数年ぶりに会った男は、予想を遙かに超えた姿で目の前に現れた。
「骸……」
「5年ぶりですね沙希」
 突然の事で何を言えばいいのか分からなくなるなんて、私らしくないと胸中で呟きながら、彼に向ける言葉を必死に探して、ようやく出てきたのは「髪伸びたね」などという的はずれなものだった。
「似合いませんか」
「いや……いいんじゃない」
 不思議な髪型なのは前からだけど、今更追求してもどうなるわけでもない。
沙希は変わりませんね」
「数年でほいほい変わるようじゃ困るわ」
「クフフ……それもそうですね」
 独特な笑みを聞いて、やはり目の前にいるのは骸なのだと再認識した。
 取り巻く雰囲気もなにもかも、時折目にするクローム髑髏とはかけ離れていて、ようやく骸に会ったのだと実感が沸く。実際は会ったところで、差し当たりのない話をする程度しか出来ないのだけれど。こういう時ボキャブラリーが豊富な人間が羨ましくなる。
「骸が出てくるなんて珍しいね。仕事?」
 仕事以外で骸が出てくる訳ないのに、何を聞いて入るんだ私は。
「野暮用ですよ」
「そう」
 てっきりかわされると思っていた質問に回答があった事にも驚いたが、それ以上に穏やかとも言える雰囲気を纏っている骸に驚いた。
「骸……」
「はい、なんでしょう」
 困ったように眉根を寄せる私を楽しげに見つめながら、少しずつ距離を詰めてくる骸。ゆっくり近づいてくる乾いた音を耳にしながら、視界の中で揺れる後ろ髪を目で追う。
 まるで尻尾のようだ……なんて、本人に言ったらどんな顔をするのだろうか。
「スーツくらいちゃんと着なさいよ」
 手を伸ばせば届く距離で紡ぐ台詞は、自分の本意からかけ離れているけど、目についてしまったのだから仕方がない。
 見た目は良いのに、だらしなく結ばれたネクタイが退廃的な雰囲気を醸し出す。
「お嫌いですか」
「嫌いとか、そういうのじゃなくって」
 Tシャツの上にネクタイって、どうなのソレ。
 何処から突っ込むべきか悩む私の言葉を、無言で待ち続ける骸。
 まぁ昔から学生服の下にTシャツ着てたし、よくよくみれば上着もスーツというよりはコートに近い。ここまでくると、むしろ不要なのはネクタイだけな気がしてしまう。
「ネクタイ、取れば?」
「おや」
 脳内で考えた事を率直に告げれば、心外ですと言わんばかりの声を骸が上げる。
「好きだと言ってませんでしたか? ネクタイ」
「誰が?」
沙希が」
 咄嗟に出てこないくらいには記憶にない。だが、あの骸が言ったというなら、きっと私は言ったのだろう。
「ネクタイを取るのは浪漫だと言ってたじゃないですか」
「……誰が」
沙希が」
「…………………………」
 いつ私がそのような変態じみた発言をしたというのか。
 骸の妄想ではないかと危惧する私に、身の潔白を証明するかのごとく、一人の名が告げられる。
「あぁ……たしかに、言ったわね」
 固有名詞を聞いて思い出すのもいかがなものか。
「しかし、随分昔の事を持ち出してくるのね」
 溜息混じりに吐き出せば「使えるものはなんでも」と胡散臭い笑顔で言い放たれる。
 私、好きよ……骸のそういう貪欲的なとこ。
 絶対本人には告げない言葉を、内心で紡ぎながら曖昧な言葉を返しておいた。
「取ってくれないんですか」
「何を」
「ネクタイ」
「誰の」
「僕のです」
「…………………………」
 人の嗜好にケチを付ける訳ではないですけどね? 骸が言うとどうもこう、卑猥な感じに聞こえてしまうのは見た目のせいなんでしょうか。
沙希」
 嬉しそうに私の名を呼びながら、次の行動を待つ骸に一死報いてやりたいと思うのに。
 どうかしてる。
 目の前に彼が居ることが嬉しいと感じてしまうなんて。
「自分が嫌いになりそうだわ」
 収拾のつかない感情は厄介以外の何物でもない。馬鹿馬鹿しいと思っているのに、自然と動く手に殺意すら覚える。今私が殺気を込めて骸に触れたとしても、飄々とした底知れぬ笑みで気付かないフリをされてしまうのだろう。
 私が、骸を手に掛けるハズがないと思っている彼が憎い。
「どうしました」
「別になんでもない。少し自己嫌悪に陥っただけよ」
「おやおや」
 私の考えなどお見通しとばかりに、私の頬に手を添える骸。布越しのひんやりとした感触に目を細めれば、クフフといつもの笑いが降ってくる。
沙希が自分を嫌いでも、僕は沙希が好きですよ」
「それはそれは……どうもありがとう」
 色違いの目を愛おしそうに細めて私に注がれる視線。彼の好意を受け入れてしまえば、居心地が良いんだろうなとぼんやり考えて、知らぬ内に逃げ場を探していた自分にまた嫌気がさした。
「最悪の場合は骸に貰ってもらおうかしら」
「願ったりですね」
 緩めに結ばれていたネクタイはすぐに解けてしまって、それがなんだか私と骸の関係のように思えて軽く自嘲する。
 いつから私は六道骸という男に、こんなにも頼ってしまっていたのだろう。
 自分の弱さを隠すように、解いたネクタイを畳んで骸の手のひらに押しつけた。
「ネクタイ、もうやめたら?」
「似合ってませんでしたか」
「今の格好には……あまり似合わないかな」
「おや、そうですか。僕は結構気に入ったんですけどね、ネクタイ」
 意味深な笑みを浮かべる骸に一言「馬鹿ね」と苦笑混じりに呟いて。
「ただいま沙希」
「お帰りなさい、霧の」
 いつまで経っても変わらぬモノに二人で微笑みあった。

BACK