼れるのは小十郎さんしかいない。
「上杉謙信といえば、旗印からも分かるように毘沙門天を崇拝している事で有名です。となれば、そのあたりから攻めるしかないかと思われますが」
「…………毘沙門天……から、ですか??」
「Ah-……成る程な」
 訳が分からない状態の私とは違い、政宗さんは何かを理解したようだ。
「そりゃちぃーとばかし無理なんじゃねぇか?」
「ですがそれ以外に策は無いかと」
「す、すみませんが説明御願いします」
 恥を忍んで聞けば、珍しく渋面を作りながら政宗さんが口を開く。
「Un……何かmiracleな事でも無い限り説得要素にはならねーって事だ」
「Miracle……? 奇跡……ですか?」
「正攻法では埒があかない。となれば、上杉謙信の気を引く何か提示するしかない。彼の方が側に置く忍が無理ならばそれこそ神懸かりな事柄でも起きない限り、意識をこちらに向ける事は出来ないでしょう」
「可能性は低いな」
「……そう……ですか。お時間裂いてくださって、有り難うございました」
「あ、おい?」
 深々と一礼をし、私は小十郎さんの部屋を後にした。

 酷く疲れた。息を吐くたびに、一歩踏み出すたびに、段々暗い想いが侵食してくる。見守ってくれる視線も、非難がましい視線も。見つからない答えと残り少ない時間の前には何もかもが重圧にしか感じられない。
 自分で選んでおきながらこの有様。本当……笑っちゃうわ。今だってほら……嘲笑するように粉雪が舞い始めている。因縁も何もかも。この粉雪みたいに降り積もって、溶けて無くなってしまえばいいのに。
 実現しない理想を脳裏に描いて目を閉じる。
 足下から伝わってくる寒さと、頬に触れた微かな感触に再度目を開ければいよいよ本格的に降り出しているようだった。
「日本海がわは……毎年凄いもんね……」
 明日の降雪量は何メートルになると推測されます。お出かけの際は十分に注意して……。そんな気象予報士の声が聞こえた気がした。
 舞い散る粉雪。地面を埋めていく白さ。
「あぁ…………そうか」
 奇跡を起こさねば無理だろうと小十郎さんは言った。
「あっは……馬鹿みたい」
 いつだって、ソレは私の専売特許だったじゃない。
「ホント……焦ってる時って、駄目ね」
 今一度軽く目を閉じて。粉雪舞う中、謙信公が幽閉されている部屋を見上げる。
 誰も何も言えなくなるような、そんな奇跡を。
「やってやろうじゃない」
 遠目でもはっきり分かるくらい笑って、私は行動を起こすべくその場を後にした。

「謙信様! 謙信様!!」
「どうしたのです。そんなにあわてずともここにいますよ」
「そ、外を!」
 促されて格子越しの世界を見遣れば。
「ほう……これはまた」

「Ohこりゃ見事に積もったな」
「殿!」
「なんだ小十郎、そんな大声出さなくても……」
「それどころではございませぬ! 殿が!!」
が、なんだって?」

「……見事だねぇ……」
 音もせず背後から現れた気配に苦笑を一つ。
 降り積もった雪の上を歩いているのに音がしないというのは奇妙なものだ。やっぱり忍の人達は身軽なんだなぁ、と分かりきった事を再認識しながら佐助さんの方へと向き直る。
「苦労しましたよー。時間が足りないかと思いました」
 うっすらと肩に積もった雪を払いのけ城の周りを見渡す。昨日から降り始めた雪の御陰で何処までも広がる銀世界が目に痛い。
「Hey! !!これはお前の仕業か?」
 廊下から掛けられた声に視線を移して軽く手を振れば、顔を覆う政宗さんの姿と、傍らで困ったような表情を浮かべている小十郎さんの姿が確認できた。
チャン、取り敢えず中に戻ろうよ」
「もう少しだけ」
 心配をしてくれるのはとても嬉しい。でも……あの人がこの場に居ないのでは意味がない。
 材料は揃った。後は……一騎打ちをするだけ。
 真夜中から走り回って、すでに末端の感覚は無いに等しいけれど。止まない雪と何処までも続く純白に映える景色が役不足だなんて言わせない。
「やりおったな
 雪を踏みしめる音と共に掛けられた暖かみのある声に、微笑が浮かぶ。
「自画自賛するのもなんですけど、綺麗でしょう?」
「うむ。見事だ」
 くしゃり、と頭を撫でる手がとても大きく、暖かく。冷えていた体に熱が戻ってくるような錯覚を覚えて軽く目を閉じた。
「あ……」
 ふと上げた視線の先に白い軍神とかすがさんの姿を捉え、傍らの信玄公を見上げればウィンクのお返し。どうやって切り出そうか迷っていた時にこのプレゼント。本当戦国時代の人って先読みばっかして。
「行ってきます」
「ああ、行ってこい」
 信玄公の元を離れ、一歩一歩雪を踏みしめて歩く。誰も言葉を発しない空間はとても静かだ。自分が立てる足音と、しんしんと降り積もる雪だけが世界の全て。謙信公まで後五メートルの距離で歩みを止める。
 大きく深呼吸をして。ゆっくりを両腕を肩の位置まで上げて。
「天は武田を祝福します」
 舞い散る粉雪と純白の世界を覆い尽くすように、咲き乱れる桜の嵐。
 真冬である今の時期に咲くはずの無い桜。その全てが一夜で満開の姿を披露した現実。これを奇跡と言わずして何と言おう?
「そなたのしょぎょうか?」
 初めて聞いた上杉謙信の声に鳥肌が立った。
「いつの世も、奇術に秘密は付き物でしょう?」
「なぜしんげんにつく」
「信じているから」
 射抜かれそうな眼光に臆せず、真っ直ぐに謙信公を見据えれば。
「おもしろい」
 予想外の言葉が返された。
「たけだをまもるものがなにであるか、みきわめるのもまたいっきょう」
 これって……。
「宴の準備ぞ!」
「は?」
 突如後方から上がった声と呼応するように上げられた歓声に耳を塞いだ。いつのまにか大量に増えたギャラリーが準備に取りかかるべく忙しなく動き始める。
「え、あの……ちょっ……?」
「かように見事な桜。宴をひらかぬは無粋というもの」
 楽しげに騒ぎ始める他の人達を見ていると、自分だけが悩んでいるというのも馬鹿らしくなってくる。結果良ければ全て良し。それでいいじゃない? 今は自分の成した事を褒めてあげてもいいだろう。そう、言い聞かせて待っていてくれる人達の元へ早足で歩き出す。
 気紛れで振り返った先には仲良さげに微笑み合う謙信公とかすがさんの姿があった。

 一つの問題が解消され、新たな道が開ける。
 次は一体どんな人に出会えるのやら。
 微かな不安と期待を抱きながら空を仰げば、雪は止んでいた。

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