「そういえば、少し気になっていた事があるんですけど」
三時のおやつであるホットケーキをメイプルシロップで彩りながら、桜ちゃんがこちらに視線を寄越す。
「なによ桜、もったいぶって」
「えっ、そういう訳ではないんですけど……」
チラチラとこちらを見ながら言い淀む桜ちゃんに、私は自分の前に置かれている皿の上にそびえ立つホットケーキに視線を落とした。これはあれだろうか、私の方が桜ちゃんのモノより大きめに焼けてしまっているのだろうか? だとしたら、交換してあげるのが年長者の務めかと己の皿に手を伸ばす。
「、まだバターが溶けていませんよ」
「え? あ、うん」
隣から小さな手が私の行動を押し止め、きつね色に焼けたホットケーキの交換には至らなかった。
「待つのも楽しみの一つです」
「まぁ、それもそうだけど」
ニコニコと御満悦そうに微笑むのは小さなギルガメッシュだ。この小さな存在を見ていると、どういう成長過程を経ればあのような暴君が出来上がるのか想像し難い。これぞまさに生命の神秘、といったところなのだろうか。本人もどうしてああなった? と疑問を抱くレベルらしいし、やはり進化というのは怖ろしい。
「ていうか、なーんでアンタがここにいんのよ」
対面に座る凛ちゃんが人差し指を子供のギルガメッシュに突きつける。ガンドを得意とする凛ちゃんの指先がギルガメッシュに向いているというのは若干冷や汗ものだが……ギルガメッシュ本人が気にしていないようなのでほっと胸を撫で下ろした。
「がいるところに僕が居てもなんの不思議もないと思いますが?」
「アンタタチ、契約切れてんでしょ!」
「マスターとサーヴァントとしての契約は切れてるわね」
「そ……」
「それです!」
凛ちゃんの言葉を遮るよう、桜ちゃんが急に声を荒げる。何事かと他者の視線を集めながら、桜ちゃんは得意気に両手を腰に当て私の方に向き直った。
「私、見た気がするんですよ」
「何をよ」
仁王立ちの桜ちゃんをジト目で見つめながら、凛ちゃんはホットケーキを口にする。すっかりバターが溶け良い感じになっている私のホットケーキもそろそろ頂きたいところだが……話の矛先がこちらに向いているせいで、どうも行動が起こしにくい。
「さんのステータスです!」
「え?」
聖杯戦争中に、桜ちゃんは私のステータスを見たという。だが、それはおかしい。
「サーヴァントのステータスは見えても、マスターとなる存在の数値化はないんじゃないの?」
凛ちゃん達から聞いた知識を総動員し、私は一つの疑問を口にする。それに、桜ちゃんが見たというならば、凛ちゃんや士郎といった他のマスターからも話題が出るハズだが……。
「桜の見間違えじゃないの?」
「俺ものステータスなんて見えた事なかったしなぁ」
全員分のホットケーキを用意し終えた士郎が自分の分を手にし席に着く。
「でも、絶対見たんですよ!」
「うーん」
首を傾げながらも士郎はちゃっかりホットケーキを口に運んでいる。これでいよいよ食べていないのは私だけとなってしまった。早くきつね色の存在にナイフを入れたいところだが、やはり桜ちゃんの視線が気になる。
「見間違え、とは言えないんじゃないですか」
「ギルガメッシュ?」
思わぬ所からの援護射撃に、桜ちゃんを始めその場にいる人間の行動がピタリを止まった。
「お前何言ってんだよ?」
「実際に桜は見たと言ってるんですし、それに――お姉さんはどちらかと言えば僕達寄りの存在ですしね」
「あぁ……なるほどね」
ギルガメッシュの言葉に納得する私とは別に、士郎や凛ちゃんは不満そうな雰囲気を全面に押し出してくる。
「シロウ、話が分かりません」
「安心しろセイバー、俺も分からない」
