「温泉を獲りに行くぞ!」
バアアン、と効果音よろしくな勢いで人様の玄関戸を開け放ち、金色の王は言った。
「ごめん、良く聞こえなかったんだけど」
「温泉を獲りに行くと言ったのだ」
「……はぁ」
とりにいく、という単語を聞き間違えたかと思ったが、そうでもないらしい。というか、若干トルという音に宛がわれている漢字が違うような気もするが、一応ギルガメッシュは外人というカテゴリに属すのだし、仕方ないのかと聞き流すことにした。
しかし、温泉に浸かりに行くではなく、獲りに行くというのはどういうことなのだろう?
「えっと、温泉に入りに行くってことでいいのかしら?」
「何を寝ぼけておる。我の言葉を聞き間違えるでないぞ」
「はぁ」
理解し難いと呆けた声を漏らす私を見下ろして、ギルガメッシュは「仕方がない」と珍しく直々に温泉捕獲計画を説明してくれた。
「まぁ、その……たしかに温泉は宝って言われることもあるけど……さ。うーん……」
仮に温泉の原典がバビロンに収納されたとして……どのような扱いになるのだろうか? 滾々と湧き出る湯水に浸かる宝具を想像し、なんか嫌だと己の幻想を振り払う。
「ねぇギルガメッシュ。そもそも……って、ああ……もう面倒だからいいや。うん、そうだね温泉獲りに行こうか」
今この場に士郎がいたら彼の口癖が披露されただろうが、幸か不幸か士郎とセイバーさんは街へ買い出しに。凛ちゃんとアーチャーさんは遠坂邸へ一時帰還を果たしている。自分良ければ全て良し、我様ルールしか適応されぬギルガメッシュを納得させるのはひどく面倒だ。なるようになれと、高笑いを響かせるギルガメッシュを待たせぬよう身支度を整え家を後にした。
「あら、士郎」
「ッ、! き、奇遇だなーどうしたんだ? コンナトコロデ」
段々と棒読みになっていく士郎の傍らで、セイバーさんの目がギラリと光る。なんだなんだ、私が何をしたというんだ。というか、何かをしたならば十中八九私ではなくギルガメッシュだろう。
「ギルガメッシュ」
批難の色を宿した瞳を向ければ、知らぬ存ぜぬと言わんばかりに赤い瞳が不満気な色を湛える。そういえば、なんだかんだいってギルガメッシュはセイバーさんの事が好きだよなぁ……と微妙な気持ちを腹の底に溜めながら士郎へ視線を戻す。
「今日はセイバーさんとデー……じゃない、買い出しに行ったんじゃなかったの?」
「あー……うん、それはそうなんだけど。ちょっと、温泉に……」
「温泉だと」
士郎の言葉にギルガメッシュが眉を顰める。
「私達も温泉に行くつもりで来たんだけど、面白い偶然もあったものね」
「あ、あぁ本当だな」
「行き先が同じなら一緒に――」
「ならん」
私の言葉を途中で遮りギルガメッシュが一歩前に出る。ギルガメッシュの行動に対応すべく相手方からはセイバーさんが一歩前へ踏み出した。
「……」
なんで道の真ん中でこんな険呑な空気に包まれねばならぬのか。温泉という癒しを目の前にちらつかせながら、着実に溜まっていく疲労感にため息を漏らせば、申し訳なさそうに片手を上げる士郎と目があった。士郎が何をしたいのか分からないけれど……。
「あら? 凛ちゃんとアーチャーさんまで?」
「げっ!」
視界に捉えた赤色に声を上げれば、士郎がしまった、といわんばかりに顔を歪める。
「退け、雑種。王に道を明け渡すが道理であろう」
「悪ィけど、こっちにも退けない理由があんだよ」
セイバーさんの後で魔術行使の体勢をとる士郎。今更だが、こうして士郎と正面からぶつかるのは初めてのような気がする。あの子供が大きくなったものだと感慨に耽っていたら、いつの間にか赤の主従コンビまで士郎の背後に控えていて、一体これは何のイヤガラセかと片手でこめかみを押さえた。
「温泉に行きたいだけなのに」
「それが問題なんです、さん」
士郎と凛ちゃんが固執する温泉。
「そもそも、なんで皆急に温泉とか言い出す訳?」
ギルガメッシュの行動に脈絡なんてものは存在しないから、いつもの気紛れだと無視していたが……己に近しい二人までもが温泉という存在に固執するとなると、なんらかの因果関係が発生しているとみて間違いないだろう。
私自身温泉は好きだが、士郎達のように神経を逆立ててまで入りに行きたいとは思わない。
「なんだ知らんのか」
「説明なんてなかったじゃない」
「フム」
背後の空間を陽炎のように揺らめかせながらギルガメッシュが腕を組む。スラリとした立ち姿が絵になるとこっそり鑑賞している私に向かって落とされた言葉は、予想を超えるもので反射的にひっくり返った声が出た。
「幸運が上がる温泉? なにそれ、新手の新興宗教かなにか?」
胡散臭いと一蹴する私に詰め寄ってくる凛ちゃん。これは本当に特別な加護があるというのだろうか?
