後に聞いた話では、エンシャントを覆っていた闇の軍勢は私の中のウルグの力が消滅するのと、同時期に姿を消したらしい。力の源となる者がいなくなった事によって束の間の眠りに落ちたと思われる。
 バイアシオン大陸にもたらされた平和。
 戦う者にとっての、休息の時間。
 思いもしない蘇りと、混乱。それでも人はもたらされた奇跡を喜び、受け入れた。穏やかで幸福な時間が過ぎ去る中で私に最後の時が訪れる。
 全ての結末。行動の、結果。

 その日もいつもと変わらない朝の筈だった。リューガ邸に焦りを含んだ声が木霊するまでは。
「リディア!」
「ゼネテス様、落ち着いて下さい、リディア様は未だお目覚めになりません」
「そう悠長な事を言ってられないんだ、邪魔するぞ」
 慌てて止めに入ったセバスチャンを退け、真っ直ぐにリディアが眠り続けている寝室へと向かう。最終戦で己の力を使った彼女は、ロストールに帰り着いても未だ深い眠りの最中にいた。眠い、疲れたと連呼してはいたが、まさかこれ程に消耗していたとは。
 荒々しく扉を開け放ち、眠り続ける彼女に呼びかける。
「起きろ、リディア!眠っている場合じゃないんだ!」
 瞼さえ動かす気配の無い彼女を見ていると、このまま目覚めないのではと。このまま黄泉の国へ旅立ってしまうのではないかとさえ思う。
「レムオンが、審判にかけられるんだ!」
 まるでその単語が合図だったかの様に見開かれる瞳。
「先の戦争時の行動を謀反と認定して今日裁判が開かれる」
 謀反?審判?
 彼が裁かれる?レムオン・リューガが?
 起きあがろうとした瞬間、体全体に例えようもない激痛が走り抜け寝台に逆戻りする形となる。
「無理するな、お前さんは十日以上眠りの中にいたんだ」
「とお、か、も経つの……?」
 口の中が乾ききってしまっていて、思うように言葉が紡げない。
 立たなくては、王城に向かわなくては。思いだけが空回りして唇を噛みしめた。
「ほら、掴まれ」
 差し伸べられた手をそっと掴めば、優しい力で起きあがらされる。
「ごめん……」
 自由にならない体が疎ましくて。溢れそうになった涙を見せまいと下を向いた。
「遠慮はいらないさ、その為に来たんだからな」
 いつもの笑顔、飄々とした口調。
 頼ってしまう。甘えてしまう。ゼネテスといると私はすごく弱くなるね。ここぞ、という時にいつも助けてくれるから私は楽をする、という事を覚えてしまった。
「準備はいいか?行くぞ」
 素早く冒険者の服に着替えて、ゼネテスに肩を支えられ王城への道を急ぐ。
 審判はもう始まっているのだろうか。
 彼は、レムオンはどうなるのだろう。
 今の私ではゼネテス他、ファーロスを相手に出来るだけの力が無い。かといってレムオンがダルケニスになってしまったらそれこそ一大時だ。
 審判の間にはおそらく例の双子とあの神官もいる事だろう。彼の秘密を暴いたのは事実上双子なのだし。ああ、思うように走れないこの足がもどかしい。
 王城に着くとゼネテスの姿を認めた衛兵が慌てて門を開ける。
 彼等に奇異の目で見られているのは分かっていたが、今はそれどころではない。
 一刻も早く、広間へ。

