「上杉を攻めようと思う」
突然言われた物騒な台詞に、慌てて湯飲みを落とす所だった。
何が起きているのかいまいち理解していない頭を総動員して、信玄公に向き直れば戦神の名に相応しい笑みを向けられた。武人とは強い者と戦うのが好きな人種なのだろうか? まぁ力こそが全てなこの時代には相応しいけれど。
「……何故そのような事を私に?」
抱いた疑問を投げかければ、信玄公は探るような視線を投げかけてくる。まるで罠を張る子供のようなそれに、何故か背筋が伸びた。
「よ、上杉は伊達とは違う」
歴史に疎い私とて、武田信玄と上杉謙信の事は知っている。確かに因縁の仲である者を同じ陣営に引き込むのは容易ではないだろう。例え相手が承諾しようとも罠である可能性の方が絶対的に高い。信玄公は……私が政宗さんの時と同じ事をすると考えているのだろう。
実際その通りなのだが。
「ワシはワシらの戦いをするまで。その中でがどう動こうがお主の勝手だ」
だがな、と告げられた言葉に部屋の温度が下がった気がした。
「怪我をする事は許さんぞ」
「え?」
予想と違う台詞に思わず聞き返してしまう。
「ワシはお主がやろうとしている事を咎める気はない。ワシはな……楽しみなのだ」
私の行動が招く未来が楽しみなのだと、信玄公は快活に笑って言う。自分達では想像も付かない未来を運んでくる私が見ていて面白いのだと。
「、思うがまま存分に駆けるがいい。ワシはの事を信頼しておるよ」
唖然とする私を見つめながら、策が成ったとばかりに破顔する信玄公。信頼してる……だなんて、そんな事……簡単に言って良いんですか? 突然戦場に現れて、武田の軍に置いてもらって敵将であった政宗さんを引き込んで。素性も分からないのに好き勝手する私に、そんな言葉言っても……良いんですか?
私の頭に手を乗せ、そのまま勢い良く撫でる信玄公。左右に手が動く度に脳みそが揺れているような感覚に陥った。もう、こんな事されたら抱えた悩みが吹っ飛んでしまうじゃないですか。知ってか知らずか頭を撫で続ける信玄公を、揺れる視界で捉えれば懐かしい人の事を思い出した。
信玄公が次の戦場を選択した事はその日の内に広まった。
参戦する人達は武器の手入れや、家族との別れを惜しんだりと色々忙しそうに動きまわり、幸村さんや佐助さん達は戦場の打ち合わせをしている。では政宗さん達は……と思いきや、こちらも遠征の準備に追われていた。
「良い天気」
武器の手入れも、別れる家族も、打ち合わせも準備もする事の無い私は、また縁側で茶を飲むハメとなった。意外と人に構ってもらえないというのは寂しいものだと思ってしまって、振り払うように熱い茶を流し込む。
ワタシは独りで在る事に慣れていたハズなのに。いつからこんなに弱くなってしまったのだろう。先の事を考えれば独りでなくてはならないのに。そう遠くない未来に訪れるであろう別れの時の為に……。こんなでは先が思いやられる。自嘲するように笑みを浮かべれば遠くで鴉が鳴いた。
出兵の御触れが出てから数日後、相変わらずのんびりとした時間を過ごしている私の元に幸村さんがやってきた。
「殿、その……今回も……行くのか?」
歯切れの悪い口調で告げられた言葉に思わず苦笑が漏れた。幸村さんが心配してくれてるのは分かる。おそらく今回の戦は伊達の時よりももっと大きな被害が予測されるだろう。誰だって因縁の対決となれば全力以上の力を発揮するだろうし。
「行きますよ」
幸村さんの心情に気付かないふりをして答えれば、途端に歪められる顔。
「某……此度は殿を守れぬやもしれませぬ」
「幸村さん?」
今にも泣きそうな顔で言葉を綴る幸村さん。一体何があったのだろうか? 核心に触れないよう遠回しに促せば、今回の戦で幸村さん達は別働隊を率いて参戦するらしい事が分かった。確か……啄木鳥戦法という名が付けられていた気がする。史実ならば結果的には成功するんだったっけ?