「まぁ、私は別に……」
「ですよね! さんならそういうと思いました! だから私達がいちば……」
「ならん!」
凛ちゃんの言葉を片手で制し、これまたギルガメッシュが声を荒げる。今までギルガメッシュが温泉好きだったとは知らなかったが……あれか、王様というものは広い風呂が好きというアレか。
「至宝の原典は我の物よ」
「……はぁ」
突如沸いて出たという温泉。だが、温泉の原典というならば……それこそ地熱溢るるこの地球ということになるのではないだろうか。そして神世において天と地を別けたと謳われるエアを所持しているギルガメシュは、間接的に温泉の元を所有していることになるのではないだろうか。
あぁ……また頭の中がごちゃごちゃしてきて面倒臭い。一度脳内をリセットし、事の発端である人物を知らないかと士郎達に疑問を投げかければ、二人が怪しげに視線を逸らす。
「ギルガメッシュ」
「よかろう」
「あああああー!!!!」
背後の空間から現れた銀の鎖に絡め取られ、士郎と凛ちゃんの足下に良く似た一通の手紙が落ちた。
「手紙?」
凛ちゃん曰く、魔術教会お墨付きらしいが……どうみても同じ人の筆跡ですありがとうございました。
「二人共…………」
「んな目で見るなよ……」
「うっ、なんか視線が痛いわ……」
呆れた目で二人を見つめる私の脳に、一つの疑問が過ぎる。士郎と凛ちゃんは魔術教会からの怪しい手紙で温泉に向かっていたようだが、ギルガメッシュを動かした動力源はなんだろう?
「ギルガメッシュも手紙を貰ったの?」
「手紙だと? そのような物なくとも、我には全てお見通し――」
「ああ、本人から聞いたんだ?」
「む、何故分かった」
流石慢心王、チョロいぜ。馬鹿な子ほど可愛いというが、ギルガメッシュは根本的に致命的な欠陥を抱えている。それが愛嬌と言えなくもないが……まぁいい。ともかく魔術教会に関連性があって、ギルガメッシュを唆す人物なんて数える程もいない。
暗い目をした居ないハズの神父姿を脳裏に描き、私はギルガメッシュに二人を拘束する鎖を解いてもらうようお願いした。
「お前の願いなら聞いてやらんこともない」
「うん、ありがとう……ギルガメッシュ」
こういう時、自分が特別扱いされているなぁと実感する。高揚する気持ちを悟られぬよう平静を装い、私は恨みがめしい視線を送ってくる二人に笑みを向けた。
「ちょっと――トリに、行く?」
行動を現す単語にかかる主語はない。ただ、士郎と凛ちゃんが声を揃え「すみませんでした」と頭を下げた。
「ほう、これが温泉というものか」
「いいお湯ねぇ」
桜舞う中入る風呂というのは風情があると、は眦を下げる 。
「……なんで私まで……」
温泉の広さに比例するよう入り浸る男女。今更混浴云々で騒ぐ仲でもないのに凛が悔しそうに唇を噛みしめているのは、一重にの心遣いに気付いているからなのだろう。
「いいじゃない、皆で入れば皆幸せになれるんでしょ?」
「……そうはいいますけどね、さん」
「独り占めよか、ずっと楽しいじゃない」
ふわふわと笑うに突っ掛かるだけ無駄だと悟ったのか、凛は特大級のため息を漏らして湯船に体を沈める。
「しかし、凛。いいのかね? 私達までもが――」
「さんが良いって言うんだから、いいんでしょうよ……あーあ」