凄い勢いでホットケーキを消化していくセイバーさんに、士郎は自分の分をそっと差し出す。折角焼いて貰ったホットケーキの鮮度が落ちないうちに、私の分もセイバーさんに上げた方がいいんだろうか。そんな疑問が脳裏を過ぎるのと、「契約してみます?」と軽い音が隣から発せられたのはほぼ同時だった。
「契約って、ギルガメッシュと?」
「はい」
ギルガメッシュからの提言に今日という日付けを思い出してみる。繰り返し続ける日常の中で士郎が新たな刺激を求めて彷徨っているのには気付いていた。となれば、ここで新たな現象を生じさせておくのもいいかもしれない。時刻はすでに一日の半分以上を消費しており、今日という日常が終われば新たな時間軸に戻ることとなる。半日ギルガメッシュを借り受ける程度ならば、教会のシスターも大目に見てくれるだろうか。
「まぁ、ギルガメッシュがいいならそれでいいけど……」
「い、いやいやいや! ちょっと待て!」
「そんなに慌ててどうしたのよ、士郎」
「お、おまっ、んな簡単に契約できるわけ……」
「侮るなよ雑種」
「え」
瞬き一つの間に、隣にいた子供が成年体に変わっているのはどんなマジックだろうか。呆然と見つめる私の頬をそっとなで、「阿呆面を晒すでない」とギルガメッシュが不敵に笑む。
「なにやら面白い事をしているではないか」
そういえばギルガメッシュはつまらない事が嫌いだったよなぁ、と思いつつ、周囲の視線が外れた隙を狙いようやくホットケーキに着手した。少しばかり冷めてしまったがふっくらとした生地とメープルシロップの組み合わせは最高に美味しい。
「」
「なぁに? ギルガメッシュ」
赤い瞳が私を見下ろし、愉悦の色を刻む。ああ……なるほど、この自分勝手な王様は周囲を狂の渦へと引きずり込みたいわけだ。となれば、元マスターとして私が取るべき行動は一つ。
「汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら――」
「誓おう。汝の供物を我が血肉と成す。衛宮、新たなるマスターよ」
「ああああああ!!!!」
カチリ、と歯車が噛み合わさるような感覚が全身に広がり、今まで以上にギルガメッシュを身近な存在に感じる。
「な、なんっ! だって令呪もって……!」
「喚くな雑種。に令呪なんて必要なかろう。それすらも理解出来ぬのか」
「え、えええ!?」
子供のギルガメッシュが言っていたように、私はどちらかといえばサーヴァントと呼ばれる彼等に近い存在らしい。理を外れている時点でそうといえばそうなのだが、改めて言葉に出されると奇妙な感覚だ。
「まぁ細かい事は気にしないほうが楽よ? で、桜ちゃんの当初の疑問はこれで解決するのかしら?」
「あっ、そういえば……」
じっと六つの目がこちらを伺ってくるのは居心地が悪い。またもやホットケーキを食べる機会を失い、私は小さなため息と共にフォークを置いた。
「つーかよ」
始めに声を発したのは士郎だ。
「ギルガメッシュのステータス、おかしいだろこれ」
「私も自分の見間違えかと思いました」
「ギルガメッシュのステータス?」
自分のサーヴァントである存在のステータスなんて気にしたことはなかったけれど……おかしい、と形容されると気になるのが人間というもの。隣に座る存在をじっと見つめれば、返ってくるのは相変わらずの笑みだけだ。
「筋力、魔力、耐久……基本ステータスがオールA+++ってどういうことですか!?」
「それって凄いの?」
「凄いもなにも! チートよチート! じゃなかったらバグよ!!」
桜ちゃんが読み上げたステータスに、座席から立ち上がり怒りを顕わにする凛ちゃん。元よりギルガメッシュは存在自体がチートかバグのようなものなのだし、あまり気にすることもないと思うのだが……マスターとしてはそうはいかないのだろうか?