「先の戦においての行動、並びに……」
 広間に続く厚い扉を押し開ければ、聞こえてきたのはレムオンを糾弾する台詞。
 もしかしなくても裁決の時なのだろうか……?
 突如開かれた扉の向こうに私達の姿を見つけ、レムオンの表情が変わる。
 王妃を含め他の参列者達も、あるべきはずではない顔触れに困惑の表情を浮かべた。
「エリス様」
 ゼネテスの肩に回していた手を退け、そのまま崩れ落ちるかの様に私は膝をついた。
 ざわめきが辺りに広がる。仮にもノーブル伯の称号を持つ者が人前で膝を折り、頭を垂れるのだから。側に居たゼネテスさえも狼狽えているのが気配で分かる。
「お願いです、お願いします」
 床に額が付きそうな程頭を垂れる。
「おい、リディア!?」
「どうか、どうかレムオン・リューガに御慈悲を……寛大な御処置を……っ!」
 静寂が辺りを包む。
 思ってもみない行動の連続であったのだろう。誰も言葉を発しようとしない。あのレムオンでさえも。闇に落ちる事はなくても、不安は拭いきれない。下された判決が別れを告げるものであったら?私の前から彼が消える結果になってしまったら……?
 考えれば考える程恐ろしくて、一度下げた頭を上げる事は出来なかった。
「そなたは何か思い違いをしているようだな」
 ノーブル伯よ。
 呼ばれ慣れない称号を呼ぶのは、あの人しかいない。
 緩慢な動作で頭を上げ、王座に座るかの人を見つめる。扇で口元は隠されているが、その瞳は微笑んでいた。
「思い、違い……?」
 どういう事?だって、レムオンを裁くのでしょう?
「レムオン・リューガ。そなたに言い渡す」
 私から視線を外さぬままエリス王妃は言葉を紡ぐ。
「先の戦での事、許される行為ではない。従い……」
 間が、とてつもなく長く感じた。竜王戦よりも、最終戦の時よりも、怖くて怖くて、息が詰まる。祈った。これ以上無い程に。
 どうか、私の愛する人を助けて下さい。レムオンをこの世から消さないで。
「これより当分の間政治に携わる事叶わず。そなたに謹慎を命ずる」
 え……?
 驚きで目を見開いている私を、エリス王妃は優しく見つめ続ける。
 だって、裁判なのでしょう……?糾弾、するのでは……なかった、の?
「何故、という顔だな、ノーブル伯よ」
 聞きたい事は沢山あるのだけれど、声が出ない。
「妾とて使える者をむざむざ手放す程愚かでは無い、と言う事。来るべきディンガルとの和平に向けてやらねばならぬ事は山の様にある」
 レムオン坊やに楽をさせるつもりは毛頭ない。
「あ……っはっ……」
 堪えていた緊張の糸が切れると同時に涙が溢れだした。
 ありがとうございます、と何度も心の中で呟く。
「みっともない、拭け」
 差し出された布を受け取り、目覚めてから初めてレムオン兄さまの顔をちゃんと見た。
 微かに笑みを湛える瞳に、暗い影は無い。

 終わったのだ
 ふと、そう思った。

 願った事が、私の願いが。

 いつも暗い所に居た。常に深い悲しみと微かな狂気に彩られていた瞳が、今は……。
 どれくらいの間無言で流れる涙を拭っていたのだろう。
 知らぬ間に訪れていた静寂に、涙を拭う手を止めて辺りを窺う。
 私と、兄さまとゼネテス。それにエリス王妃しかその場には居なかった。大きく息を吸って最後の涙を拭う。ちゃんと、お礼を言わなくては。
「エリス様……」
「妾よりも、そなたにはまず言わねばならぬ事があるであろう?」
 新しい玩具を見つけた子供のように、悪戯を含んだ視線で私を兄さまの方へと促す。
「あっ…………っと、その……」
 ただいま、帰りました……。
 俯き加減で口籠もりながら喋る私に、怪訝そうないつもの表情を浮かべながら、ただ「ああ」と兄さまは返した。
「さて、リディアよ」
「はい……?」
「お主はこれからどうする気じゃ?」
 どうする、とは一体?
「妾が認めたのだ、もうレムオン坊やの妹を演じる事もあるまい」
 今更この話題を出すのか。
 流石雌狐。最後まで一筋縄ではいかないらしい。
 自分では決めかねて兄さまの顔色を窺えば、好きにしろ、と呆れ果てているようなそぶり。ゼネテスの方を見てみても、こちらは我関せずといった所。
 さて、どうしようか。
 まさかこんな事態になるなんて思ってもいなかったせいで、上手い言葉が見つからない。あっさりと嘘を認め今後の対応を考えるか、今まで通り白々しく嘘を突き通すか。どちらを選べば良いのだろうか。リューガの娘を演じるか、一介の冒険者に戻るか。
 答えは、決まっていた。
「そうですね……また新たな旅に出るのも良いかと思っています」
「ほう、俺に黙って出ていくつもりだったのか」
 横から発せられる冷たい声に、条件反射で背筋が伸びる。
 黙って、というか……今決めた事だし。等と面と向かって言えるはずもなく。無言のプレッシャーに耐えかねて思わずエリス王妃の方を見た。
 楽しんでる。
 あれは絶対私の不幸を楽しんでいる。
「何処に行く気なのだ」
「え?あ、ああ……えっと。まずはエルズに行くのもいいかな、なんて」
「ならばとっとと支度をしておけ。済み次第出るぞ」
「あ、はい!…………って、……え?」
 今なんて言ったの、兄さま。
「なんだその顔は。俺も行くぞ、休暇も貰っている事だしな」
「いえ、だって……」
 羽休めだ、とばかりに言い切るレムオン。
 どこをどうとったら「謹慎」が「休暇」に聞こえるのだろうか?これだから、貴族の考え方は理解に苦しむ。
「だって、何なのだ?」
「私はもうリューガの……レムオンの妹ではない訳だし……」
 関わりが、一緒に行動する理由が無い、と。
 途端にレムオンの表情が険しくなる。これはいくら説明しても私が理解しなかった時の表情だ。そりゃ、彼と旅が出来るのは凄く嬉しいけれど。一緒に来てくれる理由が分からない。元より独りで行動するのを好むレムオンが、何故?
「お前は何も理解してないのだな」
 どうせ貴方に比べて理解速度が遅いですよ。
 内心で愚痴りながらレムオンの顔を見据えれば、やれやれといった感じの呆れ果てた表情。そんな馬鹿にしたように人の事を見なくてもいいじゃない。
「俺は言わなかったか?」

