夜の空気を深く吸い込めば、思い返すのはこの手に残る不吉な感触。いつからあの人の事が好きになったのだろう。出会いは最悪だった。高慢で陰険で、まさしく脳裏に描く貴族という人種を具現化したような人物だった。
 顔を合わせれば指摘されるのは振る舞いや口調の事のみ。貴族らしからぬ、とか。家名に泥がつく、とかさんざん言われたものだ。
 だったら、何故。と思ったのは一度や二度ではない。いっそ事実を口外してあの人を貶めてやろうとさえ思ったこともある。なのに、知らず知らずのうちに、私の中であの人の存在は大きくなりすぎていた。切り離したくても、すでに手遅れな状態。
 一体何がきっかけだったのだろう。ティアナ王女の事?ダルケニスの事?思いを巡らせてみてもいまいちぴんとこないけれど、多分私は初めて会った時から無意識のうちに惹かれていたのだと思う。自分達とは、かけ離れた世界の人間。自分に無い物を全て持ち、自分では到底及ばない程の知識を持つ。そんなあの人を、尊敬と畏怖の眼差しで見ていた時もあった。
 その場しのぎで妹になった時に、嬉しいと思ったのも事実だ。
 対等でありたい、と考えた。
 あの人が穏やかに過ごせるように、少しでも彼にかかる負担を減らしたいと考えた。
 世界を巡り、知識を得、少しでも近づけるように。少しでも頼ってもらえるように。少しでも、特別と思ってもらえる様に。
 闇の神器を探す事よりも、禁呪を手にする事よりも、あの人に認めてもらいたくて、仕事をこなした。
 ティアナ王女の所に連れていかれる度に、息が詰まるような思いをしていたのを貴方は知っているのだろうか?
 仕事をする貴方を見かけて、慌てて隠れた事、気付いていたのだろうか?
 誰にも言えない、気付かれてはいけないこの想いを抱いたまま、貴方は敵として私の前に立ちふさがった。運命?願い?ならば私の願いは、誰が叶えてくれるというの?生きて欲しいと願った。貴方が幸せであるならば、私は良い妹を演じきるつもりだった。
 全てを思い出と割り切るには、想いが募りすぎて。
 崩れゆく貴方の躯を掻き抱いて、流した涙。
 初めて憎いと思った。闇に落ちた貴方の命を絶ちきる事しか出来ない自分を恨んだ。私をこの世に作りだした人間全てを呪った。
 いくら恨んでも、呪っても貴方は還ってこない。二度とこの世に甦る事は無い。

 全てを受け入れ諦められる程、私は出来た人では無い。
 今一度だけチャンスを下さい。最初で最後の、「私」の願いを聞いて下さい。

 そして……
 時を歪め歴史を歪め最後の旅が始まった。


 血の臭いが充満している。
 美しかった都はその面影を消し、破壊と殺戮を繰り返すだけの異形の生物が我が物の様に街を闊歩する。
 私の中のウルグが騒ぎ出す。より多くの血を、より多くの混沌を。闇の眷属で溢れかえったこの街を前にしてそれは当然の事かもしれない。
 入り口にいるベルゼーヴァと軽く話をした後、私達はエンシャントの街中へと歩を進めた。次々に襲いかかって来る魔物を相手にしながら、何故か賑わっていた頃のエンシャントを思い出していた。酒場にいた不可思議なゴブリン。破壊された魔導アカデミー。そして、猫屋敷。
 全ての始まりがここにあった。
 今、全ての終わりがここに、ある。
「リディア、何処に行くの?王城はこっちじゃないよ??」
「こっちで合っているわ」
「でも……」
「大丈夫よ、ルルアンタ」
 軽く彼女に微笑みかけて、私は廃城への道を急いだ。
 王城に行けばゾフォル達との戦闘は避けられない。揃ってなければ、意味が無いのだ。誰一人欠けてもそれは無意味な事となってしまう。闇の勢力が消えればザギヴの中に眠るマゴスも二度と表に出てくることはないだろう。彼女ならばマゴスの呪縛くらい、いつでも自分で解けるはずなのだ。きっかけを与える事は今でなくても出来る。昔はそれが最終局面のこの時でなければいけなかっただけ。だから今は、先を急ぐ。
 早くしなければ、と思っているのに、廃城の前まで来て足が止まってしまった。
 息が詰まる。鼓動が恐ろしい程に早い。
 この門をくぐれば、旅の終着がある。私の行動に対しての結果が突きつけられる。いくら深呼吸をしても胸を押さえてみても、苦しさは止むことなく心臓は早鐘の様に鳴り続けるだけ。
 ここまで来て、私は一体何を恐れているというのだろう。
 一歩踏み出す。その、一歩がどうしようもなく、恐ろしい。
「リディア?」
「……何……ゼネテス?」
 かけられた言葉に振り返りもせず私は答える。
「大丈夫か?」
 ああ、いつでも貴方は確信を付いてくる。
 それが疎ましくもあり、心地よい。
 だから私は決断を下す事が出来るのだ。
「大丈夫よ、行きましょう」
 どうか、私に、勇気を下さい。
 もう一度大きく深呼吸をして崩れかけた廃城の入り口を睨み付ける。