「変といえば、単独行動スキルが低いのも気になるよな。お前、言峰に使役されてた時ですらA+だっただろ? それがなんでBまで落ち……」
疑問を口にしながら士郎は急に押し黙る。何事かと首を傾げる私に再三向けられる視線が妙に痛い。
「……単独行動:B(A+)――マスターの意向を汲み、敢えてランクダウンしている」
「え、え!? な、なに?」
批難するような視線が向けられ思わずどもる私とは裏腹に、ギルガメッシュは高笑いを響かせる。正反対の行動をとる私達を前に、士郎は「」とどこか疲れた声で私の名を呼んだ。
「俺、さぁ……人の好みとかとやかくいう柄じゃないけど……。正直、コレはどうかと思う」
「し、士郎? なんなの、その哀れみの籠もった視線は」
「さん、ランクダウンの理由を鵜呑みにすると、ですね? これはマスターである貴女がそこの金ぴかを傍に置いておきたいと思っている。っていう風にとれるんですよ」
凛ちゃんの回答に絶句する私。怖い、なにそれ怖い。恥ずかしさで死ねるとはこういうことを言うのではないだろうか。必死に言い訳を探す私の横で、相変わらずギルガメッシュは笑い続けている。くそう、この慢心王め。お前分かっていて唆しただろう。
「あっ」
がっくりと項垂れる私の前でバターの小さな塊がホットケーキから滑り落ちるのが見えた。ああ、人の幸せとはこうも簡単に流れゆくものなのか。せつない現実に、ちょっとだけ目頭が熱くなる。
「先輩、やっぱり見えますよ! さんのステータス!」
「え?」
しょんぼりする私とは裏腹に、桜ちゃんは楽しそうだ。
「俺には見えないけど……」
小聖杯として創られた桜ちゃんならではの能力なのか、自分が間違っていなかったと嬉しそうに両手を合わせ桜ちゃんは微笑む。
「なぁ、の能力ってどんななんだ?」
見えない士郎と凛ちゃんも気になるのか、桜ちゃんの背後に立ちじっとこちらに熱い視線を送ってきた。
「えっとですね、さんのステータスは…………? 全部、E……みたいです?」
「はぁ?」
「そりゃおかしいだろ」
マスターとしての力や魔力により、サーヴァントのステータスは変動する。つまり、私と契約しているギルガメッシュのステータスから考えるとすると、マスターである私のステータスが低すぎるというのはありえないというのが、他マスター二名プラス一名からの意見である。
「なんでがそんなんで、アレがこうなるんだよ」
「さぁ……? あ、でも待って下さい」
内面を透視されるような強い視線は居心地が悪い。もぞもぞと座布団の上で姿勢を正す私を面白可笑しそうに見下ろしながら、ギルガメッシュは人の皿の上に残っていたホットケーキを口に含んだ。
「あ、ちょっ、それ私の――」
「さん……の、ステータス。全部括弧付き、です。その……あの……」
「どうした? 桜」
「もったいぶらないで言いなさいよ」
「はぁ……あの、基本は全部A……みたいなんですけど。『本人が面倒がってやる気がないためランクダウンしている』そうです」
「…………」
「…………」
「え? なに? 今度はどうしたの?」
恨みがましくギルガメッシュを睨み付けていた私を取り巻く雰囲気が一転し、妙に余所余所しいというか……こう、ペットショップのゲージに入っている子犬を見るような、そんな視線が机の向こう側から注がれているのに気付き私はギルガメッシュから視線を外した。
「」
「え?」
「食い意地なんぞはるな、浅ましいぞ」
優雅な指先が頬をなで顎を捉える。油断大敵、注意一秒、怪我一生。ふわり、と柔らかな感触が唇を覆うと同時に、私が堪能しそこねた甘さが咥内を満たす。
「なっ――!!!!」
周囲の空気が凍るのを肌で感じながら、停止した思考の中で感じるのは味を伝えるよう咥内をまさぐる感触だけだ。
「はっ……」
視界を覆っていた色が離れたのを確認し、詰めていた息を吐く。何をされていたのかとか、ここが何処なのかとかそういう疑問が浮かんでくる前に、ギルガメッシュが己の口端を舐める仕草が目に留まった。白い肌に映える赤い色がひどく淫らで……。
「美味だろう?」
「――ッッッッッッッッ!!!」
ギルガメッシュの言葉に呼応するよう一気に血が上る。
「あ、あのホットケーキは士郎が作ったものだから!!!」
「フハハハハ! 照れずとも良いぞ! !」
まともな思考回路が起動しないせいで幼稚な言い分しか言葉に出来ない私と、痛快だと笑い続けるギルガメッシュ。
そんな私達から少し離れたところで「知らぬが仏、か……」と、後悔が滲み出ている士郎の呟きが聞こえた。 |