士郎がお弁当を忘れているのに気付いたのはお昼前だった。
今から持って行けば、おそらく昼食には間に合う。そう考えて私は家を後にした。そのときはまだあんな光景に巻き込まれるとは思わずに……。
「士郎−」
見知った姿に声をかければ、私の名を呼んで驚きに目を見開く弟。
「どうしたんだよ」
「お弁当届けにきたの。いくら最近忙しいっていっても、出かける前の確認事項は怠っちゃだめでしょ」
居候が増えてから、士郎は忙しい。それは十二分に分かっているが、自分で作った弁当を自分の分だけ忘れていくというのもどうなのだろうか。
他人が一番で己は二の次な士郎らしいけれども。
「あー、悪ぃ。感謝する」
「夕飯期待してるから」
私が答えれば、困ったような顔で肯定する士郎。やはりというか、なんというか。時折見せる微妙な表情はアーチャーさんと似ている。士郎があんなに格好良く育つなら、隣で見ていたいと思う姉心、プライスレス。
「そういえば士郎、凛ちゃんとかとは一緒にご飯食べないの?」
「あー……学校では、な」
ミスパーフェクトの二つ名を持っている凛ちゃん。どうやら学校では必要以上の接触は避けているらしい。たしかに、凛ちゃんと士郎が急に仲良く行動を共にしていたら不審に思う人も多いだろう。
「そこにいらっしゃるのは、さんではありませんか」
「あら、お久しぶり一成さん」
眼鏡を片手で直しながら、士郎の学友が挨拶をしてくる。
「今日は何用で」
「士郎にお弁当を届けに来たんですよ。でも学校凄い久しぶりだから、ちょっと楽しいかな」
そう言って笑えば、士郎はおろか一成さんも驚いたように目を丸くしていた。
「成る程、もしよろしければお茶でもいかがですか」
「おい一成!」
「あら、いいの? お言葉に甘えちゃおうかな」
士郎に別れの言葉をおくり、生徒会室へ案内してくれる一成さんへと着いていく。
思えば、ここで帰宅しておけばよかったのだ――なんて思っても、全ては後の祭りなのだけれど。
「うわぁ……悪趣味」
ソレが発動したのは突然だった。
視界が赤く染まり、どろりとした密度の濃い嫌な空気が周囲に漂う。
廊下から教室内をみやれば、目に入るのは倒れている生徒と教師。
ここまできてようやく、アーチャーさんが「学校が」と言っていたことを思い出した。
「どうしようかな」
士郎や凛ちゃんは大丈夫だろうか。僅かな不安を胸に歩を進める。仮にも魔術に携わるものなのだから、動く事は可能だろう。ただ、問題は――。
「二人だけで大丈夫かな」
生命を吸い取るべく動く空気は気持ちが悪い。
凛ちゃんのことだから、きっと近くにアーチャーさんを控えさせているだろうけど……士郎は確実といっていいほど、セイバーさんを連れてきてないに違いない。
手を出すか、出すまいか。
「って、え!? 藤ねえ!」
窓越しに見えたボーダーシャツに、教室の扉を力一杯開けた。
「だ、大丈夫!?」
ぐったりと弛緩する体は普段からは想像も付かない。それでも微かに動いていたのをみると、流石教職員というか藤ねえというか。どちらにせよこのままではよろしくない。士郎と凛ちゃんが手こずるならば参戦も止む得ないと心に決め、私は当事者を捜すべく教室を後にした。
「士郎!」
「!」
階段を駆け下りたところで、見知った姿を捉える。
「凛ちゃんも、大丈夫?」
「え、ええさんこそ……どうしてここに?」
「説明は後にしましょ。それより士郎、敵はもう……ッ!」
言い終える前に不快な音が鼓膜を揺らす。
「!!」
ジャラリと重い音を響かせて向かってくる紫の存在を紙一重でかわせば、焦りを湛えた士郎と凛ちゃんの横顔が目に入る。
「ライダー!」
「――あれが、ライダー?」
士郎の叫びに問いをかぶせれば、凛ちゃんが代わりに答えを返してくれた。そうか、あれがライダーのサーヴァントか。
「――嫌な音」
「さん?」
ぽつりと漏らした音は鎖の音にかき消される。
ライダーの後に控えているのは慎二さんと桜ちゃん。厄介な事になっているとは思いつつ、ばれない程度に表情を歪めた。