やってられないわー。悔しげな声を漏らして凛は金の髪を持つサーヴァントに視線を向ける。一人は珍しそうに、一人は喜悦を滲ませ同じ湯に浸かる。これが異色と言わずになんと言うのだ。
「どうした、凛」
隣から掛かった声にふて腐れ気味な視線を向け、「今更だけど」と前置きしてから凛はのいる方を指さす。
「アノ人の異常性について再確認してたとこよ」
「成る程な」
衛宮という存在が中心となって成り立つ奇妙な関係は、端から見ていると歪すぎて笑えない。唯我独尊の王と対等に渡り合っている時点でかなりおかしいのだが、それに輪を掛けという存在は謎に溢れている。すぐ傍に居るのに消えてしまう気がする。そんな不可思議で不安な気持ちを与え続ける存在から目が離せない。
「張り合おうとするだけ無駄だぞ」
「……なによアーチャー、随分と知った口をきくじゃない」
凛の言葉に肩を竦めてみせるアーチャー。そんな彼の行動をどう捉えたのかは知らないが、おもむろにが「背中流してあげようか?」などと言い出し、周囲の空気が一転した。
「なっ、さん何言ってるんですか!?」
「いやぁ、なんか疲れてそうだったから」
「ほう、ならばお願いしようか」
ニヤリと笑うアーチャーの皮肉にも気付かず、「じゃあ士郎も一緒に流してあげる」とは弟である存在を巻き込む。
「さん!」
「!」
「別に今更でしょ? 一緒にお風呂入ってたことだってあるんだし」
「いつの話だよ!?」
の言葉に噛みつく弟と、無言を貫く未来の弟。
声を荒げの行動を阻止しようと立ち上がる女性二人よりも一手早く。
「……ギルガメッシュ?」
行動を起こそうとしたの手を掴み、ギルガメッシュは己の方へと引き倒す。湯船のせいか、その他の原因によるものか。顔を赤らめるの顎を掴みギルガメッシュは他者を征服する色を瞳に乗せた。
「背を流すというならば、我が先であろう」
「……そ、それは……駄目」
しどろもどろに言葉を紡ぐ達を遮る声はなく、湯が流れる音だけが周囲を支配する。
「雑種は良くてもか?」
「だ、だって……」
「だって?」
の言葉を重複し羞恥心を煽っていくギルガメッシュ。ニヤニヤと月の形に歪む口元を見つめながら、降参とばかりには己の顎に添えられていたギルガメッシュの手を両手で押さえ顔を背ける。
「は……恥ずかしいもの」
カコーン。存在しないハズの鹿威しの音が聞こえたと、後に凛は語った。
「……なぁアーチャー」
「なんだ、衛宮士朗」
静けさが充満する世界で二人の弟が互いに口を開く。
「俺、なんかすごく負けた気がするんだけど」
「……悔しいが、同感だ」
似通った雰囲気を醸しだしながら、湯船の縁へと追いやられていた二人は少し離れた場所に腰を下ろした。
ハラハラと舞う桜は春の到来を告げているのに、心は永久凍土の寒さに晒されている。熱めの湯に浸かっているのに寒いと、どちらともなく腕を摩ればパシャリと湯の跳ねる音が静かな空間に木霊する。
「春、だよなぁ」
「春だろうよ」
空に広がる薄紅色をぼんやり見上げながら、実は幸運を下げる温泉ではないかと一部を除いた面々は考えていた。
うまい話には裏がある。そんな単語を噛みしめた、春の一日。
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