暖かいのか、寒いのかよく分からない空間に身を浸していた。
視界はどこまでも暗く、吐き気が治まる気配はない。
暗く暗く、どこまでも暗く。立っているのかどうかすら分からない世界。
「逢いたいなぁ」
言葉が音になったのかどうかは分からない。ただ、暗闇に支配された世界で輝く金色がみたいと思った。
不意に変わる景色、耳をつんざくような音。
それは怒りであり、嘆きであり、様々な負の感情を詰め合わせた呪いであった。
「こりゃ気も参るわ」
片手で顔を覆い、閉じていた目を開ける。
脳に直接響くような大音量に両耳を塞ぎたくなったけれど、塞いだところでどうなるわけでもない。
叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。大音量が流れ込んでくる。
覚えている訳がないと、理解させるように叫び喚く。
ソレらが何を言いたいのか分かっていた。
「あっれー珍し」
掛けられた声に意識を向ける。暗闇の中であっても更に暗く、深く。闇を背負って彼はそこに居た。
「初めまして、であってるかしら」
「初めまして。オネーサン。ここで意識を保ってる奴に会うのは久しぶりだなぁ」
楽しそうに暗闇は笑う。
「私もこんな所で会える人がいるとは思ってなかったわ。ちょっとだけ得した気分かな」
「アンタ面白ぇな!」
私の言葉にケラケラと笑う存在。おそらく私はソレの名を知っている。ただ、今言うべき言葉でないと音にしないだけ。
「一応名乗った方がいいのかな。私は衛宮。よろしくね、黒い人」
「黒いって、それひどくね?」
酷い酷いと呟きながらも存在は笑い続ける。
「あー、マジでアンタいいな。俺とここにいない?」
「アンタじゃなくて、ね。。言葉は正しく使いなさいな」
「へぇへぇ」
距離など無いこの空間で、黒い存在が私の間近にいることが理解出来た。
ふわりと頬に触れる感触。手なのか、幻か、そんなことはどうでもいい。
「なぁ。俺が望めばアンタはここにいるのか?」
負に支配された空間で出会った存在は、置いてけぼりの子猫を連想させた。
「さぁ、どうかな。いるかもしれないし、帰るかもしれないね」
「ハハ、やっぱサイコー」
どうやったら帰るという選択肢が選べるのか分からないが、私は迷い泣くその単語を口にした。いつだって願いは力になる。それを知っているから。
「諦めが人を殺すんだよ」
「ああ、知ってるよ」
「そっか、なら大丈夫だね」
「俺は未練タラタラだけどなー」
帰還を促す単語を紡ぐ度に、逃がさないと暗闇がまとわりつく。
一度取り込んだものが外にでるのは許さないと、意志をもって私の体を絡め取る。
「束縛されるのって好きじゃないの。自分がする分にはいいんだけどね」
だから――私の願い、想いは一方通行なのだ。
「アンタともっと早く逢えればなぁ」
「過去を口にしても未来は開けないよ? どうせなら、これからやりたいことを悔やみなさいな」
「なんだそれ」
「さぁ、なんでしょう?」
軽口を叩く存在とは別に、暗闇は負で染め上げようと呪詛を吹き込んでくる。
辛い、悲しい、怖い、苦しい。
ありとあらゆる感情でこの身を浸食しようと手を尽くす。
「やっぱアンタ可笑しいわ」
「褒められてるのかなぁ、それ」
「褒めてる褒めてる。ここで自我を保ってるなんて、アンタ何者だよ」
クツクツと笑う音がギルガメッシュを彷彿させて、やっぱり会いたいなぁとぼんやり思った。
「アナタなら分かるんじゃないの?」
「いーや? 分かるけど分かんねー」
「思ったより万能じゃないのね」
脳を占領するのは不快感のみだけど。
「いつまでもここにいると泣いちゃう人がいるから」
駄目だと暗闇は叫んだが、存在は言わなかった。
だから――。
「またね」
ひらひらと振った手は見えただろうか。
帰還しようとする私を阻むよう、更に強い力で思考を占領しにかかってくる暗闇に眉を寄せ、止めの一言を音にする。
「悪いけど……ソレは遠い昔に置いてきたの。残念だったわね」
私を引き留めたかったら、負の感情ではなく他のものにしなさいな。
音にならない言葉を紡いで、無いはずの瓦礫の山を踏み越える。
在ったハズの闇はなく、居るはずの存在も無く。
ぱらりと崩れてくる砂塵を振り払い、ゆっくりと瞼を押し上げる。
「廃墟から見上げる月っていうのも風流ね」
脳の片隅で不協和音が木霊する。無駄なことだと、万が一にも覚えているハズなんてないと。私の意志を削ぐべく音を紡ぎ続ける。
ああ、これでは折角の景色も台無しだ。肌を刺すような冷たい風に瞳を細め息を吐けば、白いもやが風に乗って流れていく。
「だから、なに?」
未だ鳴り続ける音に向けて問いかけ。
「馬鹿じゃないの」
そんなこと、とっくに知ってる。
言い聞かせるよう強く思えば、僅かに残っていた音が完全に消えた。
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