夢を見た。
荒野に一人立ち尽くす人影。草一本生えぬ枯れた土地で誰かを待ち続ける存在は、ひどく疲れ果てていた。近づこうと思っても、見えない壁が邪魔をして一定以上進めない。
だが、立ち尽くしているのが女だということは理解出来た。
理解したところで何も出来ない自分に歯がゆさを感じれば、視界の中で女がゆっくりと振り向く気配。
「っ!」
突如視界を遮る突風に、反射的に目を瞑る。
次に視界を覆ったのは、枯れた大地ではなく緑溢れる豊かな景色だった。
「ぁ……」
知らず漏れた音に草木がざわめく。白い花が大気を舞い、空を彩る。これはなんていう名前の花だろう。名も無き白さに目を奪われる中で、小さな少女がこちらに笑いかけた。
「士郎、今日何か予定ある?」
「ん?」
朝ご飯の片付けをしながら問えば、午後から凛ちゃんに魔術の稽古をつけてもらうという回答。
「そっかー、んじゃどうしようかなぁ」
「何か悩みでもあるのか? 」
「悩みっていうか、今日仕事先のお友達がご飯食べに来るのね。だから士郎にも手伝ってもらおうかと思ったんだけど」
「悪ぃ」
「気にしないで、士郎の予定をつぶしてまでお願いしたいことじゃないから。それに……手伝ってくれそうな人なら他にもいるから」
笑みを浮かべて礼を述べれば、申し訳なさそうな顔をして士郎が台所から退場した。
凛ちゃんとセイバーさんが衛宮家に来てから、一番変わったのは食卓だとおもう。何が変わったって、まずは量だ。桜ちゃんも藤ねえもかなり食べる方だが、セイバーさんは二人を上回る食欲を見せつけてくれる。
当初こそあまりの食べっぷりに感嘆していたが、最近はちょっとばかりエンゲル係数がきになるのもたしかだ。
ギルガメッシュは子供の姿になってからどこかへ出かけることが多くなったし、最近はほとんど家にも帰っていないのではないだろうか。自由にしていていいと言ったのは私だし、元より拘束するつもりはないのでかまわないが、少しだけ寂しい。
士郎達が学校へ行ってしまえば、後に残るのは静寂。
セイバーさんは道場で瞑想しているらしいから、話し相手にはなれないし。
「どうしたものかしら」
ランサーさんの好物を聞いておけばよかったと買い出しの前に気付いたが、時既に遅し。バイト先の食べっぷりからみてセイバーさんと同等くらいの量が必要だと判断し、多めに軍資金を用意する。
「稼いだお金が全部ご飯に消えるってのも、なんかせつないなぁ」
作り手としては嬉しい悲鳴といえなくもないけれど。
心の中で付け足して玄関戸を開ければ、何故か赤い英霊が目の前に立っていた。
「……アーチャーさん、どうしたの?」
「買い出しに行くのだろう」
「え? ええ、そうだけれど」
「アイツの為というのが気に食わないがな」
「アーチャーさん、ランサーさんと仲悪いの?」
「敵同士で仲良くしてどうする、たわけが」
こつりと降ってくる拳骨はひどく優しい。
「でも付き合ってくれるんだよね?」
「荷物持ちがいないからな」
仕方なくだと肩を竦める英霊に、「豪華な荷物持ちですこと」と感謝しつつ扉を閉めた。
「ねぇ、アーチャーさん」
「なんだね」
アーチャーさんを「士郎」と呼ぶのは止めた。彼は英霊エミヤであって衛宮士郎ではないのだから、彼を士郎と呼ぶのは失礼になるような気がしたのだ。
「アーチャーさんも料理得意だよね」
なんといっても士郎の未来なのだし、更に腕を上げているとみていいだろう。
「何が言いたいのだね、君は。私は手伝いなどしな……」
「アーチャーさんと士郎と、どっちが上手なのかしら」
私の言葉に一度閉口し、すぐに「わかりきったことを」と不機嫌な声が降ってきた。
「青二才に私が負けるハズなかろう」
「青二才って士郎のこと? でも戦闘ばかりやっていたんじゃ、腕が落ちてても不思議じゃないよね」
「――よかろう」
アーチャーさんの目に闘志が宿ったのを見て、私はばれない程度に口角を上げた。
「――なんでさ」
