ゆらり、ゆらりと水面が光を反射する。
 水の底から空を見上げる光景は、奇妙であり絶景。形容しがたい感情を胸の内に抱きながら、呼吸することも忘れソラを見上げ続ける。青く、青く。何処までも澄み渡り終わりのない世界は、まるで――。

 


「……なに?」
 掛けられた声に視線を動かすと、仏頂面したギルガメッシュがこちらを見下ろしていた。
「我を差し置いて遊泳とは、良い身分だな?」
「良い身分って……連れてきてくれたの、ギルガメッシュじゃない」
 ギルガメッシュはギルガメッシュでも、子供の方が、だが。
 いつの間にか大型レジャー施設のオーナーなんぞやっていたギルガメッシュ。流石というか、なんというか。この不可思議な空間に置いても彼は彼なのだと、妙な安心感を得てしまった。
「そういえば、いつ大きくなったの?」
「我は元々この姿よ」
「まぁ、そうだけどさ」
 ぷかぷかと水に浮かぶ私の横で、腰まで浸かったギルガメッシュが腕組みし眉根を寄せる。
 夏を再現する人工の陽射しは閉ざされ、水面は静かに音をひそめ、上空に広がるのは一面の闇夜。これが星空だったら文句の付けようもないけれど、仮にもビル群立ち並ぶ都市でこぼれ落ちそうな星空を望むのが無謀というもの。
「ギルガメッシュ」
 彼の名を呼び片手を伸ばせば、反動で体が僅かに沈む。それをどう捉えたのか、ギルガメッシュが腰を沈め、私をお姫様だっこした。
「重くは、ないよね? 水の中だし」
 水中で触れている部分が熱を帯び、こそばゆい気分になる。
「ギルガメッシュ?」
 喋り掛けても何も答えず、ただ難しい顔をしてギルガメッシュは私を抱く手に力を入れた。
「ほんとに、どうしたの?」
 今日という日を振り返っても特に嫌な出来事はなかったはずだ。まぁこの王様が繰り返す日々に飽きているというのなら、話は別だけれど……。

「うん。なに?」
 私を抱き上げ鎖骨の辺りに顔を寄せるギルガメッシュ。水に濡れた体が重くないかと気になってしまうのは、乙女心というやつだ。
「ギールーさーま? 黙ってちゃ何も分からないよ」
 左手の薬指に嵌められている金属が、月の明かりを受け鈍い光を返す。その光に気付いてか、再び私の体を水に戻し、今度は指輪に口づけた。本当に今日のギルガメッシュはどうしたというのだろう? どこか弱気にも見える彼から普段の高慢さは感じられない。まるで置いて行かれた子供のように、不安そうな雰囲気を纏ってギルガメッシュは私を抱きしめ続ける。
「ああ、もしかして……」
 偽りを解いた色はどこまでも白く。
「死んでるみたいに、みえた?」
 揶揄するように音を紡げば、反射的に震えるギルガメッシュの体。なんだ、以外と可愛い所もあるじゃない。
「勝手に行動するな」
「それは私の台詞だと思うけどなぁ」
 契約という強固な絆ではなく、互いの想いのみで繋がれている私達の縁はいつ切れてもおかしくない。
「ねぇ、ギルガメッシュ。明日になるまでその姿で居てよ」
 四日目の終わりはすぐそこまで来ている。繰り返す日々に終止符が打たれたら、またギルガメッシュは旅に出てしまうのだろうか?
 私を、置いて。
「我に注文を付けるとは、良い度胸だな? 
 クツクツと咽を震わせながらも、ギルガメッシュは楽しそうだ。思い返せば、今回が始まってからギルガメッシュと二人きりでいた時間は無かった気がする。同じようで、同じでない日常。終わりのない歪みの連鎖が辿り着く先に待つ答えはなんだろう。

 小さく私の名前を呼んで、ギルガメッシュの顔が近づく。
「……めずらし」
 啄むように何度も重なる唇。生温い水に浸かっているせいで、思考まで溶け出してしまうような錯覚。際限なく与えられる熱がもっと欲しくて、濡れて重くなった両腕をギルガメッシュの首に回す。
「お前が、欲しくなった」
 ストレートに向けられる感情が心地良い。暴君の名に相応しく、このまま蹂躙されてしまえば意識が飛びそうな快楽を得られるのだろう。
「死にそうな女に欲情した?」
 ギルガメッシュという存在から考えたら、破格な待遇を受けている私という存在。
「いつもしてる」
「……サービス旺盛すぎなんじゃない? 王様」
「我は嘘はつかん」
 我慢という単語が辞書に存在しないギルガメッシュのくせに……。
 ああ、でも。
「好意を持つ相手に触れたいと思うのは、当然のことだよね」
 彼は、待っていてくれた。
「だから、私がギルガメッシュにキスしたいって思っても、はしたない女だと思わないでよ?」
 タイムリミットまで後数分。先程よりも深く絡む熱に眩暈がする。
 、と私の名前を呼びながら至る所にキスを振らせる金の王。
「くすぐったい、ってば!」
 まるで猫か犬にじゃれつかれているようだ。ギルガメッシュを押し退けようと水しぶきを上げれば、赤い目を細めて獰猛な色が瞳に宿る。
「今度はもっと時間のあるときに、だな」
「それには同意」
 声を潜め笑いあいながらもキスの嵐は止まない。
「窒息死、しちゃいそ」
「構わぬ」
「そこはかまってよ」
 貪るように乱暴に、でもどこか優しく甘やかな口付けは天上の果実のよう。
 朦朧としてきた視界の隅に、施設に取り付けられた時計が見えた。時刻は23時58分。終わる日と新たな始まりを告げる音が、すぐそこまで迫っている。
「――」
「え」
 耳の中に注ぎ込まれた愛の言葉に、顔に血が上る。なんだなんだ、もうこの気分屋さんは。私を喜ばせて、何がしたいのだ。
「愛しいものを愛でて、何か不都合があるか?」
「私が嬉しすぎて困る」
「ならば――」
 笑い死にでも、してしまえ。
 ことさら甘い声で囁かれた後に贈られるのは、甘い抱擁。
「ねぇ、ギルガメッシュ。もしかして、だけど……甘えてる?」
 傲慢無礼な不器用な王様がとった、不可思議な行動。
「だとしたら、どうする」
「んー、そうね」
 23時59分。
 答えを出す為に見上げた視線の先で、月の光を従えた憎らしいくらい綺麗な男が笑っていた。

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