不便極まりないこの世界でも、好きだと思える事はいくつかある。
10:あけゆく空の色
「さっむ」
白い息を吐きながらそっと窓を開ける。
流れ込んでくる冷たい空気に肩を竦めて、これでもかという程重ね着した上着を着込み直せば、なんとなく寒さが緩和されたような気がした。便利な生活が当たり前になっていた現代からすれば、温度調節が出来ないのが一番不便だと思う。熱源といってもタカが知れているし、我慢にも限度がある。
「ガンバレ、私」
声を出すことによって自分のしたい事を再確認し、己を奮い立たせる。こんな寒さに負けている場合ではないのだ。
「よっと」
窓から屋根に降り立てば、足下から伝わる寒さに身が強張る。まるで雪の上を素足で歩いているような感覚に、部屋に戻るべきか真剣で悩んでしまった。今更戻ったって、どうせ布団は冷えてしまっているんだし、今日こそやりたかったことをやるのだ。万が一にも滑って落ちたりしないように、慎重に足を運びながら目当ての場所まで歩いていく。
「もうすこし、かな」
なんとか辿り着いた事に安堵しながら腰を下ろせば、着ぶくれした簡易雪だるまの出来上がり。少しでも熱を逃さないようにと身を縮める己が滑稽で、自嘲の笑みが漏れた。
「寒……」
空を仰げば白い月と満天の星。
どうしようもないくらい不便な世界に、現代人の私は不満ばかりを覚えてしまうけど、自然が美しいと感じられるのは嬉しいことだと思う。いつだって大切なものは、失ってから気付く。それでは遅いのだと分かっていても、全ては後の祭り。綺麗なものを綺麗だと、そう胸を張って言える世の中はとても素敵な事。
「いつから人は高慢な生き物になってしまったんだろう」
何気なく漏れた呟きに答えなんてないけれど。
「なーにやってンのチャン」
考える事を許さないとでも言いたげに掛けられる声。いつからいたの? なんて佐助さんにとったら聞く方が野暮というものだろう。どうせ私が部屋を抜け出す時から着いてきてたに決まってるんだから。
「奇遇ですねー。いつから居たんですか?」
お約束のように一応聞けば「今帰ってきたとこ」と予想外の答え。
「ご苦労様です」
「本当、俺様引っ張りだこで大変よ」
稼ぎ頭だしね。と笑いながら言う佐助さんは、自分を殺す事に長けているのだと実感する。喜怒哀楽が激しい忍っていうのも居たら見てみたいけど……。一瞬脳裏にかすがさんが浮かんだけど、彼女の為に一応振り払っておいた。
「で、何してるの?」
「実はですね、朝日を待ってるんです」
「は?」
微かに色づく地平線から視線を外さず言えば、呆れたような口調で「物好きだねぇ」と声が降ってくる。
「寒いの我慢してまで見たいもんかね?」
「あー……佐助さんには分からないかもしれませんねぇ」
澄み渡った空気と、地平線を見ることが出来る環境が当然な世界に住む人達には、この感動は分からないかもしれない。ビルの谷間に沈む太陽ならば、何度も見たことがある。でもこの世界に来て、朝靄の中ゆるりと世界を照らし始める光を見たときに、なんて美しいのだろうと涙が零れたのを覚えてる。
普段見ているのと同じ色なのに、何故こうも美しく映るのだろうかと。
「無くなってからじゃ、遅いんですよ」
いつか失われる風景を目に焼き付けておきたい。
「チャンって時々難しい事言うよね」
「そうですか?」
「悟りきった老人みたいだって思う事もあるけどさ」
「うっわ、酷い」
仮にも女性に向かって、老人は酷いだろう。
「デリカシーのない人は嫌われますよ」
冗談交じりにそう言えば「これでも俺様モテルのよ?」と本気か嘘か分からない口調で答えが返ってくる。飄々としている、と言ってしまえばそれまでだけど、佐助さんと話していると掴み所がなくて困る。無神経な発言で他人を傷つけるような人間にはなりたくないし……かといって、私の持つ常識がこの世界ではどう映るのか。
「チャン、余所見してていいの?」
いつの間にか隣に腰を下ろした佐助さんに促され、俯き加減だった顔を上げれば自然が織りなすグラデーションが目に飛び込んできた。
「綺麗……」
夜が終わり、朝が来る。そんな当たり前の事が感動に繋がるなんて、今までは考えてもみなかった。徐々に侵食してくる光を眺めていたら、当然あるべき言葉を伝えてないことに気付いた。
「佐助さん」
「ん?」
「今更と思うかもしれませんけど」
「なーに?」
行動が読めないといった感じで首を傾げる佐助さんに、今出来る限りの笑顔を作って。
「おかえりなさい」
私の言葉に一瞬驚いた表情を浮かべたけど、すぐにいつもの笑みを浮かべて「ただいま」と嬉しそうに佐助さんが答えた。
END
この作品は紗柚様に捧げさせて頂きます。
企画へのご参加、有り難うございました!
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