目の前に広がる光景を信じがたい気分で見つめれば、自然と言葉が口から漏れる。
「ねー、お塩とってくれる?」
「これだろう」
「ありがと」
ぴったりの息を見せつける二人。下手をすればマスターとサーヴァントという間柄よりも息が合っているのではないかと推測される行動に、士郎はおろか凛までもが唖然と口を開けた。
「んー、ちょっと味みてもらっていい?」
「ふむ、よかろう」
「あああああああ!!!」
そしてこともあろうに二人は、カップルがやるような「あーん」を目の前で繰り広げてくれたのである。
「あら、士郎お帰り」
「お、お帰りじゃない! 何やってんだよ!!」
「何って夕飯の支度だけど」
怒っている意味が分からないと首を傾げるに、赤を通り越して土気色になりつつある士郎の顔色。
「だっ、そ、おまっ!」
「言葉は正しく使いなさいっていつもいってるでしょう? 全くもう……。ね、アーチャーさん味の方どう? やっぱりもう少し濃い方がいいかしら?」
「少しばかり醤油を足した方がいいだろう」
「ん、分かった」
何事もなかったかのように作業に戻る二人。やるせない怒りを抱えているのは隣に立つ人物もそうなのか、視界に入った拳が小刻みに震えている。
「士郎……なんなのよ、あの二人……」
「――俺の方が聞きたい」
数日前に知り合ったばかりだというのに、新婚夫婦よろしくな雰囲気を醸し出しているアレは誰なのだろう。何気に付けているエプロンがお揃いだというのも気に入らない。
人の姉にちょっかい出しやがって。心の中で呟く士郎の苛立ちを感じ取ってか、赤いサーヴァントは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ー飯食いに来たぜ!」
庭からかけられた声に席を立つ。
「士郎、今の声って……」
「遠坂何も言うな。嫌な予感なら俺もビシビシしてるから」
「いらっしゃい、ランサーさん」
何故か庭から進入したランサーさんに会釈をすれば、片手を上げて応える兄貴肌。
やっぱり格好良いなぁと目の保養をしたいのに、背後から突き刺さる視線が痛すぎてどうにもならない。
「あ、っと靴は脱いでくださいね? 日本の風習なんで」
「おう。郷に入ればってやつだな」
「良くご存じで」
綺麗に揃えられた靴に微笑を漏らしながら、居間へとランサーさんを案内する。
「お、久しぶりだな坊主」
あからさまに顔を顰める士郎に、敵意丸出しの凛ちゃん。アーチャーさんはいつの間にか姿を消しているし、セイバーさんに至っては並んだ食事に釘付けだ。
「先に言っておくけど、ランサーさんは私のお客さんなの。士郎も凛ちゃんも、そこのとこは理解してくれるわね?」
言外に戦闘行為は無しだと釘を刺せば、苦虫を噛みつぶしたような顔で引き下がる二人。
「ご飯は皆で楽しく。異論のある人はいるかしら?」
「素晴らしい教訓だと思います。」
「セイバーさんに肯定されると嬉しいなぁ」
今にも涎を垂らしそうな英霊というのも面白い。なんとなくギルガメッシュがセイバーさんにこだわる訳が分かるような気がする。
「というわけで、アーチャーさんも一緒にご飯食べましょ」
「あ?」
茶碗に盛られたご飯は現在の人数よりも一人分多い。
「なんだ、赤い兄ちゃんもここに住んでんのか?」
「うん。アーチャーさんは凛ちゃんのサーヴァントだからね」
「さん!!」
「あまり身内の内情を敵に晒すのはいただけないな」
真後ろから聞こえた声に茶碗を取り落としそうになったが、手から滑り落ちる寸前褐色の肌が茶碗をさらっていった。
「がどうしても、というなら」
からかいを含んだ声色で言うアーチャーさんに、士郎が敵意のある視線を向ける。
「アーチャーさんも一緒に食べてください。お願いします。これでいいかしら」
にっこりと微笑み付きで切り返せば、負けたと肩を竦めアーチャーさんも席に着いた。
「今日の料理ね、私とアーチャーさんで頑張って作ったの。だから沢山食べてね」