 この旅の幕を引く、勇気を。

 かつん、と自分の足音がやけに大きく耳に響いた。
 元は美しかったであろうエントランスは、当時の面影も無くただ瓦礫となって横たわるだけ。居ると思いこんでいた虚無の子はおらず、暗い空間が中への道を促している。
 広間まで、来いという事か。
 城の中を迷わず最深部まで突き進んでいく私を仲間はどう思ったであろうか。
 所々から溢れ出る木漏れ日さえも今は鬱陶しい。
 最後の扉を押し開け、広間に居る彼等を認識した。
 全てが前とは、違うのね。
「やぁ、久しぶり…とでも言えばいいのかな?」
「ええ、お久しぶりね」
 相変わらず緊張感の無い声。
「君なら迷わずこちらに来ると思っていたよ」
「そう?」
 薄く微笑んで私は剣をしまう。その行動に仲間は驚きの表情を浮かべた。当たり前と言えば当たり前だろう。敵を前にして剣をしまうのなんて自殺行為も甚だしい。
「で、どうだったの?」
「ええ、お陰様で色々、と」
「望み通りにはなった?」
「さぁ……それはまだ分からないわ」
「どうして?」
「まだ、旅は終わっていないから」
 誰も私達の会話に割り込んでこない。訳が分からないというのもあるだろうけど、誰も、私を疑っていない。全てを任せてくれているのが嬉しかった。
 シャリの傍らにいるエルファスさえ今は口を噤んでいる。
 彼は知っているのだろうか?今の状況が本来あるべき姿では無いという事を。
「僕らを倒さなくては旅が終わらないものね」
「いいえ」
 誰も、欠けてはならない。
「貴方もエルファスも倒しなんてしないわ」
 その為に今までやってきたのだから。
「何故?」
「シャリ、貴方は言ったわね。私は幸せにはなれないと運命に打ち勝つ事は出来ないと」
「言ったね、君は幸せになる事は出来ない」
 だって君は「人」なのだから。
「ならば、言うわ」
 一世一代の告白の様に。
 この言葉を言う為に私は今日、この日まで歩んできた。
「シャリ」

 この大陸最後の「神」の願いを聞いて。

「……くっ……は、は……」
 不意打ちを食らったようなシャリの顔なんて初めて見た。
 苦しそうに笑いを飲み込んで、彼は満面の笑みを浮かべる。
「なるほど、なるほどね。そう来たか」
 とても楽しそうに笑う彼。
「僕は願いを叶える。それが何であろうと、ね」
 その為に、生まれた。
 言うといい、君が思う事を。君が強く、強く願う事を。
 言の葉に乗せて。

 大きく息を吸い込んで誓いの様に。
「全ての人に幸せになる権利を。そして、私が今まで奪った命に今一度生きる機会を」
 そう、君の願いはいつだって賢い。でもね、リディア。
「二つ目の願いは叶えられないな、蘇らせる命の数が多すぎる。僕の力だけではどうにもならないよ」
「なら、私の命を使えば良いわ」
「リディア!?」
「勘違いしないで、死ぬという事ではないの。この無限の時を限り有るものにするだけよ」
 君は「人」を捨てながら「神」である事を放棄するんだね、リディア。
 やはり君も、人の願いから生まれたものなのだ。光輝く僕の半身。
「死ぬかもしれないよ」
「死なないわ」
「力を使い果たして消えるかもしれないよ」
「私は消える気はないし、貴方を消すつもりもない」
「傲慢だね」
 全てを手の内に抱え込みたいなんて。
 呆れ果てる。
 でも……そんな君を見ていたいと思うのは、僕の願い、になるのだろうか?
「僕は反対だ、例え全ての者が生き返っても姉さんは還ってこない」
 愛用の杖を構え、エルファスが私に向き合う。
 ここまで来て彼を救うのは無理だと?
 否、無理な事などない。
 傲慢?貪欲?だから何?
 私は、全てを、望む。
「エルファス!」
 突然張り上げた声に仲間が驚きで息を飲むのが分かった。
「今、選びなさい」
 怪訝そうに眉を顰める彼に私は手を差し出して、言った。
「共に来るか、姉の遺影にしがみついて生きるか」
 馬鹿な事を、と思っている?真っ直ぐに伸ばされた手を、貴方が取れない事くらい知っている。でもね、エルファス。もう、良いじゃない?貴方が自分の道を歩んでも。
 貴方が、私を選んでくれるのなら。
「私は、貴方を裏切らない」
 脅迫にも似た、強い告白。
 惹かれている者に言われて抗える者などいるのだろうか。
 多くの苦しみと、ただ一つの光を天秤にかけて。
「僕は……」
 僕、は……
 許されるのだろうか?
 この色づく世界で生きる事を。
「……姉さん………」
「エルファス!?」
 彼の体が薄くなり、消えた。
「シャリ!」
「安心して。ただ迷っているだけなんだよ、彼は。今は時の狭間で考えたいだけだろう」
 さて、それでは。
「覚悟は、いいかい?」
「ええ」
 願うわ、誰よりも強い力で。
 不安そうに見守る仲間に、今出来うる限りの笑顔を向けて。
 ありがとう、と唇だけで呟いた。
 シャリが片手を上げる。
 私の中から生命という名の力が溢れ出ていく感触。

