磨き抜かれた縁側をぼんやり歩いていたら、片足の裏から奇妙な感覚が全身に伝わってきた。ゴミ一つない長い廊下の中腹に存在しないはずの落下物が一つ。念のため踏んでしまった存在を確認すべく視線を落とすと、これまた綺麗に折れた一本の木矢が無残な姿でお出迎えしてくれた。
「こんな大きなゴミを見落とすなんて、士郎らしくないわ」
何故とか時間の無駄になるような疑問は抱かない。ただでさえ奇妙な時間軸に囚われているのだ。自ら進んで疲労を背負い込むこともあるまい。
「まったく、いくら時間が繰り返しているからって職務怠慢ではないの? ……あ、でも士郎はまだ気付いていないのかしら?」
僅かな疑問を念頭におきながら第二の被害者を出さぬよう折れた矢を拾い上げようとし、見覚えのある見慣れぬ姿に伸ばした指先を止めた。ふわふわと揺れる金糸は太陽というよりも秋の木の葉を連想させ、季節に似合いの乾いた空気を運んできたような錯覚に陥った。
「あー……」
「……お久しぶり……ね?」
「……あぁ」
ため息交じりの返答に答えあぐねるのはお互い様。
「その、なんでアンタが?」
「さぁ?」
「さぁ、ってなんだよソレ。オレを召還したのはアンタなんだろ?」
折ってしまった木矢は未だ己の足元で悲しげに横たわっている。考えられる原因としては、何故か縁側に落ちていた一本の矢がシャーウッドの護り手に縁のある品だったということだが……誰が何の為に。
考えるだけ無駄だと理解していても考えずにはいられない現状に、現実逃避したい気分になってしまうのは当然だろう。
「なぁ、此処はどこなんだ? 随分と……」
鋭い射手の眼が歪んだ日常を見聞する様を見下ろしながら、彼という異質な存在がこの空間内に存在するのも非日常を求める彼の策謀なのだろうと当たりを付ける。代わり映えのない日常に飽き飽きしているからといって、なんでもかんでも呼び寄せれば良いというものではないだろうに、彼の考えていることは理解し難い。
「狂人を理解しようと思う方が愚かなのよね」
「一人でブツブツ呟いてっと、おかしな人に見えるぜ?」
「今更だわ」
ほんのり上げた口角を興味深そうに見つめてくる英霊に人差し指を差し出して、木の葉色で覆われている額を少しだけ小突いてみる。
「正気なんて、とっくの昔に捨てているのよ」
数えきれぬほどの太陽を見送り、数えきれぬほどの夜を見過ごして、数えるのも馬鹿馬鹿しいと気付いてしまえば……あとは笑って過ごすしかないのだ。
「アンタ、本当に俺の知ってる奴か? なーんか調子が狂うんですけどぉ?」
「貴方が違うと思えば、違う私だったのではないかしら」
彼と共有した時間は少なすぎる上に、電子で構成された世界で異質だったのは私の方だ。私は私を私だと認識しているが、他人の目にも同じように映っているとは限らない。
「とりあえず」
座ったままの英霊から距離を取り、踏みつけて折れた木矢を拾い上げる。
「焚き火でもしてみる?」
「…………」
彼がこの木矢によって召還されてしまったのならば、原因を排除すれば座に還れるかもしれない。望まない召還をされたサーヴァントの考えなんて知る由もないけれど、十中八九良い気分はしていないだろう。
「燃やすのか」
「原因が分からないなら、とりあえず片っ端から消去してみればいいと思わない?」
「……前も思ったけどサ、結構……つーかかなり過激だよな、アンタ。んで、人の話を聞かない」
「燃やすのは反対?」
「ああ、反対だね」
顕わになっている片目でこちらを睨み付けるように見上げてくる彼が妙に幼く見えるのは、視線の高低差故だろうか。
「ソレがオレを喚んだ触媒だろ、燃やされてオレが消滅したらどうしてくれんだよ」
「還りたくないの?」
「誰が還りたいって言ったのサ」
「えー?」
予想外の台詞にたじろぐ私の手から折れた矢を奪い取った英霊は興味深げに鏃を見つめた後、器用な手付きで柄から抜き取りくすんだ金属を投げて寄越した。
「危ないじゃない、刺さったらどうするのよ」
「アンタなら平気だろ。なぁ、それよりさ」
人を食った笑みを浮かべる英霊に視線を合わせれば深緑の瞳が楽しそうな色を浮かべ細められ、代わり映えのない日常を片方の緑に写し取る。
「だろ、アンタ」
「知ってるの?」
「これでも情報収集は得意なんでね」
まさかシャーウッドの英霊に名前を覚えられているとは思わなかった。意外だと目を丸くする私に不敵な笑みを浮かべ、緑の森を統べる英霊は頭上に座する白い月を指さし口元を歪めた。
「隠されてるモンがあると暴きたくなるのが性分なモンで」
「――欲しいの?」
「召還されたサーヴァントが望むのはいつだって一つだ。アン……マスターだってご存じっスよね?」
「あらあら」
奇妙な方向へねじ曲がったものだと呆れながらも浮き立つ心を悟られぬよう鏃を胸元で握りしめ、未知を射貫こうと瞳を光らせる異分子に付き合ってあげようと決めた。
「まぁ、たまにはいいかしら」
「とりあえず片っ端からって、さっき言ってたじゃないっスか」
「言ったわね」
説明なんてする必要はない。どうせ繰り返す時間の中で結末を得られるのは彼等だけなのだから。
「ちょっとだけ、遊んでみましょうか」
「そーこなくっちゃ!」
颯爽と立ち上がる緑の英霊を見上げれば、秋の香りよりも若々しい深緑が視界一面に広がった。
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