それは悲しみや思い出よりもずっと鮮明な記憶
罪の深さに溺れて、沈んでゆく。暗く冷たい深淵へと。無音の世界でただ、眼前に広がる「蒼」さだけが哀しい程に心地よかった。
真夜中、突然私は目を醒す。
時折見る、あの悪夢…。何も出来ず、ただ沈んでゆく事しか叶わない。いくらもがいて、叫んでみても何も変わらない。変えられない。
そこには恐怖しかないのに、いざ目を醒すと夢の内容は全然といって良い程覚えていないのだ。
一体あの夢は何なのだろう?
丁度「やり直し」を始めた頃からたびたび見るようになった。
夢は何かを暗示しているというけれど、ならば私の見る夢は私に何を指針しているというのか。
解らない、哀しい訳でもない、けれど涙が止まらない。これ以上眠る事は出来ない。割り切って私はそっと部屋を抜け出した。
ロストールに滞在している間はなるべくリューガ邸に泊まるようにしている。世間的な目も考えると何かとこちらに滞在している方が都合が良いのだ。
家人を起こさないよう、足音を立てずに門まで辿り着く。
「リディア様、又眠れないのですか?」
「ええ…貴方には迷惑をかけるけど、ごめんなさいね」
お決まりのような言葉を交わして私はリューガ邸から抜け出した。
初めに眠れない、と門番とかけあったのはいつの事だったか?あれから随分と日が経ったものだ。考えて、あまり時間が残されていない事を自分の中で確認する。
外套を羽織っただけの格好では多少寒かったが、考え事をするにはこれ位の方が丁度良い。
すでに眠れない時の指定席となってしまった噴水の淵に腰を下ろし、大きく息を吐き出した。
ふと、前方に視線を移すと見なれた姿。何故こんな時間に?と思いながらも声をかける。
「ルルアンタ、どうしたの?」
彼女もこちらに気付いていたのか真直ぐに歩みより、私の隣に腰を下ろす。
「うん…フリントさんの事思い出して」
「………そう」
私にはそれ以上なにも言えなかった。否、言う資格など無いのだ。
「あのね…時々考えるの。フリントさんはルルアンタに色んな事を教えてくれた。でも、ルルアン タはその恩にどれくらい報いる事が出来たのかな、って。」
考えてたら、眠れなくなっちゃった。そう微笑む彼女に私は何を言える?
彼女の恩人を奪ったのは他ならぬこの私なのに。
「もし…もう一度会えたら…有難う、って言いたいの」
「…大丈夫、会えるわ」
「リディア……有難う慰めてくれて。でも…知ってるの。もうフリントさんはこの世に居ないんだって…分かってる」
次第に涙ぐむルルアンタを己の胸に抱きとめ、私は囁くように言った。
「願いましょう。いつだって奇跡を起こすのは人の心なのだから」
私の「願い」の為に失われた命に私は償いをしなければならない。
方法も、覚悟も、もう決まっている。「ねぇ、リディアはお兄さんの事が好きなんでしょ?」
「!?…ど、どうしたの、いきなり…?」
急に核心を突かれて私は大袈裟、とも思えるくらいの狼狽ぶりを披露した。
「やっぱり。見てれば判るよ」
「そ、そうなの?………でも兄さまはティアナ王女の事が好きなのよ。あ、これは勿論秘密ね」
人さし指を口に当てていうと、屈託なくルルアンタが笑った。
「でも…リディアはそれでいいの?それって失恋しちゃう、って事でしょ?」
「うん……そうなるね」
運命をねじ曲げるよりも難しい人の心。
私はレムオンが好き。だけど彼はティアナ王女が好き。…そうね、考えてみれば失恋してるわね。
どう考えたって一介の村人風情が王女様にかなう訳が無い。
それに私は名目上だけだとしても彼の妹なのだ。
「それってさ…哀しくない?好きなのに失恋が決まってるなんて」
「哀しいかもしれない。…でもね、私は兄さまに幸せになってほしいの。ティアナ王女が好きなら 一緒になってもらいたいし、ロストールの政権が欲しいなら政権を手に入れる為に力を貸してあげたい。あの人が、幸せだと思えるなら…私はそれで良いの。……変かしら?」
自己犠牲だとか献身的な愛だとかそんなんじゃなくて。
例え私は幸せになれなくても、純粋に、あの人の幸せを願っている。
初めに会ったあの瞬間から、私の「恋」は終わりを告げていたのかも知れない。
「変だよー!だって…そうしたらリディアはどうなるの!?お兄さんが結婚しちゃったら…リディアの居場所がなくなっちゃうじゃない!」
ルルアンタに言われるまで今後の事なんて考えた事もなかった。……どうしよう?
「旅に、出るのも良いかもしれないわね」
そう、何も難しい事はない。あの人に出会わなかった以前の刻に戻るだけのこと。
旅に出るならルルアンタが一緒に行くからね!と反対に抱き締められた。
これじゃあどっちが慰められてるのだか。「じゃあそろそろ宿屋に帰るね」
「ええ、今日はアラミルに出発だから寝坊しちゃだめよ?」
「リディアこそね!」
後でね、と手を振り別れて私はまた独りになった。ダルケニスの問題は解決した。あれからレムオンが闇に堕ちる気配は無い。
これからは私の知らない運命。慎重に物事を進めなければ。時期的にもうすぐ第二次ロストール戦だ。何が起こるか判らない。
アイリーンやカルラとどう接するかも考えなくてはいけないし
「眠れない、じゃなくて眠る時間が無さそう、ね。これからは」
自嘲気味に呟き空を仰げばすでに夜は終わりを告げていた。
明け方独特の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、吐き出す。その時突然理解した。あの無音の世界で見た蒼はこの空の色だったと
雲一つない蒼天
決して掴む事の出来ない空、人の心
変える事の出来ない色、定められた運命だけど…
端々に鏤められた運命のほつれ糸に気付く事が出来れば、未来は変えられる
望めば、何でも手に入るし、何にでもなれる。この世界ならばもう一度深く深呼吸して、私は涙が出そうなくらい青い頭上の空睨み付けた。
考えてる暇なんてない。ただ…今は己が決めた道を進むしかない。
この蒼い空が続く限り。