「うぉかたさぶあああああぁぁ」
 寝起きの耳に届く叫び声。
 叫び声と共に聞こえる鈍い音も、毎朝の恒例行事と思えば我慢も出来……るはずなどない。何が楽しくて日が昇り始めた頃に起こされなければならないのだ。戦国時代の人間は皆老人か。と内心激しくツッコミながら、重い瞼を無理矢理開ければ障子が太陽の色に染まっていた。
 今日も晴れそうだ。

「おはようございますー……」
「ぉっチャン今日は早いね」
 今日は、という言い方に多少の棘が感じられるが、寝起きで応対する程脳が活動していないので聞かなかった事にした。
「佐助さんは相変わらずですねぇ」
「忍びがぼーっとしてられないでしょ」
 誤魔化しながら佐助さんは言うが、確かにその通りだと思う。職業柄敵は多いだろうし、主は守らなければいけないし……。隙を見せる訳にはいかないのだろう。忍びというのも大変な職業なんだな、と一人納得しつつ朝餉を貰うべく調理場へと向かう。
「……なんで付いて来るんですか?」
「んー行く方向が同じなだけじゃない?」
「そんなもんですかねぇ」
「そんなもんでしょ」
 足音が聞こえないのに気配だけが付いてくる来るというのは妙な感覚だ。
「夏の風物詩って感じだなぁ」
「ん?」
「独り言です、独り言」
 こんな所で話題に出したら本当に出そうで怖い。西洋物も弱いけど、日本の物はもっとだめだ……。あの怨念ちっくなのが特に。ああ、嫌だ嫌だ。自分で考えてて薄ら寒くなってしまった。
 早く御飯を貰いに行こうと歩く速度を速めれば、正面に見慣れた人影を発見した。
殿!」
 今さっきまで殴り合ってたと思われるのに、顔や体には傷一つ無い。日本の武将ってこんなに頑丈なものだったっけ? 軽い疑問を抱きつつ満面の笑みでこちらに歩いてくる真田さんに挨拶を返した。

 しっかし。
 良く入るものだ。黙々と食べ続ける真田さんを見ていると、胸焼けがしてくる。元々朝は強い方ではないし、朝食もそれなりな私の日常からしたら、真田さんの食べっぷりは異常と言わざるをえない。武将たるもの……食事もきちんと、といった感じなのだろうか。
「む? 殿は食べないのか?」
「食べてますよ」
 貴方が食べ過ぎなんですよ。
「旦那が食べ過ぎなの」
 佐助さんが言うのだから、この時代の人から見ても良い食べっぷりなのだろう。どちらかといえば細身に見えるのに……。殴り合いで消化しているのか、それとも純粋に鍛錬で消化しているのか。時々披露する、炎を纏う技が体の熱源を使ってたら面白いのに、とありえない事を考えてばれないように笑った。
チャン今日のご予定は?」
「特にこれといってないですけど……何か?」
「それならさ……」
殿! 暇なら某が街を案内しよう」
「あ。本当ですか?」
 途中で遮られた佐助さんの言葉も気になるけど、現状把握が完全でない今は真田さんの申し出が嬉しいのも確か。謝罪の気持ちを込めて佐助さんの方を見遣れば、気にしていないといった感じで軽く手を振ってくれた。

