ノックは軽く二回。室内から響く気怠そうな声を確認し、乾いた音を立てるドアを開ける。
「失礼します、お呼びですか? 星月先生」
「呼んだ呼んだ。まぁ適当にかけてくれ」
 月子ちゃんが掃除した後なのか比較的綺麗な室内に安堵し、すすめられた椅子に腰を掛ける。わざわざ呼び出すなんて何事だろうと琥太郎さんの言葉を待てば、「茶を淹れてくれ」なんて聞き慣れた台詞が飛び出したので肩すかしを食らった。
「まさかお茶淹れる為だけに呼んだんじゃないですよね?」
 疑念を抱きながら眉を顰めると、わざとらしい「まさか」が飛び出してくる。何処までも軽い言葉はヘリウムのようにふわふわと飛び、弾ける。
「どうぞ」
「悪いな」
「悪いと思っているなら用件を言って欲しいものですが……」
 ちゃっかり淹れた自分の分を口に含めば、琥太郎さんの苦笑が心地良く鼓膜に響いた。気怠い雰囲気とは裏腹に、琥太郎さんの声はすんなりと私の中を通過していくから不思議だ。
「用件というのは、忘れ物を夜久に届けてやってほしいんだ」
「月子ちゃんに?」
 掃除しに来た際に置いていってしまったのだと琥太郎さんは微笑む。口元を緩やかに彩る笑みはどこまでも穏やかで、見ている方が気恥ずかしい気分になってしまった。以前からは考えられない春の日だまりのような微笑を目の当たりにし、改めて月子ちゃんの存在は大きいのだと確信する。
「構いませんけど、弓道場へ持って行けば会えるのかな」
「この時間だと生徒会の方だろうな」
「ああ、役員やってるんでしたっけ」
 両手に抱えきれるだけ抱えてしまう月子ちゃんは、時々見てて怖くなるほど。いつかプツリと糸が切れてしまうのではないかといらぬ心配をしてしまうが、きっと彼女はそれすら楽しいと笑うのだろう。辿り着いた答えに口元を緩めれば、いつの間にかこちらを見ていた琥太郎さんと視線が絡んだ。
「どうしました?」
、学生は楽しいか?」
「楽しいですよ」
 今更何を聞くのかと問い返すと、これまた珍しく困った表情を浮かべた彼が視界に納まる。少しずつとはいえ、内面の感情が表に表れるのはいいことだ。
「ふぅ……御馳走様でした。忘れ物届けに行ってきますね」

 絶妙なタイミングで呼ばれた名前に中腰の状態で動きを止め、次の言葉を待つ。
「いや、その……頼んだ」
「はい、頼まれました」
 何か言いたそうな琥太郎さんを後目に、話は終わりと保健室を後にした。さて、肝心の生徒会室はどちらだったか。分からなくなったら誰かに聞けばいいと思いつつ、一応案内板を確認してから歩き出す。
「たしかこっちの方だったと思ったんだけどな」
 ふと、一定のリズムを刻んでいた自分の足音に異音が混ざるのを感じ歩みを止めた。上の方からパタパタと軽快に降りてくるのは一体誰だろう。
「あの、すみません!」
 大きめに発した音に軽快だった足音が止まる。互いが数歩前に出れば踊り場で鉢合わせるに違いない。未だ見ぬ相手に好奇心を抱きながら相手の出方を待つこと数十秒。
「ぬぬ? 君は誰なのだ」
 ひょこっと顔を出してきた男性は、少しだけ幼い。
「ちょっとお聞きしたいのですが生徒会は――」
「翼!」
 私の声を遮って鋭く届いた音に、先程まで見えていた男子生徒が視界から消える。
「ぬいぬい! どうしたのだ?」
「どーしたじゃねぇ!! 大丈夫か!?」
「ぬぬぬ?」
 翼と呼ばれた男子生徒を心配する、ぬいぬいと呼ばれた男子生徒。何が起きているのかと踊り場まで足を進め眼前に広がる光景をぼんやり眺めていたら、翼と呼ばれた男子生徒の向こう側に居た人物と視線が合った。
「ったく心配……ん?」
「あ、どうも」
 驚きの表情を全面に押し出しこちらを見つめる男子生徒が……ぬいぬい君、だろうか。元の名前が想像出来ないあだ名を疑問に思いながらも、会釈を返しておく。しかし、彼は何をそんなに驚いているのだろう。
「あっと、悪い」
「あーっ! そういえば君何かを聞こうとしていたのだ!」
「生徒会の場所を教えて頂けると嬉しいんですが」
「ぬ?」
 互いに顔を見合わせる二人。
「お前、転入生のだよな?」
「はい」
「俺は不知火一樹。生徒会長だ!」
 不知火だから、ぬいぬいなのか。……納得。一人頷く私の行動をどうとったのかは知らないが、先程出会った男子生徒は天羽翼と名乗ってくれた。若干瞳の奥に潜む暗さが気になるが……彼等も月子ちゃんと関わり合いがあるようだし、彼女の影響を受けていれば良い方向に進むだろう。
「お二方が生徒会の人ならば、これお願いしてもいいですか?」
 月子ちゃんの忘れ物を前に差し出せば、不知火生徒会長が「自分で渡した方がいい」と生徒会室まで案内してくれることになった。なんとなく生徒会長さんに案内してもらうのは気が引けるが、迷って時間を浪費するよりもお言葉に甘えてしまったほうが良さそうだ。
「変な事を聞くが……、お前はなんともないか?」
「本当に変な事ですね……何を指してなんとも、と言っているのかは分かりませんけれど、体調ならば良好ですよ」
「そうか。なら、いいんだ」
「変な生徒会長さんですねぇ」
「ぬいぬいはいつも変なのだ!」
「言ったな、コイツ!」
 仲良くじゃれあう生徒会メンバーを微笑ましく見つめながら、先程問われた問いの意味を考える。実は不知火一樹という人間の事は本人に会う前に知っていた。先の未来が視えるという星詠み科の三年生で、カリスマ溢れる生徒会長。
「ほらほら、前を見て歩かないと危ないんじゃないですか?」
「っと、忠告ありがとな」
 不知火さんが階段を踏み外しそうだったので声を掛けると、照れたような年相応の表情を浮かべ髪を掻き上げる。うん、やはりこの学園には美人さんばかりだ。改めて受け止めた現実に頷きながら私達は生徒会室までの道を賑やかに歩き続けた。

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