 お前を必要としている、と。

 黄金色に輝く畑が、村が、フラッシュバックした。
 あれはその場限りの言葉では無かったの?確かにあの時共に王都に来い、と言われた。でもそれは私を妹と見立ててエリス王妃の糾弾を逃れる為で。ただ、それだけの為で……。
 まさか、今この場で、同じ台詞を言ってもらえるなんて。
 都合の良い夢だと思っていいですか?
 私の願望が見せた幻だと。
「おいおい、レムオン告白なら他でやってくれよ」
 居心地悪そうに頭を掻きながらゼネテスが言う。
「まだまだ若いのぉ」
 便乗するように含み笑いをしながらエリス王妃が。

 側に、居てもいいんですか?
 貴方の傍らに居る事を許してくれるんですか?
 止まったはずの涙が溢れ出す。どうやら私の涙腺は壊れてしまったらしい。
「一緒に、行って……下さい……」
 それだけ言うのが精一杯だった。
「今生の別れとでも思ったか?」
 くつくつと咽の奥で笑いながらレムオンは言う。
 こういう所が性格悪いって言われるのよ。ねぇ、分かってるの?兄さま。
「まぁ……」
 これ以上何を言おうというのか。予測されるのは人を小馬鹿にしたような台詞の羅列。いっそ耳栓でも欲しい所だ。

 そして
 誰もが予想しなかった爆弾を、レムオンは投下してくれた。

「リューガの名は妹でなければ名乗れない、という訳でもないしな」

 レムオンの発言にエリス王妃は扇を落とし、ゼネテスは頭を掻いたままの姿で硬直し、私は衝撃のあまりに涙が止まった。

 やられた、この若い策士に……。
「いつまで呆けている気だ?リディア」
 レムオンの声で慌てて我に帰る。
「旅の支度をするのだろ?」
「は、はい!します、すぐにします!」
 未だ固まり続けるファーロス一家に貴族礼をし、レムオンは颯爽と広間を後にする。私もそれに続き礼儀の「れ」の字も無いような会釈をして、彼の後を追った。
「ふふ、残念だったな」
 落とした扇を拾い上げ、エリスがゼネテスに言う。
 先を越されたな、と笑みを含んだ声で。
 二人が出ていった広間の扉をぼんやりと見つめながら、苦笑を浮かべる事しか出来ない甥を哀れだ、と思いながらも。あの二人が帰ってきたらこの上も無い程の嫌みを込めて冷やかしてやろう、と独り画策するエリス王妃。
 人は彼女の事をファーロスの雌狐と、呼ぶ。


 風が吹いていた。
 全てを覆い、包み込むような優しい風が。
「何をしている、置いていくぞ」
「今すぐに行きます!」
 青銀の髪が光に反射して煌めく。あの日、世界を覆った花霞の光の如く。
 大地に溢れる緑と、頭上を覆う青と、この世を包む白い光。世界が色づき、鼓動を再開する。神に愛された大地、バイアシオン。
 滅びゆく時はその針を止め、再び訪れた静かなる時。
 針を止めた勇者が誰なのかを知る者は少ない。

 これは数多の称号を持つ、一人の少女の物語
 黄金に輝く村に生まれ、己の信じた道を貫き通した
 誰よりも強く、誰よりも弱い。そんな彼女の物語

 この大陸に受けた全ての生に祝福を。

 この光輝く世界に惜しみない深い愛を。

 一つの物語が、幕を閉じる。
 だが、終焉ではない。

 全ての終わりは、ただ、一つの始まりに繋がる、布石。

 END

TOP