「士郎、原因は分かっているの」
「魔方陣だ」
「それが分かれば十分よ」
主語を抜いて話す私と士郎を怪訝そうな表情で見遣る凛ちゃん。
「士郎、ライダーは貴方たちでなんとか出来るわね」
「?」
今にも襲いかかってきそうなナイスバディなお姉さんを見つめながら、私は左手を頭上に掲げる。
「煩いぞ、何をごちゃごちゃいってる! それに衛宮姉、お前がなんでここにいるんだ!?」
慎二君の言葉を無視して私を護るようにと士郎に告げる。
「ま、まさかさん、令呪で……」
「馬鹿ね、凛ちゃん」
イメージするのは、いつだって。
「アレは保険よ。こんな些細な事に使うなんて勿体ないわ。それに……」
あの音、嫌いなの。
場に不釣り合いな笑みを浮かべて、僅かに解放した魔力を左手に集める。
「ッ!」
緩やかに、しかし確実に現れたものは和弓。
「ど、どういうことなの? 衛宮君、説明し……」
「俺だって説明が欲しいよ、けど、今はの言うとおり眼前の敵をどうにかするしかない」
士郎の言葉が引き金となったのか、勢いを付けてライダーが向かってくる。
「くっ!」
真っ正面から向かってくる敵に怯えることなく、私は弓をつがえた。
いつだって弟を信じてる。借り物の正義を振りかざし、ヒーローになりたいと自らを犠牲にする衛宮士郎という存在を、信じている。士郎ならば、きっと慎二君や桜ちゃんを救ってくれることだろう。
キリキリと引き絞られる弦には、一本の矢が装填されている。
目標は、ただ一つ。
私への攻撃を士郎が妨害し、凛ちゃんが補助に回る。辛そうな二人を視界に捉えながらも、私の意識は違うところに向いていた。
「弓とは、後方支援に非ず」
ライダーの攻撃を間一髪でかわす凛ちゃん。その頬に走った朱色を見て、私は憤りを覚えた。綺麗な顔に傷を付けるなんて、敵だって許された好意ではない。
「ライダーさん、貴方のプロポーションは見事だけど、凛ちゃんに傷を付けるのはいただけないわ」
「ちょ、!」
私の言葉に突っ込みをいれるべきか、攻撃を捌くことに専念すべきか。器用にも両方をやってのけた弟に満足し、限界まで引き絞り力を溜める。
「士郎、忘れたわけではないでしょうね? 弓とは――」
赤い英霊は双剣を得意とした。
だがそれは、彼の存在が獲物を使うまででもないと判断した結果であり……。
敵を目前にして視界を閉ざす。暗闇でもしっかりと視える目標。
「射貫く為に在る物よ」
私がもっとも嫌いとする音を消し去るかのように、矢を放った。
「っぁ!」
風は僅か。しかしその軌跡は空を、空間を裂き目標を射貫く。
物理法則を無視した弓術は私の狙い通り、遠方にある魔方陣を綺麗に射貫いた。
「さん、あ、あなた……」
呆然自失といった感じの凛ちゃんに笑みを返し、手にした弓を空に溶かす。
赤い霧は徐々に晴れていくが、ライダーさんは未だ敵意を向け襲いかかってこようと間を測る。
「士郎、凛ちゃん。あとは二人でなんとか出来るわね」
「――ああ」
士郎の言葉に満足し、私は敵を前にして踵を返した。
「待ちなさい、目撃者を逃がすとお思いですか」
初めて聞こえた音に振り返る。
目隠しをした状態のライダーさんが私に向かって武器を向けていた。獲物は根絶やしにするといった気迫は嫌というほど伝わってくる。だがしかし。
「逃げられないなんて、誰が決めたの」
私の言葉に、パキリと何かが割れる乾いた音が響く。
「後は任せたわよ、二人とも。先に帰って夕飯の支度しておくから」
今度こそライダーさんに背を向け、出口へと一歩を踏み出す。おそらく学校は当分閉鎖状態になるだろう。となると、士郎も凛ちゃんも家にいるということになるから……今あるだけの材料では足りないかもしれない。
ついでだし、買い出しをしてかえろう。心に決め校舎を後にすれば、そこに在るのはいつもと変わらぬ日常だった。
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