一際鮮やかな深紅の軍服を肩から下げ、さも当然のように女は其処に在った。
深紅の中から覗くのはチャイナ服と呼ばれる東洋的な衣装で、深く切り込まれたサイドスリットから伸びるのは健康的な両足。白地に散りばめられた花が女の呼吸に合わせて動く様は、一枚の完成された絵画のよう。
だと、思ったのも束の間――。
「メルシー、シルブプレ!!」
無駄に格好良いポーズを決め、片手に持った何かを投げつける正体不明の女。
グラズへイムに存在することから女も城の住人なのだろうが、それにしては妙だとメルクリウスは己に向けられた飛翔物を最小限の行動を用いて躱し、盛大な舌打ちを披露する女へと視線を戻す。
「…………」
紡がれた音の意味にそぐわない行動パターン。一体何がしたいのだ、という謎を与えた女は奇妙な感慨をメルクリウスの空虚な心中に投じた。
既知と未知が同量で存在する不気味な存在。
決して溶け合うことなく混ざり合う質量は水と油の関係を連想させ、形容し難い違和感をメルクリウスの中に残す。
幾度となく繰り返した世界において、これほどまで奇怪な行動を自身に向けてくる存在はあっただろうか。黒円卓に連なる者はメルクリウスを憎んではいても、無意識の内に引いた一線に縛られ直接的な行動に出ることはしない。
「名を」
「…………」
「名乗ったらどうかね、招かざる客人」
投じた問いに口を噤んだ女を見、メルクリウスは己の考えが正しかったことを悟る。派手な色合いに身を包み攻撃をしかけてきたにも関わらず、女からは黄金の香りがしない。
「・」
小さな……だが、確固たる信念を持って紡がれた聞き覚えの無い音に、女が自ら指揮を振るう歌劇の演者ではないと悟る。
では、何故女はこの場に存在するのか。目線一つ動かさず思考に耽るメルクリウスを見何を思ったのか、は何処からか取り出した布らしきものを片手に構え、再び棒立ち状態のメルクリウスに向かい謎の物体を投げつけた。
「何をするのだね」
「副首領なんですから、当たってくれてもいいじゃないですか」
「まずは関係性の説明をしたまえ」
会話が成立しない。メルクリウスにそう思わせるのは希有なことだが、当然のことながらはその事実を知らない。
付き合うのも面倒だと笑みを苦笑に変え、無様に横たわる物体に視線を移せば、背後に落ちた布は雑巾と呼ばれるものだと認識出来る。一定間隔の縫い目と掃除用具に相応しい汚れを確認しつつ、メルクリウスは矢継ぎ早に投げつけられる飛翔物を躱し続けた。
「君は何がしたいのかね」
「貴方に雑巾をぶつけてやりたいだけです」
「意味が分からぬよ」
「あら、貴方がそれを言うんですか」
雑巾を持っていない方の手で口元を押さえ、アーモンド型の瞳を細める。
「水銀の王ともあろうお方が、たかが小娘一人の意図が分からぬとおっしゃる」
全てを知り尽くしているような目は同種の気配を匂わせたが、それにしてはあまりにもの魂は脆弱だ。これといって力強い色もなく、無色透明を思わせる魂はグラズへイムに住まうエインフィリアの一撃を受けたら粉々に砕け散ってしまいそうな儚さ。
「ともあれ……私は諦めませんからね、メルボルン!」
逡巡するメルクリウスに人差し指を突きつけ、は通路の向こう側へと走り去る。
いきなりフランス語で挨拶らしきものを投げつけ、オーストラリアの地名を叫んで消えた女。行動理由も意味も、存在自体が手に余るとメルクリウスは笑みを深くする。
「いやはや、奇妙。まったくもって奇妙な存在。だが……一つ言わせてもらえば」
今は無い背中に向かい一言。
「それは、私の名ではないのだがね」
最初の一文字しか合っていない叫びを反芻し、メルクリウスは近いうちに発生するだろう第二の邂逅を確信した。 |