もし今日の自分が
 明日の自分と同じであるならば、
 今日の自分は昨日の自分の奴隷にすぎない。
 人間の特質はそうではなくて、
 日々新しく創造的にきのうの自分を乗り越える、
 そこに人間の本質がある。

 

 1:起き抜けの哲学者

 

「なにそれ?」
 宛われた部屋の天井からつり下がって問う佐助さんに、寝起きで回りきらない頭で言葉を紡ぐ。
「とある数学者の言葉ですよ」
「数学者?」
「ええ、数学者……」
 この世界に数学者という人種は存在しなかったか、と虚ろな頭で後悔しつつどうはぐらかそうかと思考を巡らせば、冷たい空気が肌をさしたので、ずり落ちていた布団を引き上げた。
「むかーしの人って、良いこといっぱい言いますよねぇ」
「例えばどんな?」
「本当の真実というものはいつでも真実らしくないものだ。真実をより真実らしく見せるためには、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。だから人間は常にそうしてきたものだ」
 佐助さん達にも、時には必要でしょ? と口角を上げれば、まぁね。と皮肉な笑み。
「ほかには?」
「他ですかー?」
 ぼーっと天井を見上げる私の前で、佐助さんは綺麗に一回転して着地した。十点満点。広い会場の中央で、ポーズを決める佐助さんの姿を想像しすれば、自然と口元が緩む。やはりまだ寝惚けているのかもしれない。
「Learn...」
「え?」
 寝惚けた視界と、寝惚けた頭。朝特有の気怠さの中で、一つの言葉が脳裏に浮かぶ。
「Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow」
 有名な、有名すぎる学者の言葉。
チャン、俺様伊達の旦那じゃないからさァ」
「とてつもなく頭が良くて、偉くて、哀しい人の言葉なんです」
 この世界にぴったりの言葉が持つ意味は、色々にとれすぎて。希望ととるか、後悔ととるか、思いは人それぞれだけど、一番佐助さんに送りたい言葉であることは確か。
 この言葉を、彼の有名なアインシュタインはどんな思いで残したのだろう。
「昨日から学び、今日を生き、明日へ期待しよう。という意味なんですよ」
「へぇ……」
 ねぇ、佐助さん。
「明日を思う事ってありますか?」
「え?」
 この世界が、いかに不安定なものか知っている。昨日の友は今日の敵。そんな事が当たり前の世界で、佐助さん達が何を思うのか。
「生きるべきか、死すべきか。それが問題だ」
 戯曲の一文を芝居がかった口調で言えば、佐助さんの表情が僅かに曇る。
「未来を見れない人が、先に進めるとは思えないんですけどね、私は」
 希望を持たない人は脆い。
 先を見続けるからこそ進める場合もある。
 今の、私のように。
チャン寝惚けてる?」
「ええ、確実に」
 そう私は寝惚けているのだ。普段は言わないような言葉を口にするのも、全ては寝惚けているせいなのだ。
 障子越しに差し込む柔らかな光を背に、困ったとも捉えられる表情で私の相手をする佐助さん。いつも佐助さんを見る時は逆光になっているような気がする。
 だから。
「おわっ!?」
 所在なさげに垂れていた手を力の限り引っ張ってみた。
 どさり、と音を立てて私の横に倒れ込む佐助さん。
チャン何するの」
 びっくりしたよー、と棒読みで言われても信憑性がない。
「佐助さん寒くないのかなーと思って」
「引っ張ってみた、って?」
「そう」
 起こしていた上半身を再び横たえ、顔の半分ほどまで布団を引き上げる。
「あーチャンは寒がりだしね」
「私が普通で、皆さんの感覚がおかしいんですよ」
 布団に残っている温もりが、再び睡魔を誘う。
「ねー佐助さん」
「ん?」
「私ね……思うんですよ」
 馬鹿にされてもいい。
「夢は、見るためにあるんだって」
 逃避の為じゃなく、原動力に変換する為に人は夢を求めるのだと。
「俺様も……そう、思うよ」
「えー嘘くさい」
「何でそこで否定するの!?」
「だってー佐助さんだし?」
「ちょ……チャン、それ……ちょっと、酷くない?」
 酷くなんてないですよぉ……とくぐもった声で告げれば、半分になった視界の向こうで泣き真似をする佐助さんの姿を捉えた。
「……チャン?」
「はぁーい、なんです?」
「眠いの?」
 再び訪れた暗闇の外から、佐助さんの声が聞こえる。
 眠い、凄く眠い。
 次第に虚ろになっていく頭では、佐助さんが何を言っているのか判別する事は難しかったけれど、おやすみ。という単語は聞き取る事が出来たので、おやすみなさい。と口を動かす。
「まったく……チャンには振り回されるよ、ホント」
 苦笑混じりな、人聞きの悪い台詞が耳に届く。
「佐助、さん」
「なーに?」
 知ってました?

 運命がカードを混ぜ、われわれが勝負するんですよ。

 伝えたい、と思った台詞が、ちゃんと伝わったのかどうかは分からないけれど、なんとなく笑った気配がしたので、それで良いと思った。

 END


この作品は仰空露祇様に捧げさせて頂きます。
企画へのご参加、有り難うございました!

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