10/31夜。
あり合わせの食材で夕飯を作っている最中に、来訪を告げるチャイムが鳴った。こういう時小宇宙で誰が来たのか判別出来れば楽なのに。と苦笑を漏らしながら火を止める。後少しで煮えそうだったのに……冷める前に対応を済ませなくては。
「はいはい、今開けますよー」
連続で鳴るチャイムに急かされ、早足で玄関へと向かえば。
「Trick or Treat!!」
「は?」
開けた途端現れた姿に、思わず後ずさる。
「な、何してるんですか……」
「何って、今日はハロウィーンだろ! だ、か、ら。お菓子くれ!」
黒いマントに身を包んで、子供とは言い難い表情で脅迫してくるその人は……仮にも女神の聖闘士ではなかったか。これでいいのか、黄金聖闘士。
「ほらほら、早く!」
「え、あ……」
「もしかして……は悪戯の方がイイのか?」
してやったり、といった雰囲気で紡がれる言葉には、普段と違う色が含まれていて軽く目を見開いた。そんな私の表情に気を良くしてか、ミロさんは一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「いっ、今持ってきますから!」
近すぎる距離から逃げ出すべく踵を返せば、背後から舌打ちのような音が聞こえたが、気にしない方が身のためのような気がした。
「はい、どーぞ」
「……用意周到だなぁ……」
ミロさんに板チョコを渡して、笑顔でドアを閉める。
ああ……カレーに入れる予定だったチョコレートが。安堵と切なさが入り混じった、苦い溜息を吐き出しながら感じるのは、嫌な予感。
一呼吸ついてから急いで寝室へ向かい、時計を見遣れば時刻は丁度19時を指していた。
ミロさんがここまでやってきたのだ。どうして他の人が来ないと言えようか。サガさんとかアルデバランさんは別として……他にもイベントが好きそうな人は何人かいる。気付いた瞬間、言いようのない悪寒が背筋を駆け巡った。
先程のでお菓子、と呼べるものは無くなってしまった。もし、次に厄介そうな人が来たら…………。
「ど、どうにかしなきゃ」
作りかけのカレーをコンロから外し、オーブンのスイッチを入れる。
「薄力粉……は、ある。バターも確か残ってたし……」
お菓子を作るのに必要なものを掻き集め、急いで準備に取りかかる。今日執務に当たっているのは確か……ムウさんと、カノンさんだったはず。帰りに寄る可能性は、十二分にある。
「気合いよ、気合い!」
聖域に来てから時間に追われる事はなかったのに……。まさかこんなところでこんな目に合うとは。
ハロウィーンの馬鹿!! と心の中で叫びながら、必死で生地を練った。
「ーTrick or Treat!!」
「はい、どうぞ」
「お、流石に用意がいいな。……って、これ面白い匂いがしてっけど……」
「気のせいですよ、気のせい。さっ私は忙しいんで失礼しますね」
何人目かの来訪者に即席クッキーを押しつけ、玄関のドアを閉める。
「……多めに焼いておいて、良かった……」
少しばかり嫌味の籠もった、カレー味クッキー。美味しいか不味いかなんて、この際関係ない。ようはお菓子があればいいのだ。
「はー……疲れた……。もう駄目」
大量に焼いたはずのクッキーは底を尽きかけ、次の人の分があるかないか、という程度の残量しかない。
「メイドさん達まで来るのは……反則でしょーよ」
まさか聖域の人間がお祭り好きだとは思ってもみなかった。これも全て沙織ちゃんの影響なのだろうか? だとしたら年相応で可愛い……と思えなくもないけど。
「しかし……どうしよう」
脳裏に描いた怪しい人物は、未だ二人程来ていない。もし、私の推測が当たっているとすれば……最後の一人分のお菓子は無いという事になって……。強制的に悪戯を選ぶしか道は残されていないわけで……。
考えると悪寒がするのは、きっと気のせいじゃない。
「あ……そうか」
会わなければいいんだ。
会うことがなければお菓子を渡す必要もない。つまり、悪戯を選ばなくても良い。こんな簡単な事に、何故気付かなかったのか。考える事が出来ない程、切羽詰まっていた自分が可哀想過ぎて涙が出た。
「善は急げ、ってね」
逃げるならあの場所しかない。
唯一の安全地帯を求めて、私は家を後にした。
「さっむ……!」
最近夜出歩く事なんてなかったから、ここの標高が高いという事をすっかり忘れていた。骨まで凍みる寒さに、両手で肩を抱く。せめて上着を持ってくるべきだった。長袖シャツにカーディガンだけでは寒すぎる。が、今戻って来訪者に鉢合わせしようものなら、元の木阿弥。
「あ、あと20分の辛抱よ……私!」
翌日になってしまえば、誰に会っても問題はない。それまでなんとか耐え抜けば……。目の裏にちらつく安息という二文字を噛み締めながら、階段を上る。
「うー風邪引いたら、ハロウィーンのせいなんだから……」
愚痴を吐く度、口から漏れる白い息。
寒さで上がる息を整えようと深呼吸すれば、冷えた空気が肺を満たして余計に寒くなった。……私の馬鹿……。
自己嫌悪もしたくなるっていうの。
もっと早く今日という日に気付いていれば……街に逃げたのに!
