煩い……。ゆっくりと眠りたいのにひっきりなしに届く音の洪水に苛立ちが募る。人が寝てるんだから、少しくらい気を遣ってくれてもいいのに。唸りにも似た声の重奏に混じる何かを裂く音と銃声。
銃声?
脳裏に浮かんだ疑問に意識がゆっくりと浮上する。
「血の……に、お……い」
五感が伝えてきた事柄を口に乗せれば、一気に覚醒した。
「どこよ……ここ」
木々の向こうに古風な格好をした人達が見える。赤い旗を背に、片手に剣を持って……。これこそ夢だろうか? 都合の良い方向に思考を持っていっても、嗅覚が、触感が、これは現実だと伝えてくる。
「…………本陣へ退け!」
耳に届く一際大きな声に体が跳ねた。
本陣、という言葉から推測するにここは戦場で間違いないようだ。どうやら私は本来帰るべき場所とは違う所に落ちてしまったらしい。全くもってついてない。何度目かの自己嫌悪に陥っている間に赤い人達は目の前から消えていた。本陣へ撤収したのだろう。
人の気配が消えたのを確認してそっと前に出てみれば。
「?!」
視界の隅にある木の門付近で、先程まで見ていた人達と同じ赤い衣装に身を包んだ一人の男性が倒れていた。
「ちょ、ちょっと貴方大丈夫?!」
俯せに倒れた彼から広がる赤さに焦りが生まれる。
「しっかり!」
この場所に来てしまったのは不本意意外の何ものでもないけれど、目の前で人が死んでいくのを黙ってみている訳にはいかない。
駆け寄って彼の体に触れれば完全に失われていない暖かさが伝わってきた。今ならまだ、間に合うかもしれない。力任せに仰向けにすれば腹部に致命傷と思われる裂傷を発見した。
「頑張ってよ……っ」
上手くできた事なんてほとんどないけれど。
彼の腹部に両手を当て治癒をするべく精神を統一すれば、淡い光が溢れ出す。
「絶対、助けるから……!」
ゆっくりと、だが確実に消えていく裂傷に安堵の息が漏れた。こんな事ならもっとちゃんとヒーリングについて教示を受けておくべきだった。過去の自分に舌打ちしつつなんとか治療を終える。
「止血は、出来たみたいだけど」
流れた血の量が多すぎる。このまま寝かせていたら、傷を塞いだ意味もなくなってしまうだろう。なんとかして彼を安全で暖かい場所まで連れて行かなくては。
「お、おっも……い!」
腕一本持ち上げるのにこの苦労では、運ぶ事など出来るはずがない。
どうしよう……どうしたら助けられる?
半泣き状態の私に掛けられた声は、まさに奇蹟というしかなかった。
「……誰……でも……」
「…………いや、…………信じ……」
途切れ途切れに聞こえてくる声に瞼を震わせる。
「……旦那……無理は、……」
男の人が発する旦那、という言葉が何故か酷く引っかかった。妻が夫の事を旦那、と呼ぶのは分かる。だけど同性に対して使うとなると……凄く、古風じゃない? 答えを出そうとして、自分が今居る現状を思い出した。
「うぉ!」
急に起きあがった私の目に飛び込んできた二人の男性。一人は迷彩服に身を包み、もう一人は……素肌に上着を羽織っていた。
一瞬変質者かと思ったのは当然の思考だと、思う。だって素肌に革ジャケットぽいの羽織られてたらね。
「あ、あんた……大丈夫か?」
「え? あ、はあ大丈夫、ですけど」
迷彩服の人の話によれば私は丸一日半ほど寝ていたらしい。なんて勿体ない時間の使い方! 布団を握りしめ微かに肩を震わす私に何故か掛けられる気遣いの言葉。もしかしなくても勘違いされた?
「聞いてもいいですか?」
内心に渦巻く自己嫌悪の嵐が一段落ついたとこで、今自分が居る場所の確認に入る。
「ここって何処です?」
私の問いに目を丸くしながらも、迷彩服の人は躑躅ヶ崎館、と答えた。さっぱり分からないんですけど。
「もっとおおざっぱに言うと?」
「武田の大将が収める土地さ」
ああ、理解。
………………武田?
「えーっと失礼ですけど、あなた方は?」
なんか非常に嫌な予感がした。
「俺様は猿飛佐助」
「某は真田幸村でござる!」
猿飛佐助に真田幸村? では、武田、というのは……。
「そういやアンタの名前も聞いてないぜ」
「あ、失礼しました。私って言います」
私の名前を呟きながら何か考え事をする風な猿飛さんと、その横で嬉しそうな笑みを浮かべる真田さん。そういえばあの人ってもう動き回って大丈夫なのかな。私が寝てる間に回復したとか……? そんな馬鹿な。セルフツッコミを入れている間にも疑問は募っていく。
「チャン、単刀直入に聞くぜ? アンタ何者だ」
途端に鋭い目つきになる猿飛さんに思わずたじろぐ。何て、説明すればいいんだろう。違う世界から来ちゃいました、って?
「何者か、と問われるとすっごく難しいんですが……」
未来から来ました? 異世界から来ました? その前に私の事はなんて説明すればいいんだ。
悩む私を庇ってか、真田さんが佐助の破廉恥者! と叫んだ。
「おいおい旦那、茶々入れないでくれよ」
「おおおお、おなごの事情を聞き出すとは……はれんちであるぞおおお!」
「ちょ、ま……旦那、落ち着いてって……聞こえてねーし」
咆吼を上げる真田さんを見ていると、傷を癒したのは夢だったのではないかと思ってしまう。ああでも本当になんて言えばいいんだろう。
ここがどうやら過去の日本だということは理解した。おそらく武田、というのはかの有名な武田信玄の事だろう。と、なると時代は戦国。厄介な事になった。
唯一の救いは自分の力がこの場所でも発揮出来る事。これで……殺される心配は減った。いざとなったら力づくで逃げればいいのだから。
「えーっと……何者か、っていうのは答えづらいんですけど、ここからずっと西の方に居ました」
猿飛さんに聞こえるように言葉を紡げば、真田さんが殿は異国から来たのか! とまた大きな声で吼えた。
「居ました、ってどういう事?」
「や……私も良く分からないんですけど……。気付いたら、あの場所に居て……真田さんが目の前で倒れてたというか、なんというか……」
「そうでござった! 殿! 某を助けて下さって有り難うでござる!!」
「へぁ? あ、どうもこちらこそ」
真田さんの迫力に押されて変な返事になってしまった。
「取り敢えず大将に会わせない事には先に進まないな……」
「うぉぉぉぉお館様あああぁぁぁ」
猿飛さんの大将、という言葉に反応して真田さんは部屋から走り去って行ってしまった。
「…………」
「…………」
「……ごめんね……いつも、ああなんだ」
「……い、いえ……」
妙な沈黙が支配する空間で、私と猿飛さんは真田さんが去っていった方向を見つめていた。
まぁ、元気そうで……なにより、かな……。
妙に疲れたのはきっと、気のせいだと……思いたい。
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