「滅びし者達よ、永久に続きし流転の中より今一度この地にて相見えん」

 後にその光景を始原口伝の一説の様だ、と言ったのは誰だったか。
 ----星の光とともに地上のすべてに降り注ぎ、人の心の中でソウルとなった----
 その一説に酷似した光景が目の前にある。
 淡い光が花霞の様に降り注ぎ、大切な者の傍らで、失った命が甦る。
 双子の側で、白い衣服の神官が。
 明るい笑顔を振りまいたリルビーの側で、父親代わりの者が……。
「ふ、フリントさん!?」
 驚愕の為に見開かれた目に飛び込むのは、生前と変わらぬ姿。
「私は……一体……?っ!お前は!」
 フリントが仕込んでいた短剣を私に向ける。
 当たり前の事でしょう、だって自分を殺した本人が目の前に立っているのだから。
「私を殺しますか?」
 フリントの方を見ずに私は言った。
 正確には見れないだけなのだが。
「今の貴方ならすぐにでも殺せますよ。私は……立っているのも辛いのでね」
 正直、今自分の足で立っていられる事が奇跡に近い。
 全身から感覚という感覚、全てが失われている。
 人が死ぬ時というのは今の状態に酷似しているのかもしれない。
「フリント、ここは俺の顔を立ててくれないか」
「ゼネテス様……」
「お前達の間に何があったのかは知らないが、リディアは大切な仲間なんでな」
 おきまりのウィンクを私に投げて、いつもの口調でゼネテスは言った。
 悔しいけど、涙が溢れそうだった。
 泣いてやるものか、と手を挙げようとしたら視界が反転した。
 やはり倒れるのかと衝撃を覚悟すれば、予想に反して暖かい腕の感触だけ。重い瞼を無理矢理開けば目の前にはゼネテスの顔。
 いつも助けられてばかりだね、と鈍い頭で考える。
「高くつくわよ」
「出世払いでいいか?」
 利子は安くしておくわ、と吐息に乗せて呟いた。
「リディア!?」
 死ぬ訳じゃないから大丈夫よ、そんな泣きそうな声で呼ばなくても。
 憎まれ口の一つでも叩いてやろうと思うのに、口が開かない。
 何度か浅く呼吸を繰り返して、ようやく声を出す事が出来た。
「一気に、何百年分も……生きた気分、だわ」
 自分で言うのも何だけど、命に別状はない。ただとてつもない程の疲労感に襲われているだけ。許されるものなら今すぐこの場で眠ってしまいたい。
 頭上で私を罵る声が聞こえたがこの際流してあげよう。
 眠い……眠ってしまおうか?
 でも、他人に運ばれるのはちょっと恥ずかしいかな。運んでくれるのがゼネテスとして、その光景を兄さまが見たら多少は嫉妬してくれるだろうか?
 ああ、そうだ……兄さまの牢屋の封印もそろそろ解ける頃だし、怒られるのを覚悟しなくては。
 色々考えてみると、やらなくてはいけないことがまだまだ沢山ある。
 まずはロストールに帰って、ただいま、の挨拶をしないと。
 あの人は規則に煩い人だから。
「少し眠らせてあげなよ」
 シャリの声が聞こえる。
「彼女の運命は未だ終わっていない。この意味が分かるでしょう?」
 そうそう、心配しないで。
「今は休息が必要なんだよ」
 もっと言ってやってよ、シャリ。
「ファナティックの呪縛を振り切ったばかりなんだし、ね」
 苦笑混じりに呟く声がとても楽しそうで。今日は貴方の知らない面ばかり見ているね。いつも混沌の傍らに居た貴方からは想像出来ない程、年相応に見える。それが本来の姿ならば、絶対そっちの方がいいと思うわ。
 ふと、ゼネテス以外の気配を感じてうっすらと目を開く。
 見たこともないような笑みを湛えているシャリの顔がそこにあった。
「最後の神も消えたこの世界がどうなるのか、僕も興味が出てきたよ」
 人の可能性を信じてみたくなった、と昔誰かが言ったような台詞を吐いてシャリは笑った。
 私達はもう用済みかもしれないけれど。
 見守ってみるのもいいとは思わない?

 ねぇ、シャリ。私達が思うほどこの世界は絶望していない。そうでしょう?

 この愛しき大地には、希望の種が満ちあふれている。

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