「あ」
 違和感が確信に変わる瞬間。
「――……」
 手にしていた果物を流し台に置き、水気の残った手をタオルで拭きながら縁側へと歩を進める。少しだけ生暖かさを残した風は木々を揺らし、乾いた音を奏でる。
 暗い空に浮かぶ逆月を見上げれば、周囲の輝きを吸い込むような暗さを垣間見た。
 はじまった、と誰かが囁く。
 強い願いに誘われて、存在しないハズの日常が空間を覆い尽くす。元に戻す事は可能だろう。だが、それをしようとは思わない。なぜならば……。
「面倒、だわ」
 悪を倒すのは正義の味方の役目であり、私が出る幕ではない。
「とりあえずは、ギルガメッシュに相談かなぁ……」
 存在しない八組目である私達まで呼び込まれたということは、何らかの役割を与えられているということだろう。居ないハズの存在、歪んだ因果。何もかもが億劫で、目を逸らしたくなる。
「私なんかを登場させたって、いいことなんて全然ないのにね」
 居ないハズの誰かに向かって発する問いは、風に乗って消えた。

 

 翌朝、普段よりも遅く起床した私を待っていたものは、セイバーさんとライダーさんがいがみ合っている光景だった。
 遠巻きに耳を澄ませば、聖杯戦争が再開したとかなんとか、物騒な単語と殺気を発しながら言葉を交わしている。
「あ、おはようございますさん」
「おはよう、桜ちゃん。今日はまた一段と賑やかねぇ」
「ええ……」
 自分のサーヴァントであるライダーさんを困ったように見つめながら、お茶を淹れてくれる桜ちゃん。熱すぎず温すぎず、ほどよい温度の液体が乾いた咽を潤していく。
「あの、さんは……」
「ん?」
 口ごもる桜ちゃんを見つめれば、困ったように視線を逸らされる。それで、彼女が何を聞きたいのか分かってしまった。
「心配なんて必要ないわよ」
 令呪のあった左手を桜ちゃんの前に差し出せば、僅かに見開かれる瞳。
「私はもうマスターじゃないから」
 聖杯を手にする権利は既に無い。
「え、でもギルガメッシュさんは……」
「別にマスターとサーヴァントという間柄でなくても、縁は続くものよ」
 主従という関係よりも、もっともっと深いところで。
 桜ちゃんには見えない左薬指の銀輪に目を細め、今は傍にいない金の存在に思いを馳せた。
「それよりも」
 未だ睨み合っている両者の向こう側で、困った表情を浮かべる士郎を見遣る。
 桜ちゃんやセイバーさん達は気付いているのだろうか? いや、気付いていたらサーヴァント同士で言い争いしている訳がない。
「趣味悪いの」
「え?」
「綺麗な女性同士の言い争いを黙ってみているだけなんて、士郎ってば趣味悪いと思わない? 桜ちゃん」
「っ!? い、いえ、私は……」
「ああ、そっかそっか。桜ちゃんに聞く内容じゃなかったね……。ごめん、ちょっと意地悪だった」
「い、いえ別に気にしてませんから……。そういうさんは止めに入らないんですか?」
「えー……」
 桜ちゃんの提案に心底嫌そうな表情を浮かべ、「面倒だわ」と口癖を告げれば、「さんらしいです」と年相応の可愛らしい笑顔をくれた。朝から役得だ。
「士郎」
 私の言葉にサーヴァント二人の言い争いが止まる。
「ちょっとこっち来なさい」
 手招きに誘われるよう歩く士郎を見つめる色とりどりの瞳。
 椅子に腰掛ける私の目の前まで来た士郎の両頬に手を添え、ぐいっと己の方に引き寄せた。
さん!」
! 何をしているのです!」
 方々から上がる非難の声を受け流し、見慣れた瞳をじっと見つめる。
「お、おい?」
「士郎」
「――なんだよ」
「貴方は男の子なんだから、女の子はきっちり守ってあげないと。言い争いさせっぱなしなんて男の風上にもおけないわ」
 己という存在をかけて、全身全霊で守り抜いてみせろ。
?」
「格好いいとこ、みせたいでしょ? ねぇ――」
 弟以外の名を心の中で紡ぐ。
 音にならない声を聞き取ったのか、見慣れた瞳の奥底で、見慣れぬ存在の笑顔を見た気がした。

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