夢を見た
湖の真ん中に小さな浮き島のようなものがある。島、という単語を使うには些か小規模だが確かにそこは一つの場が存在していた。
場の中央に黒い光沢を放つグランドピアノが置いてある。一見異質な光景だが黒塗りのピアノはその場にとても似合っていた。
ピアノの後方には新緑。かさかさと葉の擦れ合う音が耳に届く。
風に乗って旋律が聞こえてきた。どうもあのピアノを誰かが弾いているらしい。僕は弾き手が気になってピアノの側迄歩いていった。勿論演奏の邪魔にならないように足音を忍ばせて。
「そんなに慎重にならなくても演奏の邪魔にはならないよ」
彼は微笑を浮かべながら僕に言う。
「でも、とっても綺麗だから」
自分の足音さえも気になるのだと、流れてくる音に耳を澄ませ僕は言う。
「君にそう言ってもらえるのは嬉しいな。これは君の為の曲だから」
「僕の為の曲?」
そうだよ、と彼は鍵盤に滑らす手を止めずに囁く。
僕は彼の弾いている姿があまりに綺麗で思わず息を飲んだ。絵に描いたよう、とはまさにこういう光景をさすのだと思う。微風に靡く彼の黒髪を見ていると、お伽噺の世界に迷い込んでしまったような感覚に陥る。
「僕は本物だよ」
心の内を見すかすように彼が言う。
「何で分るの?って顔だね」
彼の問いに無言で頷く。まさか彼は僕の心が読めるのだろうか?
「流石に僕だって心は読めないさ。なんとなく雰囲気で、ね」
雰囲気を読むっていったって、ここまで当てられると少しばかり気味が悪い。
「なんか怪しいなぁ…本当は読めるんじゃないの?リドル」
楽しくなってきて僕は笑いながら問いかける。
「だとしたらどうする?」
それは…困る。僕の想いまで読み取られてしまったら、今後僕はどんな顔をして彼に逢えば良いのだろう。
考えながらころころと表情を変える僕が可笑しいのか、リドルはピアノを弾く手を止め口に手を当てて笑い出した。
「笑う事ないだろう」
心外だ、と言葉の端に不機嫌さを滲ませながら僕は呟く。
「ごめんごめん、あまりに君が可愛いものだからつい、ね」
「……可愛いって言われても嬉しくないんだけど」
「じゃあ綺麗」
「……綺麗っていうのもなんか違うんだよね。基本的にそういうのって男に向かって言う言葉じゃないと思うんだけど」
先程自分がリドルに対して抱いた感想を棚に上げ、唇と尖らせて講議すれば、またくすくすと笑いはじめる。実を言うとこういう時の彼は苦手だ。どんなに反論しても上手くかわされて丸め込まれてしまう。
「気分を害したなら謝るよ、ハリー」
ぽん、とリドルが僕の頭に手を置く。訝し気に彼の顔を盗み見ればもう片方の手は未だ口元に置かれたまま。こいつ全然反省してないし。
僕は自身のイライラを緩和する為に違う話題をふる。
「ね、もう一度弾いて?」
おやすい御用だよ、と微笑みリドルは鍵盤に向き直る。
緩やかに心に染み渡る旋律が聞こえ始める。そういえば彼は先程自分の為の曲だ、と言っていなかっただろうか?
「それも、僕の為の曲なの?」
「そうだよ。僕の弾く曲は全てハリーの為に」
ふうん、と相槌を打ち目を閉じる。とても心地よい曲。曲には弾き手の心が反映されるというけれど、今これを弾いているリドルの心の中に僕は居るのだろうか?
ピアノの音だけに耳を傾け他には何も聞こえない。緩やかに、まるで音に溶け込んでしまうような感覚を覚える。ああ、これは水だ。
僕を包み込むように纏わりつく。「ハリー…眠いのかい?」
「うん……」
眠ってしまう前にもう一度リドルの顔を見ようと重い瞼を開く。
不思議な事にさっきまでピアノの後方にあった木々が全て消失していた。良く見てみれば場もかなり小さいような気がする。不可思議な光景を眺めながらも、全ては水に沈んでいったのだ、と霞のかかった脳で理解した。
「君が眠るまでずっと弾いていてあげるから安心しておやすみ」
「うん…」
リドルと話している間にもどんどん水に沈んで場が小さくなっていく。
「ねぇ…リドル」
「なんだい?」
リドルが顔だけこちらに向ける。
「………おやすみ」
「ああ、おやすみ、ハリー…」
微笑むリドルに笑い返し、徐々に水の中に沈みはじめる。
ゆらゆらと揺れる水面越しにリドルの顔が見える。紅い瞳がとても綺麗だと思う。
あれ…?リドルが何か言ってる…なんだろう?水の音で聞こえない。そういえば僕未だ眠ってないのにピアノの旋律が聞こえないよ?もう、ちゃんとしてよリドル。役に立たないんだから…
ああ…本当に何て言ってるんだろう。まぁ良いや、起きたら聞こう。
またね、リドル。僕本当に眠いんだ。またね、ハリー
アイシテイルヨ最後に聞こえたリドルの言葉を頭の中で反芻しながら、水中深く沈んでいく。
そんな夢を見た