嫌いな人は誰かと問われ、「私はハイドリヒ卿かな」と笑いながらは言った。
「ほう、何故かね」
 胡乱な視線を向けるメルクリウスに正面から向き直り、は至極幸福そうな笑みを口元に浮かべる。
「貴方ならご存じでしょう?」
「さて」
 飽きる程の既知の中で生きているが、との会話に覚えはない。そも、黄金の獣という絶対的なカリスマを誇る存在を嫌いと称する輩の方が珍しい。
 珍獣でも見たような視線でメルクリウスはを見据えるが、常日頃他人に対して向けている感情が破綻している存在からの視線は、特にこれといって珍しいと感じるような感覚をに与えなかった。
「本当に分からないんです?」
「先程からそのように言っているがね」
「全然気付きませんでした」
 鈴を転がしたような声で笑うを見つめ、常日頃自由奔放に飛び回っている女の新たな一面を目にし、メルクリウスは感心を持つ。
「君もこの城に住まうものなら、悪い印象は抱いておらぬだろう」
「それは押しつけというものですよ」
 卓上に置かれたクッキーを摘み口の中へ放り込むの後ろに、メルクリウスは見慣れた金色を捉え胡散臭い笑みを深くした。急に笑みを深めたメルクリウスには一瞬怪訝そうな顔を向けたが、これもまたいつものことだと割り切り中断した会話を再開した。
「私が嫌いなのは、ハイドリヒ卿であってます」
 笑みを浮かべたままのに再度「何故」と問うと、「だって」と続きを促す言葉が紡がれる。
「好きという気持ちは際限ないと思っていても、いつか上限がきてしまうでしょう? それに比べて、負の感情には下限がありませんもの」
「ほう」
「そういう意味では、貴方は好ましいと思ってますよ? メルクリウス」
「それは重畳」
 珍しい考えを聞いたと笑むメルクリウスの対岸で、件の獣が艶やかな声を発する。
「卿らは人の影口を叩いて楽しんでいるとみえる」
「ハイドリヒ卿」
「彼女は貴方の事が嫌いらしいぞ、獣殿」
 背後に立つラインハルトを見つめるに動揺した素振りはない。それがまた面白いとメルクリウスの感情を僅かに揺らすのだが、が気付くはずはなくただ背後に在るする煌びやかな姿を眩しそうに見つめていた。
「私は卿のことも愛しているよ。時に――私は今、予定のない時間を有している」
 存外にお茶の誘いを仄めかすラインハルトに、メルクリウスは片手をあげ辞退の旨を告げ、もう一人の参加資格を持つ人物に視線を移す。
「卿はどうだ」
 自らを嫌いと称した女に対し愛を告げたラインハルトに、はどういった応えを向けるのか。
 メルクリウスのように断るのか、はたまた嫌いな相手の誘いを受けるのか。どちらに転んでも愉快な光景に違いないとメルクリウスは観察者の眼を二人に向け、導き出される結果を待った。
「私でよろしければ、喜んで」
 言って席を立つを見遣れば、愛情と憎悪は紙一重という単語がメルクリウスの中に落ちてきて、胸中の空白にピタリと収まる。
 そうして、物珍しいと感じた光景は既知の一つとなり、急速に色褪せ溶けた。

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