今日は金曜日。週末はもうすぐだ。

 妙に忙しない気配を漂わせている城内で、女は優雅に足を組み替えながら渋い紅茶を口にしていた。こうして舌を刺す味に眉間の皺を深くするのは何度目だろうかとぼんやり考え、この思考に意味は無いと数秒前の疑問を放り投げ、再びカップを傾ける作業に戻る。
 ゴミ袋を纏ったような男は既に行動を開始していて、回数を重ねる毎に特異な変態性に磨きをかけているような気がするのは、きっと気のせいではないだろう。
 普段から静かな城内ではあるが、最近は特に静かだと、手元で鳴った陶器の音を耳にしながら細い息を吐いた。
 明確な行動理由がある存在達は良い。終わりが分かっていても、足掻き藻掻くのも愉しみの一つと言えなくもないからだ。
 特に首謀者たる男は毎回飽きもせずに同じことを繰り返し、終わりを迎えるごとにまた今回もダメだった。と薄ら寒い笑みを張り付けたまま、反省の色すら感じさせない態度で世界をリセットする。
 男を知るもの、男を一目でも見たものならば、必ず感じるという嫌悪感。
 歪みきった存在は男に向けられる攻撃的な感情をものともせず、同じ過ちを繰り返し続けるのだから、進歩の兆しがないと言えよう。
「君はいつでも暇そうだな」
「あら、心外だわ」
 脳裏に思い描いていた存在が眼前に現れたことに対して思うことは何もない。
 視界に入ったからといって嫌悪感を抱くこともなく、排除したいと思うこともない。ただ、相変わらず地味でうざったてじめじめとしていて、いまにもカビが生えそうな男だという認識が頭の中を横切るだけだ。
 一度くらい華々しく――そう、例えば流れ星のように散ってみせれば笑い飛ばすネタになるのだが、どうにもこの男、退場の仕方まで地味さを極めている。
「配布されたゴミ袋のような衣装、交換したら?」
「そのゴミ袋のような存在と同一体なのは誰だったかな」
「あら、私はいつだって自分の魅力を最大限に引き出す格好を心掛けているのよ。無精な貴方と一緒にしないで。メルクリウス」
 スナップを利かせた片手で出現させた使用済み雑巾を投げつけても、影法師のような男に当たることはない。
「そんな見た目だから、女神の目に留まらないのではなくて」
 一度は置いたカップを再度口まで持って行くと、いつの間にか男が側まで寄ってきていたことに気付くことが出来た。足音が聞こえなかったな、と一瞬考えたが、よく考えずともゴミ袋の下は真っ裸な男が靴を履いているわけがなかった。
「此度の歌劇、君にもご出演願おうか。我が片割れよ」
「珍しい。明日は星でも落ちるのかしら」
 黄昏の女神を座に据えるためだけに書き続けられる脚本に、新たな色を落とし込んだら、きっとそれは男が思い描く結末とは違う物になる。
 もし失敗するための脚本を書き上げたというならば、それこそ酔狂――頭大丈夫? と聞くべき問題に発展するだろう。
「こう見えて、君を買っているのだよ」
「それはそれは、恐縮ですわ」
 何処にいても、一目で周囲の視線を集める派手な色合いを所有する女と陰のような男が並ぶと、どちらが主役に相応しいかなんて聞かずとも分かるけれど。
「指揮者殿は、見返りに何を用意してくれるのかしら」
 視線を動かさずに女が問うと、抑揚を感じさせない男が「ふむ」と小さな声を上げる。
 わざとらしい、けれども珍しい反応に女は空になったカップとソーサーをテーブルに置き、真意の読み取れない男の瞳へと視線を投げかけた。
 鉱物を連想させる瞳は光の加減で色を変える。その事象を美しく思うのだと告げても、男が反応することはないが、女はあえて「貴方の瞳って綺麗よね」と自らの内側にある感想を言葉として伝えた。
「ならばこの目を差し上げようか」
「そんな一文にもならない物体、ごめんだわ」
「やれやれ、では何が欲しいのかね」
「あら、それを女に聞くのは野暮ってものよ。少しは自分で考えなさいな」
「ならば」
 普段なら他者との接触をことごとく避ける男が、枯れ木のような指先で女の頬を辿る。
 極彩色とモノクロ。相容れない二つの要素を視界に収める者がいたとしたら、きっとその者はこう言うだろう。
 似たもの同士、と。
「三つ星は如何かな」
「良いわね」
 自分では見えない、けれども互いによく似た笑みで口元を彩りながら、男は女から指先を引き、女は優雅な動作で椅子から立ち上がる。
 一際美しい空の三つ星、輝くオリオン。
 男が星を墜とすのが先か、男が堕ちるのが先か。
「では、シャンバラまでエスコートして頂こうかしら」
 差し出した女の手を躊躇うことなく男が取り、足音を感じさせない歩き方で部屋を後にする。
「なんだかおかしな話ね、メルクリウス」
「そうかね」
「ええそうよ。とっても変で、おかしいわ」
 普段であれば男が女の手を取ることはない。なのにいままでと違うことをし始めたというのなら、きっと男は疲れ切っているのだろう。
 泊まり込み六日目にしてようやく帰れると思って会社を後にしたら、すでに終電が無くなっていた時のサラリーマンのごとき疲れが、男の全身を蝕んでいるに違いない。
 だからこそ、奇異な行動に打って出たのだ。
「君がおかしいと言うのならば、おかしいのだろう」
 後ろを歩いている女に男の顔は見えない。それはつまり、男からも女の表情が分からないということだから。
「貴方がおかしいのは、前からだけれどね。メルクリウス」
 普段とは違う種類の笑みを浮かべ、女は男の背に声を掛ける。
 さて、ここで男が振り向くのか否か。
 男にとって女の表情は未知であるのか既知であるのか。

 今日は金曜日。終末はもうすぐだ。

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