私の言葉にセイバーさんの目がきらりと光る。
「へーが作ったのか」
「ランサーさんが食べたいって言ってくれたから、ちょっと頑張ったよ。あ、でもやっぱり士郎の方が美味しいってのが悔しいんだけどね」
同意を求めるように視線を移せば、照れたようにそっぽを向く士郎。たまたま向いた方向にセイバーさんがいて、士郎は違う意味で赤くなっていた。我が弟ならがウブなものよ。
「本当はギル様も一緒出来れば良かったんだけどねぇ」
もっきゅもっきゅと食べ進めるセイバーさんに負けじと、これまた凄い勢いで箸を動かしていたランサーさんの動きが一瞬止まる。
「嬢ちゃん、ギル様ってのはあれか? 態度のでかい金ぴか野郎のことか?」
「ん? ランサーさんギル様知ってるの?」
「あー、まあな。つか嬢ちゃんアイツとも知り合いかよ」
苦々しい顔で味噌汁を啜るランサーさんに、消していた左手の令呪を浮き上がらせる。
「マスターやってるの、ギル様の」
「あ?」
つまんだ唐揚げがぽとりと皿の上へ戻る。
私の左手をまじまじと見て、ランサーさんは空いている方の手で頭を掻いた。
「アイツから令呪盗ったのって、嬢ちゃんだったのか」
「ランサーさんは、ギル様の前のマスターさん知ってるの?」
「まぁな」
落とした唐揚げを再度つまみ上げ、今度こそ口の中へと放り込むランサーさん。そんな彼を見遣りながら同じように唐揚げを租借して、対面に座る士郎に視線を移す。
「士郎、明日出かけてくるね」
「急にどうしたんだよ、」
「一度ご挨拶に伺わなきゃとは思ってたのよね」
私の漏らした一言に、空気が音を立てて凍り付いた。
「私もさ勝手に借りちゃって申し訳ないとは思ってたわけよ。ランサーさんの知り合いならちゃんとご挨拶しておきたいじゃない」
「あー、いや、それは……どうだろうな」
食べる手を休めずにランサーさんが呟く。
「私は反対よ。元マスターに会うだなんて、殺してくれと言ってるようなものだわ」
「私もリンの意見に賛成です。貴女はもう少し考えをもつべきだ」
口の周りにタルタルソースが付いている状態では、威厳もなにもあったものではない。
「んー、大丈夫よ? いざとなったらギル様が来てくれるでしょ」
「だから! そういう考えが危ないんだっていうの!」
「アイツが何かしようとしたら、俺も護ってやるよ」
男前な笑顔をくれるランサーさんに「嫌だな」と本音を漏らせば、赤い目が拗ねたような色を宿す。
「そんなことでお願い聞いてもらうなら、一人で探して行った方がましだわ」
「つれないねぇ。ま、今回はノーカウントでいいぜ」
「ほんと?」
「ああ、本当だ」
仕事仲間のよしみで護ってやるとランサーさんは言ってくれた。きっとこの人はこうやって自分自身をがんじがらめにしたんだろうなぁ……。初めて触れた時に流れてきた記憶を垣間見てしまったせいで、彼の名前も戦歴も知ってしまった。ありがたい事に当人には気付かれていないようなので、今度もいうつもりはないけれど。
「明日はよろしくお願いしてもいいのかしら? ランサーさん」
「おう、任せとけ」
話している間にも、食卓の料理は凄いスピードで減っていく。
「そういえば、ランサーさんの住んでる場所ってどこ? 新都?」
私の言葉を頷き一つで肯定し、ランサーさんはセイバーさんと張り合うかのように料理を食べ進めていく。
「新都かぁ……この時間からだと帰るのも大変だよね」
実際最速を謳う英霊には時間の概念など関係ないのだろうけれど、連絡手段を持っていなさそうなサーヴァントと待ち合わせをするのは面倒そうだし、かといって明日迎えに来てもらうのも悪いし……。
「ランサーさん、遅くなっちゃったし今日泊まっていく?」
「お、まじで?」
「うん。明日待ち合わせするのもめん……」
「「却下だ」」
最後まで言い切る前に、士郎とアーチャーさんの声が綺麗にハモった。
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