「賑わってますねー」
「はぐれないようにな」
 予想以上の人の多さに一瞬目眩がした程の賑わい。
 お祭りの雰囲気に似ているのだと気付いたのは、少し経った後の事だった。
「いつもこんな感じなんですか?」
「そうでござるよ」
 都会の騒音とは違う、人の賑わい。こんな感覚を味わったのは久し振りのような気がする。年に数回開催される各地のお祭りだって、好んで行った事はなかったし。何より私の住んでいた場所は排気ガスと光化学スモックに支配されていた。
 その後過ごしたギリシャの生活とも違う、独特の雰囲気。
 土と草が奏でる大地の香り。
「思い出すなぁ……」
「ん?」
「ああ、独り言です、独り言」
 この世界に来てから独り言を言う機会が増えてしまったような気がする。
 決して同じでも、似ている訳でもないのに。記憶の奥底にしまわれた風景と重なるこの空間。取り巻く環境も何もかもが違うのに……何故こんなにも懐かしいと感じるのだろう。記憶の中の世界は争いなんてなくて、穏やかな時間がただ淡々と流れていただけなのに……。
「真田さん真田さん。あれはなんです?」
 自分の中の違和感を打ち消す為に目に付いたものの説明をねだれば、その都度丁寧に説明してくれる真田さん。こうして見てると殴り合いが趣味だとは思えないんだけどな。
「……で、……殿?」
「は? ああ、どうしました?」
「上の空だったので疲れたのかと……」
「単に目移りしてただけですよ」
「ならいいが」
 疲れたなら直ぐに言って下され、と続けられた言葉に思わず頬の筋肉が緩む。
「真田さんって、面倒見の良いお兄さんて感じですよねぇ」
 狼狽えたりお館様馬鹿じゃなかったり、直情型じゃなければ。
「な、なな?! そ、某はそのようなっ……!」
 こうして感情が高ぶらなければ……本当に良いお兄さんみたいなのに。途端に大きくなる声と、浴びせられる視線に居心地の悪さを感じながら、迂闊な発言は控えようと心に決めた瞬間であった。
「ここが街の入り口でござる」
 通ってきた道を振り返れば遠くに見える人の影。前方を見つめれば新緑溢れる空間。
「気持ちいいですねー」
「某もここから見る風景が一番好きだ」
 目を細めて街の方を見遣る真田さんは、本当に嬉しそうで。この国を愛しているというのがひしひしと伝わってくる。
 人は城、人は石垣……とは確か武田信玄の言葉だが、この風景を見ているとまさにその通りだと思える。人の繋がりこそが、何にも勝る宝。
 私の住んでいた世界では馬鹿にされるだろうけど、これこそが本来の人間のあり方なのだと思う。古来より受け継がれた意識はかくも美しいものだ。
「やっぱ好きだな」
「え?!」
 時に強く特に脆い、そんな不安定な存在である人間が、ワタシは好きだ。
「良いですよね、こういう風景って」
「あ! あ、ああ、……風景」
「? どうしました?」
「な、なんでもござらん……」
 妙に動揺している真田さんを余所に、ふと話してみたくなった。
「真田さん、私この時代の人間じゃないんです」
 西の方から来たのは本当ですけど。
「今よりもずっとずっと、何百年も先の未来から来たんです。信じろって方が無理だと思いますけどね」
「そ、そんな事はない!」
 必死な形相で否定してくれる真田さんに思わず笑みが漏れる。本当……いい人だなぁ……この人。
「私の居た所って、凄く便利で発達した所なんですけど……こういった自然が、失われた世界でもあるんです。澄んだ空が見れるのは稀だし、空気はいつも淀んでるし。あ、勿論全部の所がそうって訳でもないんですけど……」
 この空気が、いつか淀んだそれへと変化してしまうかと思うと酷く寂しい気持ちになる。
「ま、そんな便利づくしの世界から来ちゃったせいで、こっちで出来る事なんて限られすぎてるんですが、これから宜しく御願いしますって事で」
 暗い話を吹き飛ばすような笑みを浮かべて握手を求めてみれば、はにかみながらも私の手を取ってくれる真田さん。
「あ、勿論今の話は私と真田さんだけの内緒ですよ?」
 西の方から来たという事にしておいた方が、何かと都合が良い。そんな私の意図を汲んでくれたのか、真田さんは了解した! と例の大きな声で答えてくれた。
「私お腹減っちゃいました」
「任せてくだされ殿! 某の気に入りの店に案内するでござる!」
 来た道を戻ろうと足を踏み出せば、横から差し出される温もり。あの真田さんが……珍しい事もあるものだ。と思いながらその温もりを取れば、衣服と同じ位赤くなった真田さんの耳が見えた。
「楽しみにしてますよ!」
「うむ!」
 繋いだ温もりを享受していたら、ふと……今まで感じていた違和感が消えた。
 ああ、成る程。そういうことだったのか。
 何もかもが違う世界で、それでも懐かしいと感じていたのは、一重にこの男のせいなのだと。斜め前を行く背中、彼の纏う雰囲気。
 太陽の、匂いがするんだ。
 その香りこそ、ワタシが産まれた時感じた、忘れる事のない思い出。
 懐かしすぎる記憶に苦笑を漏らしながら、大切なそれに、再び鍵を掛けた。

 end

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