珍しい、というよりも奇妙だという感覚が真っ先に胸の内を駆け抜けた。
 噂には聞いていたし実際に確認したこともあるが、まさかあの冬木教会で麻婆豆腐以外の食事を目にすることが出来るとは。
 クリスマスミサという、なんとも胡散臭い招待状なのか挑戦状なのか分からぬ手紙を貰ったのが数日前で、そのことを家主に告げると苦々しい言葉を返されたのだが、誘われたのが私なのだから私が決めればいいと自嘲気味に呟いたのが懐かしく思えるほど。
「あの、これは……」
さん好き嫌いあった?」
「いえ、特には……これは猶さんが?」
 私の言葉に頷くことで答えとし、テーブルいっぱいに並べられた料理を満足そうに見下ろす彼女。
まさかミサが終わった後の食事に招かれるとは思っても見なかったが、何を考えているのか分からない無表情の神父と、テーブルに並んだ料理に目を輝かせるランサーさんを見ていると、彼女という存在が上手くバランスをとっているような気がした。
「嬢ちゃんの作る飯はうめーからな!」
「おだてたって何も出ないよランサー」
「いやいや、ナオ様々ってな!」
 苦笑しながらも満更ではない彼女の様子に、冬木教会という場所に対しての見方が変わりそうだと思ったが、あの神父がいる限り廻り巡って元に戻ってしまうのだろうと、沸き上がった思考を破棄する。
「アレを持ってこい」
「了解」
 地を這うような神父の声に快諾し彼女は教会の奥へと消えていった。
 残された私達の間に会話は無く、妙な緊張感が場を支配する。それもそのはず、家主である言峰さんからギルガメッシュというサーヴァントを奪ってしまったのは私なのだし、敵対者と呼べる私達の間で穏便な空気が流れるはずもない。
 そうなると、益々もって彼女という存在の有り難みを痛感する。
「ランサーさん」
「ん? どした」
 食事から目を話さず声だけ寄越す英霊に、どれだけ餓えを感じているのかと問いかけたかったが、野暮な事は聞くだけ無駄だと何度目かの考えを破棄し、別の単語を相手に向けた。
「猶さん、遅いですね」
「あー、ワイン選んでるんだろ」
「ワインですか?」
「そーそ。この生臭神父の秘蔵ワイン。こんな時でもなきゃ飲めねぇしなぁ」
「…………」
 話題の人である言峰さんは無言を貫いたまま。ここにギルガメッシュが居たら少しは違ったのだろうかとも思うが、生憎とあの金ぴかさんは人間観察にいそしんでいるようで、昨夜から戻ってくる気配は無い。
「あまりお酒って飲まないんですよね。味の分からぬ私がご相伴にあずかって、失礼になりませんか?」
「構わぬ」
 てっきりランサーさんが応えてくれると思っていたのだが、持ち主である言峰さんからお許しが出たのが以外だ。
 そうこうしている内に彼女が戻って、遅い夕食を頂くこととなったのだが……。これがまた美味しいのなんの。勿論衛宮の家に住む同居人達が作るご飯も格別だが、彼女の料理は格別の一言に尽きる。
「料理は愛情?」
「何か言った?」
「いえ、とても美味しいです」
「口にあったなら良かったよ」
 口端を持ち上げて笑う仕草は言峰さんを彷彿させ、思わず黒い神父に視線を遣ってしまったが、当人が気付く素振りを見せなかったので安心し、皿に取り分けた料理に舌鼓を打った。
「そういえば」
 料理を食べる手が一段落したところで、数日前から抱いていた疑問を口にする。
「どうして私を誘ってくださったんですか?」
 手紙に綴られた几帳面な、けれども清涼感を漂わせる文字は言峰神父ではなく、彼女のものであると確信していた。
「深い意味はないんだけど、強いて言えば――」
 隣に座る言峰さんに視線を移し、次に対岸へ座るランサーさん。そして最後に私を見つめて彼女は柔らかな笑みを浮かべる。
「華が欲しいなって思ったから、かな」
「華、ですか」
「そうそう。折角のクリスマスなんだし、ちょっとくらいはね」
 言外にむさいと語る彼女にランサーさんがわざとらしく眉を下げる。
「うちは逆に女子率が高いので、あまり考えたこともなかったです」
「うっわなにそれちょっと羨ましい! 今度遊びに行ってもいい?」
「ええ、猶さんのご都合がよろしければいつでも」
「だってさ、綺礼」
 話掛けられても勝手にしろと言わんばかりの神父が、彼女に言葉を返すことはない。
 ただ……暗い瞳にほんの少しの感情が滲んだことに気付いてしまえば、あとは簡単。
「お待ちしていますね」
 笑顔で武装し、彼女ではなく家主へと言葉を向ければ、ワイングラスに添えていた口角が僅かに上がる。宣戦布告にもならぬ嫌がらせに、素直にならない……なるつもりもない二人の行く末が少しだけ気になった。

 

 何時からか降り始めた雪を掌に受け、重くのし掛かる空を見上げる。
 灰色の雲が晴れることはなく夜半まで雪模様が続くのだと、夕方のニュースで天気予報士が言っていた。
 春という時分にそぐわぬ季節外れの雪。異様が支配する風景の中で思い出すのは、数ヶ月前の出来事だ。突然届いた招待状に美味しい料理の数々と、ちぐはぐな彼等。
 知っていることと、知っていないはずのことと、知り得た事実がごちゃまぜになった奇妙な記憶。
 違和感なんて感じる暇もないくらい普通に、でも後から思い返すと有り得ないハズの光景は今でも脳裏に楽しかった記憶として収納されている。
「聖杯戦争は未だ始まっていなかったのに」
 昨年末の時点で私はまだギルガメッシュと再会していなかったのに、あの時私のサーヴァントは紛れもなくギルガメッシュだったのだ。
「貴方の記憶?」
 左手の薬指に光る指輪を見つめながら問うが、私にこれを与えた人物は此処にいない。
 ギルガメッシュが見聞きしたものが、私の記憶と混同しているのだろうか。
 分からない事ばかりだと迷いをため息に乗せて吐き出すと、全てがどうでもいいような気分になってくる。
 そう、真実なんてどうでもいい。私が私として感じたのだから、あの光景が嘘だったとしても、私にとっては本物なのだ。厳かな教会に流れる神を称える調べも、抑揚のない神父の声も、食事を前に赤い瞳を煌めかせていた英霊も、そして彼女という存在も。
「貴女達は今頃何処にいるのかしら」
 輪廻という単語は私という存在からかけ離れすぎていて、実感が沸かない。
 だから、あの日を境に姿を消してしまった彼女達がどこに在るのかなんて想像も付かないけれど、きっと今も甘さの欠片もない会話を愉しみながら二人で歩いているに違いない。
「世間では当日に雪が降ることを、ホワイトクリスマスというのですって」
 ご存じでした? と問う相手はここに居らず、しんしんと降り積もる白さを眺めながら思い出すのは、いつかどこかで聞いた賛美歌のフレーズ。
 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな 全能の神なる主。
 祈る資格など私にはないけれど、それでも――。
 雪と花霞が織り混ざる幻想的と称するに相応しい光景の前でなら、胸の内に巣くう感情を吐露しても許されるような気がして。
「Amen」
 様々な想いを一纏めにし、近しい男が最も嫌う神への賛美を口にした。

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