「はぁ……」
出てくるのは重い溜息だけ。
いっそ、ここで時間が経つのを待とうか。残り時間を確認する為に時計を見遣れば、先程見たときから5分しか経っていなかった。
「寒……」
「そんな所に座っておるからだ」
「!」
居ないはずの空間から聞こえた声に背筋が伸びる。ここなら……この先ならば、誰もいないはずなのに!
「何をしておる。早う来んか」
「……っぅ」
風に乗って流れてくる声に逆らっても無駄な事。なら実力行使される前に、自らの意志で行くのがプライドというものだろう。
「なんで、いるのよぉ……」
「何故と言われても……後から来たのはお主だろうに」
満点の夜空をバックに、風に靡く豊かな髪と、法衣。
ポストカードにでもなりそうな光景に、軽く目を伏せればシオン君の押し殺した笑い声が耳に届いた。どうせ、薄着で来た私を笑ってるに違いない。
「ほれ、近くに来んか」
広げられた腕が暖かそうで、吸い寄せられるように歩が進む。そう、シオン君が暖かそうな格好をしているのが悪いのだ、と自分を正当化しながら、彼の腕に収まれば思ったとおりの温もりがそこにあった。
「冷え切っておるな」
「しょうがないでしょ……慌てて出て来たんだから」
私の言葉の意味が分からないといった風に、シオン君は片眉を上げる。その仕草が面白くて、言う予定など無かった言葉が、口をついて出た。
「Tric...or Treat」
「成る程、難儀だったな」
一言で全てを悟ったシオン君は、咽の奥で笑う。
「笑い事じゃないわよ……本当に。夕飯もろくに食べれなくて、大変だったんだから」
「拗ねるな拗ねるな。しかし……」
「?」
「私も菓子をやらねばならんかな」
「あ……!」
お菓子をくれなきゃ、悪戯するよ。
自分の言った台詞に後悔した。いつから居るのかなんて知らないけど、スターヒルに居るシオン君がお菓子を持っているとは考え難い。かといって、悪戯する気なんて元々ないし。聞かなかった事にしてくれ、と訂正すれば、そうはいかん。と意固地な答え。
「私が悪かったから」
「仮にも聖域を任されている身、約束を違う訳にはいくまい」
……なんで、そうなるの。
たかが一つの単語がこんな状況を作り出すなんて……。ああ、本当ハロウィーンなんてなければ良かったのに。
「」
「何?」
「菓子とは、甘ければなんでもいいのか」
「……甘くないのも……あると思うけど?」
むしろ最近は辛い物の方が流行っていた気がする。色々な商品が店頭に並ぶ度に、製菓メーカーも大変なんだなぁ……と思っていたし。昔と違って、お菓子と一括りにしても多種多様な物が存在している。だから、お菓子イコール甘い物。という概念は持たない方がいいと、少しばかり常識に疎そうなシオン君に助言しようとすれば……。
「ならば、に菓子をやろう」
「え……?」
頬に触れる大きな手。
冷えた体に触れる、熱。
「シ、オ……っ!」
「どうだ、甘かろう」
顔を真っ赤にする私に対して、ニヒルな笑みを湛えるシオン君。
「こ、これは……お菓子じゃ、ないでしょ!」
「なんだ? 物足りんか?」
「そ、そうじゃなくって……!!」
「煩いぞ」
抗議を述べるべく発した声は、音にならず消えた。
どこまでも優しい温もりは、正常な思考を奪っていく。これではシオン君の思うつぼではないか、と微かに残った理性が訴えるが、伝える事が出来ない。
ゆっくりと移される温もりは、まるで甘美な菓子のようで。
「……Trick or Treat」
23:59分。視界に映った時計が告げる時刻に苦笑を漏らして、私は与えられた菓子に応える事にした。
きっと、この甘さはシオン君も感じているはずだから。
happy Halloween.
溶けるように甘いキスは、お菓子になりますか?
END
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