「ねぇ聞いてますの?」
「き、聞いてますよ」
季節外れの寒さが到来したある日、寒波なんかと比較にならないほどの厄介事が私の元に舞い込んだ。厄介事の名前は葛木キャスター。毎日繰り返される一成さんからのイビリに耐えかねて、ということらしいが……正直、嫁姑戦争を持ち込まないでほしいと思う。
キャスターさんは箱入りのお姫様だから、完璧主義の一成さんがイライラする気も分かる気はするけれど、それはそれ、これはこれである。
「葛木先生は何も口出ししないの?」
「勿論宗一郎様は私のことを庇って下さいます!」
「……なら、べつに……」
「けれど! もう限界なのよ!」
「……はぁ」
幸せオーラを纏ったかと思えば、次の瞬間には神代の魔女よろしくな殺気を垂れ流す。キャスターさんが怒りを顕わにする度に、ビリビリと振動する衛宮家の窓ガラス。このまま家が壊れてしまったらどうしよう。全壊してしまった家でも、凛ちゃんは修復してくれるだろうか?
「一度葛木先生に相談してみたら――」
「それが出来れば苦労してないわ!!」
ダンッ、と湯飲みが飛び上がる勢いで机を叩くキャスターさん。誰だ、魔女は腕力がからっきりなんて言ってた人は。
「あ、あのぉ……お二方とも新しいお茶はいかがですか?」
「ありがとう桜ちゃん」
ビクビクとこちらを伺いながら、冷めた湯飲みを撤去する桜ちゃん。間に入ってくるタイミングといい、湯飲みの救出方法といい完璧な身のこなしである。
「ったく……何をうだうだ言ってんだか」
「ね、ねえさん!」
襖一つ隔てた向こう側で凛ちゃんが悪態をついたのにはゾっとした。運良くキャスターさんが自分の世界に入っていたから良かったものの、今の発言が聞かれていたらと思うと……。キャスターさんから漏れ出る魔力で軋みっぱなしの衛宮家が危ない。ああ……ごめんなさい切嗣。私はこの家を無傷で士朗に受け渡すことが出来ないかもしれません。
「ねぇ、キャスターさん。今は悪い事や辛いことばかり目につくかもしれないけれど、実際はそうじゃないでしょう? 葛木先生と共に過ごせる毎日の前には、姑イビリなんて些細なものではないの?」
「まず、宗一郎様と同じ基準で考えることが間違ってるわ! 私はあの方の為ならどんな辛い仕打ちにだって耐えられます! 時々私が作ったものを口にして、美味しいって言ってくださるし! 炭なったパンだって何も言わずに食べてくださるのよ!」
「……はぁ」
「それをあの小僧ときたら……」
猫が家出しちゃってますよ、キャスターさん。心の中で呟いて、ノンストップで語られる惚気と愚痴を聞いていたら、不意にキャスターさんの呪詛のような言葉が止まりじっとこちらを見つめ始めたので、適当に流しているのがバレタかと背中を嫌な汗が伝った。
「、貴女はどうなのよ」
「え、わ、私?」
「そうよ、いい加減白状したらどう?」
「白状って……なにを?」
急に話題を振られなんのことかと慌てる私の左手首をガシリと掴み、真っ正面から据わった視線を投げつけてくるキャスターさんは、酔っ払いよりもタチが悪いと思う。
「貴女、どうやってアレの手綱を握ったのよ」
「あ、私も聞きたいですそれ!」
「えっ!? 桜ちゃん!?」
新しいお茶を机の上に置き、興味津々といった視線で見つめてくる桜ちゃん。
「……」
表だって参加しないものの、襖の向こうにいる凛ちゃんの気配が少しだけ近づいたことを悟り、流れ始めた汗の量が増えた気がした。何故急にこんな展開になった。これは相談者の話をちゃんと聞いてなかった私に対する天罰なのだろうか。
「さぁ、!」
「さん、年貢の納め時ですよっ!」
「え、えぇー?」
妙な迫力を持った二人が私を追い詰めにかける。キャスターさんはどうやって、と聞いたけど私自身上手く説明出来ないというのが現状だ。マスターとサーヴァントという関係になってギルガメッシュと過ごす時間が少しだけ増えて――。
「、まさか貴女……アイツに一目惚れされたとか言うんじゃないでしょうね?」
「それはないよ」
「あら、随分ハッキリ言い切るわね」
思い出した今ならば、あの時の人物がギルガメッシュだったと確信出来る。
「んー……詳細までは覚えてないんだけれど……役不足とか、役立たずとか、そんな感じですごく馬鹿にされた記憶はあるから」
「はぁ?」
無理だと言われたのが悔しくて、見返してやると心に誓った。
何の為に、誰の為になんて忘れてしまったけれど、胸の中に刻まれた強い感情だけがいつまでも消えることなく私という存在を世界に繋ぎ止め続けた。
「正直な話、思い出したのはつい最近なのよね」
「どういうことですか? それ」
「なんて言えばいいのかなぁ……。輪郭は覚えてても詳細が思い出せないって言って伝わる?」
悠久の時を越え再びまみえた時も、ギルガメッシュと記憶の中の存在は同一人物だと思えなかったし、思わなかった。
「でも、さんは思い出したんですよね?」
だから、奇蹟としか形容しようがないのだ。
私が思い出したのも、彼が覚えてくれていたのも。
「聖杯が、叶えてくれたのよ。きっと」
こんがらかって擦り切れそうだった糸を綺麗な状態に戻してくれた。
「……その前から結構良い感じだったわよね」
ジト目でこちらを睨んでくるキャスターさん。
「ギルガメッシュとの約束を思い出したのはあの時だけど……」
はっきりと思い出す事は出来ていなかったけれど、サーヴァントとして召還されていたギルガメッシュと初めて遭遇した時、一瞬で心を奪われた。全身金色というありえない風体で街を闊歩する変態と、遠目で認識していたのにも関わらず、だ。
風に靡く金色が、全てを屈服させるような赤色が――どうしようもないくらい恋しいと。
「まぁ……その、二度の恋は……楽しかったよ?」
「――ッ!」
私の台詞に桜ちゃんは持っていたお盆を落とし、キャスターさんは苦虫を噛みつぶしたような表情で「……」とうめき声のような声色で私を呼んだ。
「今、自分がどんな顔してるか分かってるわけ?」
「え?」
「あーもう聞いてらんない! ゴチソーさま!!」
襖越しにあげれらた凛ちゃんの声に肩が揺れる。
「まったくです! ねえさん、私達は負け犬です!」
「ちょ、桜、あんたねぇ……!」
「え、え? な、なに?」
「あーはいはい、に話を振った私が悪かったわ」
「キャスターさんまで!?」
急に私から視線を外した三人を見つめながら、自分の頬に両手を当てると少しだけ普段より熱いような気がした。
同日同時刻、衛宮家玄関方面。
「……坊主、腹減ったぜ……」
「押しかけてきて煩いぞ、ランサー」
「だってよぉ……あれ、おわんのかよ」
居間方面で賑やかに甘い話しで盛り上がる女性陣。
「……腹が減りすぎて切ないのに、この胸焼けする感覚はなんなんだろうな」
「俺に聞くな」
入りたくても入れないのはきっと幸運値が低いせいなのだと、妙に重みを訴える心臓部を片手で押さえる二人の足下で、バケツの中で泳いでいた魚が勢いよく跳ねた。
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