「答えは決まったかしら? 
 豪華な椅子に腰掛ける美女は絵になると関係無いことを考えながら、人当たりの良い笑みを口元に浮かべる。田舎と形容してなんら遜色のない場所に建てられている星月学園。天文関連のスペシャリストを育成するという信念にもびっくりだが、生徒のほぼ十割が男子というのが一番の驚きだろう。
「今から言うことは、私なりに良く考えた結論だということを先に申し上げておきますが……面白いとは、思います」
「それで?」
「ですが、私は確実な情報を元に行動したいのです」
 私の回答に美女――琥春さんは一言、「予定通り」と言葉を漏らし、楽しげに微笑んだ。

 

 「ついでに琥太郎にも会っていってやってよ」理事長室を後にする際掛けられた言葉に従い、保健室へと向かう。授業中なのかすれ違う人影がいなかったのは幸いだった。隔離された空間において異色な存在が発見されてしまうとすぐに噂が広がってしまうし、今後の為にも現時点で会う人物は必要最低限に止めておきたい。
「保健室保健室……っと、ここかな?」
 軽くノックをするが中から返事はない。
「人の気配はあるみたいだけど……」
 勝手に入ってもいいものかと逡巡すること数分。このまま立ち尽くしていても拉致が開かないと閉ざされている扉をゆっくり押し開ける。軋む音もなく滑らかに動く扉から見えた風景に唖然としつつ、目当ての人物を捜すが……やはり居ない。
 音を立てぬよう扉を閉め、改めて室内を見渡した。カオスという単語がしっくりくる部屋は衛生的とは言い難い。仮にも病人が訪れる保健室がこの有様でいいのかと米神を押さえ、未だ感じる人の気配を慎重に辿る。
「……寝てる?」
 薄いカーテンをそっと開けば、白衣を着た美人さんが眠っていた。
「姉弟揃って勝ち組だわね」
 白い肌に流れ落ちる髪も、男にしたら長い睫も、アイロンのあとが少しだけ残っている白衣も、彼という存在を構築する要素の全てが、完成された一枚絵のように静かに存在している。起こすのが勿体ないと感じるが、起きてもらわないことには先に進めない。
 もう少し見ていたいという気持ちと、会話をしたいと思う気持ち。相反する感情を抱いたまま、そっと投げ出されていた指先に触れる。
「あったかい」
 生きているのだと当たり前の事を確認すれば、知らずに苦笑が漏れる。彼と最後に会ったのはいつだったか……。ぼんやりと昔を思い出していたら、触れていた指先がぴくりと動いた。
「おはようございます?」
 焦点の合わない瞳が何を映しているのか分からないけれど、こちらの声は届いたのかゆっくりと視線が動く。スローモーションのように動く仕草をじっと見つめていたら、寝起き独特の掠れた声が柔らかい響きを保有して私の名前を形成した。
「……え? ……?」
「はい、私です」
 確認するよう私を見た後、上体を起こした時の違和感を感じたのか触れたままの指先に視線が落とされる。
「寝てたみたいなので」
「あぁ……」
「まだ寝ぼけてます?」
「いや」
 片手で髪を掻き上げる仕草も色っぽい。無駄な色気とは良く言ったものだと感心しながら、「お久しぶりです」と頭を下げる。
「本当に、なのか?」
「私が私でなかったら、此処にいる私はドッペルゲンガーか幻覚ということになっちゃいますよ」
「それもそうだな」
「ええ、ですから起きて下さい」
 気怠そうな気配を纏ったままの保健室の主に向き直れば、ひょこんと跳ねた髪が挨拶代わりとばかりに揺れる。綺麗な髪なのに寝癖がついてしまっているのは勿体ない。跳ねた髪を元に戻してあげたいが、生憎と片指は絶妙なバランスで拘束されている最中だ。
「なぁ。なんでお前がここにいるんだ?」
「やっとその質問ですか」
 苦笑混じりに問えば悪かったなと聞き慣れた台詞が返ってくる。そういえば、彼とこんなに近い距離で話すのも久しぶりだ。
「今日は琥春さんに呼ばれてたんですよ」
「姉さんに?」
「実は以前からちょこちょこお誘いを頂いてまして」
「あぁ……臨時教員の件か?」
 すらりと出た内容に、そういえば彼が理事長代理をしているのだと思い出す。保健医と理事長代理の二足のわらじは大変だろうに良くやると感心し、だから先程は昼寝をしていたのかと現状を把握した。
「色々あるから即答ってわけにはいかなくて。でもまぁ……さっき答えは出してきたところです」
「ほう?」
「それより。この部屋掃除しないんですか? 仮にも保健室なんでしょう?」
「仮にもとは失礼だな。ここはれっきとした保健室だ」
 寝足りないと大欠伸を漏らしながら薄いカーテンを左右に引く彼。
「お前が片付けてくれるか?」
「高くつきますよ」
 いつだって彼の回りには物が溢れかえっている。公私混同というか、これはもう彼の性格ゆえなのだろう。正確にある場所を把握できるわけではないが、ぱっと見で判断のつくものからあるべき場所へと収めていく。まったく、私は片付けをしに来たわけではないのに、そこのところは分かってくれているのだろうか?

 呼ばれた声に振り向くと、悪戯めいた瞳と視線が絡む。
「名前、呼ばないのか」
「あら、呼んでもいいんです?」
 意図的に排除していたことに気付くとは流石の洞察力だ。
「俺が呼ぶなと言ったか?」
「いいえ」
 彼の名前を呼ばないのは、昔抱いていた僅かな恋心に蓋をするため。
 あらかた片付け終わった部屋を満足気に見回して、最後に主である彼へと視線を向ける。分かっているのかいないのか。確信犯なのかそうではないのか。
「琥太郎さん……もう少し、片付ける努力はしましょうよ」
「お説教なら間に合ってるぞ」
「お説教ではなくてですね……。まぁ、そのうち片付けてくれる人が来るから大丈夫か」
?」
 疑念を含んだ声に気付かないフリをし、近くにあった急須にお湯を注ぐ。場所が場所だけに安物かと思いきや、そこそこ良い茶葉を使っているのはちゃっかりしているといるとしか言いようがない。
「どうぞ」
「ありがとな」
 美人が手にすると湯飲みすら綺麗に見えるから不思議だ。静かにお茶を啜る琥太郎さんを横目で確認し、窓の外に広がる景色へ視線を移す。人工的な灯りを限りなく排除しているこの場所ならば、さぞや綺麗な星空が拝めるのだろう。
「もうすぐ春ですね」
「そうだな」
「春が、来るんですよ」
「うん? 聞こえてるぞ」
 出会いと別れの季節は誰の元にもやってくる。
「楽しい季節になりますよ、琥太郎さん」
 静かな保健室内に鳴り響くチャイムの音に耳を傾けながらそう言えば、「おかしな奴」と苦笑混じりの声が耳朶を擽った。

 

 これは季節が巡る、少しだけ前のお話。

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