「殿には戦場に出てほしくない……」
幸村さんの言いたい事も分かる。
でも、引く訳にはいかない。
「大丈夫ですよ、ね? 前回も怪我しませんでしたし、自分の身なら自分で守れますから」
「しかし……!」
「幸村さん」
「しつこい野郎は嫌われるぜ、真田」
突如降ってきた声に振り返れば、政宗さんが襖に手を掛けた状態で立っていた。
この人の声を聞くのも久し振りのような気がする。
「の事なら俺に任せとけ。テメェはテメェの成すべき事を遂げりゃいいのよ」
Understand? と続けられた言葉に真田さんは俯いた。
「政宗さん……」
「Oh……辛気くせぇな……。、俺がアンタの事を守ってやるよ」
それでいいだろ? と自信に満ちた不遜な笑みで告げる政宗さんが、今日ほど頼りに思えた事はない。
「元々武田と上杉の戦いだ。俺等は保険って形で参戦する。その事は信玄の爺にも言ってある」
だから守るだけの余裕があるのだと。
筋の通った理屈を告げられ反論出来る幸村さんではない。
「じゃ俺もまだ用が終わってないんでね。See you」
開けた襖を閉めようともせず、踵を返す政宗さんに幸村さんは深々と頭を下げた。まさか……幸村さんが政宗さんに頭を下げるなんて。思ってもみなかった行動を目にした私は、幸村さんが行動を再開するまで目が離せないでいた。
夜が浸食してくる。
肺を満たす冷たい空気をゆっくりと吐き出せば、気温の低さを視認出来た。出立の日を明日に控え、普段よりも明るい夜が在る。光は消える事なく夜を迎え、それを照らすように月が昇る。ずっとこの暖かみが消えなければ良いと、願いにもにた感傷を抱えながら、私は己がすべき事を成す為に中庭へと出た。
白い月を真上に捉え、その月を掬うように両手の平を上に向け、正面に差し出す。軽く息を吐いて、吸って……ゆっくりと己の中を空にすれば、自身を媒介として力を行使する準備が出来た。
音のような言葉を紡いで満ちる力を感じる。本来の半分にも達しない速度だけれど、上手く発動した事に安堵の息を漏らした。
この世界に来てから使った事の無い力ばかり行使している気がする。知識の上では息をするような簡単さであるハズのものが、何故こんなにも難しいのだろうか。世界が違うというのもあるだろうけれど、今更ながらに己の所持するあってはならない力の大きさに眩暈がした。
「何やってるのか聞いていーかな?」
「発信器を作ってるんですよ」
背後から掛けられる声に意識を分断させて対応すれば、すぐ側で佐助さんの気配を感じた。
「発信器?」
「現在位置を知らせる道具、って感じですかね」
蛍のように揺れる光を両手に集めて凝縮する。
「近くで見ても?」
「平気ですよ」
差し出した両手の真横に立ち、不思議そうに光の乱舞を見る佐助さん。月の加護と元となる闇に私の力を流して固める結晶。白い光は闇と混ざり合い溶け再構築されて、小さな水晶のような形をとる。
「佐助さん手出してもらえます?」
手の中に落ちた小さなソレを落とさないように、差し出された佐助さんの手へと移す。
「…………これが?」
面白そうに手の上で転がす佐助さんに、まず一つ。
「大事に持ってて下さいね」
「りょーかいっと」
佐助さんが結晶を仕舞ったのを横目で確認して、同じ作業を繰り返す。ゆるりと舞い始める光を突くような素振りを見せながら佐助さんは言う。
「なーんかチャンって何でもありって感じ」
屈託のない笑顔で告げられた言葉に、そうですね。と笑みを返した。
聡い人は苦手だ。十中八九無意識下で告げられた言葉に、跳ねた心臓を悟られてはならないと浮かべた笑顔は成功しただろうか?
何でも有りというのは、あってはならない事象。
自分が起点である歪みは、この世界にどんな影響をもたらすのだろうか。埒のあかない考えに頭の隅を占領されながら、作業を続ける。
結局、必要な分が出来上がったのは空が白み始めた頃だった。
「ねっむ…………ぐえっ!」
前を行く赤い色を半目で見つめていたら、首を暴力的な圧迫感が襲った。
「Han……色気のかけらもねぇな」
馬上に引きずり上げられたと認識するのと、圧迫が解かれたのはほぼ同時。
文句を言ってやろうと開いた口は酸素を求め、言葉にならない音を乗せて咳き込んだ。普通に考えて首根を掴んで持ち上げればどうなるかくらい分かるだろうに。
「Oh、悪ぃな」
誠意のかけらも見えない声色で謝罪されても意味がない。むしろこの人相手に口で勝てるとは思わない。非常に無念だが諦めるしか……ないのだ。保身のために。
「もうしないで下さいよ」
恨みではなく懇願を口にすれば背後で笑う気配。
「はぁ」
ささやかな嫌がらせとばかりに、背後の人物に体重を預ければ微かに驚いたような振動が伝わってくる。
「珍しい事もあるもんだ」
すぐに降りると思ったぜ。と続いた言葉に軽く息を吐いて。
「着いたら起こして下さい」
まるで電車かバスにでも乗ったような台詞を吐いた。
背から伝わる温度は緩やかに意識を溶かし、眠気を誘う。
「Have a good night's sleep」
笑っているのか、はたまた馬が与える振動なのか。
微かに揺れる体と、落ちないようにと回された腕が酷く熱いように感じた。
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